4月7日 相次ぐハプニング!ローマの休日
法王逝去で消えた「最後の審判」鑑賞の機会
■5時30分起床。相変わらず目覚めは早い。いよいよイタリア旅行のメインの日だ。6時40分に朝食を済ませ、7時10分にはホテルを出発した。昨日のポンペイツアーでガイドのマキコさんから、「法王の葬儀準備でサン・ピエトロ寺院が見学できないかもしれない」という情報を得ていた。少しでも早く状況を掴んでおきたかった。
 ホテルからテルミニ駅に向い、途中にあるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂を外から見学。地下鉄「テルミニ駅」で1日パスチケットを一人4ユーロで購入する。テルミニから7つ目の「チプロ駅」で下車した。葬儀参列のため地方からやってきたらしい大勢の人々が一緒に下車した。地上出口付近は警察官やボランティアティアらしき警備係で物々しい雰囲気に包まれている。人の流れに沿ってついて行くとサン・ピエトロ寺院の入口ゲートがあり、証明書らしきものを持参した参列者達がチェックを受けて吸い込まれていく。何も持たない私達の入場は当然ながら阻止される。係官に「日本からやってきた。何とか入場できないか」と無駄あがきを試みたが、むなしくはね返される。、多数の海外要人の来訪を控えたサン・ピエトロ寺院の警護のハードルは、テロの情報もあってか予想以上に高い。ミケランジェロの「最後の審判」を、この目で眺める千載一遇の機会がはかなく消えた瞬間だった。
■ポンペイ帰路のバス車中で作成したコース予定を大幅修正し、8時30分、再び地下鉄に乗車。通勤時間帯に重なり、ものすごいラッシュだ。人種のるつぼのような閉ざされた空間のすえた匂いの中で、手足の一切の動きが封じられてしまう。テルミニ駅でA線からB線に乗り換えて「チルコ・マッシモ駅」で下車。
 1kmばかり歩いて映画「ローマの休日」で一躍有名になった「真実の口」に到着。ところが現地では午前中いっぱい映画の撮影とかで立入り禁止。サン・ピエトロ寺院の不幸に続く不幸が待ち受けていた。
 やむなく次のスポット「マルケルス劇場」に向う。初代ローマ皇帝・アウグストゥスが愛する甥のマルケルスのために建造したといわれる古代劇場を間近に眺めた。「ローマ人の物語」の世界との最初の出会いだった。
 さあいよいよ「ローマ人の物語」の世界の中心地「フォロ・ロマーノ」の見学である。地図を頼りに徘徊するが中々見つからない。いつのまにか劇場を挟んで反対側のヴェネツィア広場に出ていた。広場中心のローマのランドマークと言われる「ヴィットリアーノ」の巨大な建物に圧倒される。依然として見つからない「フォロ・ロマーノ」を求めて地図との格闘が続く。
やられた!歴史的芸術作品を生み出したイタリア人の凄腕。
■頭を冷やすため、近くのカフェで一息入れることにした。ドリンクを買おうとポケットの財布をさぐった・・・。ナイ・・・?スラックスの右側ポケットに入れていた筈の小銭入れがナイ!!念のためあらゆるポケットとバッグの中をさがすがやっぱりナイ。
 とっさに先ほどのラッシュの地下鉄車内の光景と「地球の歩き方」の「スリの被害」の記事がオーバーラップする。間違いない。あの身動きできなかった車中で掏られたのだ。それにしても見事な技というほかはない。掏られた本人が全く気付かない凄腕に舌を巻く。
 幸い被害はクレジットの利かない買物用に手当てしていた50ユーロ(約7000円)程度の小銭入れだけだった。カフェの従業員に最寄の銀行を教えてもらい妻が所持していた日本円を両替した。ここでの手数料控除後のレートは、1万円で68.8ユーロで今回の旅で最高だった。落ち込んだ気分がチョッピリ復活。
 カフェの従業員の現地ガイドを受けて、気を取り直して再びフォロ・ロマーノに向う。
フォロ・ロマーノ・・・。カエサルと元老院派の攻防の舞台。
■ようやく「フォロ・ロマーノ」にたどり着いた。下の画像は、入口に面したフォーリ・インペリアール通りから眺めた「フォロ・ロマーノ」の全景である。以下は「ローマ人の物語」が描くフォロ・ロマーノのアウトラインである。
 フォロ・ロマーノは、ローマの七つの丘のひとつパラティーノの丘の北側の低地に広がっている。ローマの第5代の王・タルクィニウスが、紀元前600年頃から下水溝工事や公共建造物を着工し、以降ローマの心臓部として発展を遂げた。
 3次に渡るのポエニ戦役でカルタゴを滅ぼし、地中海世界の覇者となったローマの司令部だった。ガリア征服を成し遂げたカエサルが、元老院派との攻防を交わした舞台であり、自身の壮大な世界国家構想実現の途上で暗殺された場所でもあった。カエサルの養子として類い希なリーダーシップで帝政を確立し、パクス・ロマーナの枠組を造り上げたオクタヴィアヌス(後の初代皇帝アウグストゥス)の政治舞台だった。
■現在のフォロ・ロマーノは、古代ローマの遺跡群として開放されている。これほどの観光資源が、誰でも自由に見学できるということ自体が驚きだった。
 入口を入ると右側に古代の金融の中心だったエミリアのバジリカ(公共建造物)が広がる。その奥にはレンガ造りの元老院の建物が見える。左に折れると二つの神殿が続き、少し奥にマクセンティウス帝のバジリカがある。更に東に進みティトゥス帝の凱旋門をくぐると、その先にはコロッセオが遠望できる。ここから逆方向に戻り、西に向って進むと、ヴェスタの神殿やカエサルの神殿が続く。カエサルの神殿という名前の偉大さにもかかわらず、今は廃墟と化した石室があるのみだ。カエサルの神殿前を西に向って凱旋行進の最後の舞台「聖なる道」があり、その先には遺跡群の中では最も威容を誇るセヴェルス帝の凱旋門がある。
 以上の記述は、デジカメ画像を撮影順にガイドブックと突合せながら整理した。現地でのガイドが聞けないという個人旅行のデメリットを痛感した点でもある。
初代皇帝アウグストゥスの夢の跡
■ティトゥス帝の凱旋門に引き返し、コロッセオを左に見ながら、パラティーノの丘を目指した。途中、コロッセオを背景にしてローマ最大の凱旋門であるコンスタンティヌス帝の凱旋門が威容を誇っている。
 パラティーノの丘は、古代ローマの共和政時代の高級住宅地であり、初代皇帝アウグストゥスの宮殿のあった丘である。
 旅行中、読みかけの「ローマ人の物語」15巻と16巻を持参した。アウグストゥスが共和政から帝政に転換を図っていく際の息詰まるような物語の展開である。パラティーノの丘に至って、物語の展開と遺跡の見学が見事にオーバーラップした。
 丘の中心をかっての馬場といわれるスタディオが占めている。パラティーノの丘の見所は、むしろ丘から眺められる景色の素晴らしさかもしれない。この場所以外のどこで眼下のコロッセオの全景をレンズに収められるだろうか。ここから眺めるローマの中心部の見通しの素晴らしさには得がたいものがある。
 パラティーノの丘の南側に広大な広場が広がっている。チルコ・マッシモと呼ばれるこの古代の戦車競技場には、今は舞台用の足場が組まれ多くのテントや取材用の報道車が列をなしていた。全国各地から参列する亡き法王のためのミサの準備にようだ。
コロッセオに着いた。ローマを代表するこの巨大な円形闘技場史跡には、多くの観光客が押し寄せる。切符はガイドブックのアドバイスを守って、パルティーノの丘で手に入れていたので行列に加わることなく入場できた。想像していた以上のスケールだ。古代の権力者達は、剣闘士と猛獣あるいは剣闘士同士の凄惨な闘いを見世物にすることで、大衆統治の手立てとしていた。権力保全機構の一部と考えればこの巨大さも当然なのかもしれない。 
パンテオンから真実の口・・・最後の観光
■コロッセオのすぐ前の「コロッセオ駅」で地下鉄に乗車する。テルミニ駅で乗り替えスパーニャ駅で下車。目指すはパンテオンである。途中のコロンナ広場で巨大な円柱に出くわした。アウレリウス帝の円柱コロンナだ。円柱の表面には無数の人物像の浮き彫りが施されている。
 ここからが大変だった。またしてもパンテオンが見つからない。イタリアの地図は分りにくい上、似たような建物や通りがあちこちにあるようにしか思えない。途中から娘が断固とした口調で言う。「地図上の通りの名前と、街路ごとに表示されている通り名を確認しながら行かんとアカン」。結果的にこれが正解。ようやくパンテオンに辿り着く。
 パンテオンは、紀元前25年頃、アグリッパが創建した神殿だ。アグリッパは、軍事的才能に欠けたアウグストゥスの右腕としてカエサルに見出された人物である。帝国の軍事面を一手に引き受け終生アウグストゥスに忠節を尽くした人物である。ギリシャ建築風の円柱が建ち並ぶ正面玄関を入ると、そこは広大で吹抜け構造の高い天井の聖堂である。丸天井の頂きにある巨大な天窓から差込む光が、荘厳な雰囲気をかもしている。
 パンテオンのすぐ傍の「ラ・サグレスティア」というレストランでようやく遅めの昼食を採った。
■再び地下鉄スパーニャ駅に向う。途中にはブランドショップ通りが待ち受けている。何度通っても、連れ合いの女性たちの足を止めずにはおかない。私にとっての苦渋のひと時が訪れる。
 ようやくショッピングタイム終え、今朝、映画撮影で見学できなかった「真実の口」見学に再挑戦をすることに衆議がまとまる。パートナーたちの多少の疲れも、自身のミーハー嗜好の前には無力であるようだ。再びスパーニャ駅、テルミニ駅乗換え、チルコ・マッシモ駅下車のルートを辿る。1日フリー券が威力を発揮する。
 真実の口とは河の神の顔をかたどった大きな円盤である。サンタ・マリア・イン・コスメディン教会というどこにでもあるような教会の入口にある。「ローマの休日」にどこよりも感謝の祈りを捧げている協会に違いない。観光バスから降り立った中国人グループの行列の後ろに並んだ。「ローマの休日」のワンシーンにあやかるように、誰もが円盤の顔の口に手を入れ、記念写真を撮る。そんなミーハーできるかと思っていたが、娘がシャッター押した時、なぜか私の右手は口の中にあった。
■再び地下鉄で来たルートを折り返し、テルミニ駅で下車。乗換えの煩わしさを避けて徒歩数分のホテル最寄り駅のレプッブリカ駅に向う。レプッブリカ駅前の共和国広場に面してサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会がる。廃墟のような概観は、ミケランジェロが古代ローマの遺跡を温存しながらデザインしたものだという。
 広場を挟んで教会の向い側右手には三越ローマ店があった。それほど広くもない地下1階と更にその半分にも満たない1階売場という店構えだ。品揃えもほとんどが日本人観光客相手のお土産物中心だった。ここでもお土産用にピノキオの操り人形を買い求めた妻は、きっちり店側の思惑の穴に嵌っていた。
■19時、ようやくホテルに着いた。一息入れた後、夕食のため外出。共和国広場を挟んでホテルの反対側にある「ラ・カピターレ」というレストランだ。ガイドブックの「夫婦で切り盛りしている温かい雰囲気の、ローマの庶民的な料理中心の店」というキャッチコピーが利いていた。生ハム盛り合わせ、スープ、リゾット、パン等を味わった。店内の落ち着いたアットホームな雰囲気が印象的だった。
 ホテルに向う途中、スーパーマーケットを覗いてみたり、ホテル向いのアイスクリーム専門店といった雰囲気のカフェで本場のジェラードを楽しんだりして最後の夜を惜しんだ。
 21時、出発時間の早い明日に備えて早目の就寝。万歩計は4.4万歩という記録的なカウントを示していた。後は帰国するだけ。イアタリア旅行も無事終了かと最後の晩はぐっすり眠った。とんでもないトラブルが帰国の途上で待ち受けていたとは知る由もなかった。 

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