4月8日〜9日 クーポン紛失!搭乗拒否・・・?
■4月8日、いよいよ帰国の朝を迎えた。5時30分に起床し、6時40分には朝食も済ませ、チェックアウトの準備も完了。7時前にはフロントで送迎車を待ち受ける。
 7時10分、フロントに現れた中年のドライバーがホテル前のベンツに案内する。早朝のローマ市街地の石畳の路上を、旧式のベンツがかなりのスピードで走り抜ける。石畳のもたらす振動が、乗り心地の快適さを奪っている。市街地を抜けて空港に向うアウトバーンに入ると更にスピードアップ。メーターは時速130kmを表示している。ヤバイな〜ッと思いつつも打つ手はない。
■8時、フィウミチーノ空港に無事到着。搭乗予定のKLMのカウンターでアムステルダム行きの窓口を捜す。10時20分発の搭乗予定機は運航中止というアナウンスを見つけた。法王の葬儀参列で海外要人が多数来訪している影響がここにも及んでいるようだ。娘が案内カウンターで9時15分発のアリタリア航空による振替運航を確認し、どうにかアリタリアの搭乗手続きを済ませた。
 出国前に免税手続きという厄介な処理が残されている。TAX FREEの専用デスクをさがして娘による母親をまじえた手続きが始まる。中年のオバサン係官相手の会話が思うようにいかないようだ。娘達はお買物伝票だけでなくバッグからパスポートや航空チケット等を引っ張り出して格闘している。
■免税手続きを何とかクリアした一行は、搭乗30分前に搭乗ゲート前に辿りつく。各自のチケットを確認した時、アムステルダム行きのチケットとセットになっている筈の娘のクーポンがないことが分った。バッグをひっくり返してみるがどこにもない。TAX FREEのオフィスでの混乱の際に紛失してしまったに違いない。チケットがあるから問題ないかと最後はタカを括った。
 搭乗案内に従って列に並ぶ。娘のチケット確認の順番がきた。係員からクーポン提示を求められるが「ない」と答える他はない。「探せ」「ない」の押し問答。You can't board!(搭乗できない!) 係員の20代の若者が顔色を変えて叫んでいる。これはヤバイ!結局、列から外され、キャリアのありそうな別の女性係員に引き継がれる。彼女は穏かながら厳しい口調で何やらたしなめているようだが、噛み合わない。搭乗予定者は既に全員機内に消えた。搭乗ゲートに残されたのは我々だけとなり危機感が募ってくる。窓からすぐそこに見えている搭乗機との距離が果てしなく遠い。トランジットの便である。搭乗できなければ関空への帰国便にも間に合わない。
 どたんばでツアー全体のクーポンの控えがあることに気がついた。控えを受取った女性係員は現場責任者らしき制服姿の年配の男性と相談。近づいた男性がようやく搭乗許可のメッセージを伝える。ヨカッタア〜!!多くの搭乗者の待ち受ける機内を、バツの悪さで身を包みながらを指定席に向う。
■以降は平穏な旅だった。日付の変わった4月9日8時30分、アムステルダムのスキポール空港で乗り継いだKLM867便は無事関空に着陸した。我が家の個人ツアー型家族旅行が、かくして無事終焉を迎えた。かってない様々なトラブルやハプニングに見舞われた旅だった。個人ツアータイプの旅の楽しさと危うさを味わった旅だった。それだけに思い出深い旅であったことは間違いない。
エピローグ 歴史との共存は不便さとの共存
■「ローマ」という言葉を、単に一都市の名称と受け止めるのは余りにも重過ぎる。古代ローマ共和国やローマ帝国を築き上げた古代ローマ人たちを、ヨーロッパ世界の二流国に成り下がった現代のイタリア人たちと同一視するにはその落差は余りにも大きい。
 史上に燦然と輝く「ローマ世界」とも呼ぶべき壮大な一大文明圏がどのように形成され、長期に渡って維持され、そして消滅していったのか。塩野七生さんの描く『ローマ人の物語』の世界にはまり込んで久しい。今回の旅の私にとっての最大の興味は、『ローマ人の物語』の世界をいかに追体験できるかという点にあった。
■ローマ世界の中心地であったフォロ・ロマーノは紀元前6世紀から建設を着手したといわれている。日本では縄文時代と呼ばれる頃である。二千数百年もの年月を経たフォロ・ロマーノの遺跡群を目の当たりにして、世界制覇の原動力の一つでもあったローマ人たちの土木技術の水準の高さを思い知らされる。
 フォロ・ロマーノの周辺をはじめ、ローマの中心部を構成する七つの丘を繋いでいる街路のほとんどは、今尚、石畳で埋め尽くされている。無機質なコンクリートジャングルでない石畳の風情が、街中の至る所に散在する古代ローマの遺跡と調和している。とはいえ石畳のもたらす住民にとっての日常生活の不便さは、通りすがりの観光客の想像を超えるものがあるに違いない。
 かってのローマ帝国の首都ローマは、今尚、共通の古都としてヨーロッパ各国から多くの観光客を吸引している。コロッセオやパンテオンで大規模な修復工事が行われていた。ローマ人の末裔たちは、歴史を保存し歴史と共存しながら観光都市ローマでの市民生活を営んでいる。
■ギリシャの神殿を思わせるパンテオンに、河の神をかたどった真実の口に、ローマの街角には数々の神が宿っている。多神教の民であるローマ人は、ユダヤ・キリスト教やイスラム教に代表される一神教と異なり、一元的な倫理道徳や戒律を求めることはない。
 カエサルによるローマの地中海世界の覇権が、多人種、多民族、多文化、多宗教、多言語に分かれた人々を、なぜ長きに渡って統治できたのか。パクス・ロマーナと呼ばれた人類史上初めての200年にも及ぶ世界統治を可能にしたものは何だったのか。
 「多神教の民・ローマ人」というキーワードがその謎を解く鍵として浮かび上がってくる。
 ローマによる征服民族の統治は、伝統的に属州統治という自治方式が踏襲されている。一神教的な中央集権的一元支配でなく、征服民族の文化、宗教、言語を容認しながら軍制や税制で統治の枠組を形成する。この方式はより優れた形でカエサルにも踏襲され、広大なローマ帝国の版図を支えた。その根底にあるものこそ多神教の民の精神風土ではないか。
■ソ連の崩壊以降、唯一の超大国アメリカによるパクス・アメリカーナが現出した。グローバリズムに代表される一神教的なアメリカ的正義が世界を駆け巡り、究極の一神教であるイスラム世界と衝突する。パクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)の危うさが「文明の衝突」を招いていないか。
 ヨーロッパでかってない壮大で画期的な実験が数十年に渡って続けられてきた。今、欧州憲法批准という最終局面を迎え、フランス、オランダの国民投票は反対表が過半数を占めるという生みの苦しみを味わっている。EUのこの壮大な実験を可能にした精神風土に、多神教のローマ世界の遺伝子を読み取ることはできないだろうか。多様な価値観と文化と言語とイスラム教をも包含して尚、統合を目指すヨーロッパの精神風土に、アメリカ的一元主義に代わる人類の知恵を期待したい。
■私たちのイタリアの旅のその真っ只中でヨハネ・パウロ2世が亡くなった。私たちの旅にも多くの影響を与えたその出来事は、私にいやおうなくパウロ2世への関心を呼び起こさずにはおれなかった。
 世界平和と戦争反対に向けたアクティブな行動、東欧民主化運動への精神的支援、世界の宗教と文化の対話の呼びかけ等、法王の治績は宗教のもつ積極的な役割と可能性を提示した。文明と宗教と民族の共存・・・ローマ世界の知恵が今こそ問われている。                                                                       

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