■昨晩の早目の就寝が、今朝の4時の目覚めを招いたようだ。例によって早朝散策に出かけた。ホテル東側の海岸線に向かった。停泊中の大型漁船を眺めながら岸壁を歩く。突堤ではここでも釣り人が糸を垂れている。
 北側に一面の巨大な壁が立ち塞がっている。壁の手前に「雅泊航路記念碑」が建っていた。碑文を読むと、稚内と日本領土だった頃の樺太・大泊とを結んだ航路の記念碑のようである。手前に湾曲した巨大な壁の天井をローマ風の円柱が支えている造形美あふれる建造物を眺めた。海岸線に沿って直線に建てられた長大な壁は、どうやら防波堤の役割を担っているようだ。壁の西の端に嵌め込まれた石板には「稚内港北防波堤ドーム」の文字が刻まれていた。堤防の上から海を眺めた。貨物船の向こうにサハリンの島影がうっすらと浮かんでいた。
 稚内駅の横を抜けて、正面に見える仏閣を目指して市街地を西に向かった。法雲寺という我が家の宗派でもある浄土真宗の寺院だった。境内に建てられた親鸞聖人の銅像を眺めながら、北の大地の最果ての地に及んだ宗派のたくましさを想った。大型船の停泊する稚内港まで更に足を延ばした後、ホテルに向かった。水平線の彼方の雲間からようやく太陽が顔を出そうとしていた。
■夕食と同じ会場の1階レストランで和定食の美味しい朝食をとった。ここでも焼き鮭、いくら、イカ刺し、蟹身などの海の幸がふんだんに使われている。
■列車の旅が再開した。7時10分稚内駅発の「スーパー宗谷2号」札幌行きに乗車した。札幌、函館、青森と昨日まで辿った同じコースを遡る旅である。稚内駅を出てすぐに瞬間的に日本海が望める他は、果てしなく内陸の大地が車窓の風景となる。しばらくすると右手に大きな川を目にした。それはどこまでも列車のお供をする。スマホで調べて天塩川(てしおがわ)と呼ばれる一級河川で国内4番目の長さの川だと知った。反対側シートだった往路では気づかなかった景色だ。列車旅の往復するコースではシートの左右を入れ替わることがポイントのひとつだと悟った。滝川駅手前頃からは、右手に見える残雪を戴く暑寒別岳の画像を納めるのに夢中になった。
■札幌駅に10分ばかり遅れて到着した。乗換え時間は6分ほどしかない。少し慌て気味の添乗員さんの誘導で12時22分札幌発の「スーパー北斗12号」函館行きに乗車した。
 まもなく昼食の「海鮮弁当」が配られた。ぎっしり詰まっウニ、大きな帆立、鮭ルイベ漬、いくらといった弁当の真ん中に更にイカ飯がひとつドカンと乗っかって大満足の駅弁だった。
 函館に近づく頃、反対の窓越しに美しい形の山岳が見えた。駒ケ岳の雄姿だった。続いて往路では撮り損ねた大沼公園の湖沼もキャッチした。
■函館駅には定刻に到着し、今度は15時55分発の「スーパー白鳥40号」青森行きに乗換えた。長い海岸線の続くコースの後に青函トンネルの暗闇が待っている。青函トンネルに入る直前に幽玄な山々の水墨画のような風景を目にした。
■青森駅に17時45分に到着した。早朝7時10分に稚内駅を出発して10時間半もの列車旅だった。乗換えホームには既に次に乗車する寝台特急「あけぼの」の真っ赤な車両が待っていた。早速初めて乗車する寝台特急の鼻先で記念写真を撮った。
■指定の車両は2段ベッドが向き合った4人定員のB寝台である。添乗員が配置した割り振りで奈良在住の同年代のご夫婦と一緒になった。何となく亭主が下段に奥様は上段に席を取り、荷物整理やらをしていると夕食用の「特製弁当」が配られた。イカ、海老、いくら、数の子、帆立などの海鮮幕の内だった。18時22分の列車の出発を待って夕食をとった。おかずをアテに缶ビールを呑みながら同宿者たちと歓談した。隣り部屋では三組の夫婦が合流し酒も入って大いに盛り上がっている。10時頃にはさすがにどの部屋からも話し声が納まり眠りに着いたようだ。しばらく読書灯で読みかけの文庫本を読んだ後、そっと消灯をした。  
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