4月5日午前 ローマへ・・・ユーロスターで国際交流
■今日はローマへの移動日。事前予約で旅行社から送付されたユーロスターのチケットは、フレンツェ中央駅を11時前の出発である。しめた!これなら昨日休館だったアカデミア美術館を見学できるだけの時間がある。
 8時の開館に一番乗りのつもりでアカデミア美術館に7時40分頃着いたが、既に20人位が並んでいる。さすがにすごい人気だ。
 並んで待っていたところ、昨日二度も偶然に出会ったあの一人旅の日本の女の子がまたまたやってきた。一緒に並んで待つ間、娘同士はタップリお喋り。奈良市の学園前に住んでいるという彼女は、音楽系の専門学校を卒業し、オーストラリアの音楽祭に行った帰りの旅だとのこと。言葉も十分通じない異国の一人旅を、臆することなく自由気ままに楽しんでいる彼女の口ぶりに、日本の若い世代の女性のたくましさを見た。しばらくして彼女が気づいて言った。「この列は団体予約の列みたい」。慌てて入口を挟んで反対側のかなりの長さの列の最後尾に並び直す。長時間の入館待ちを覚悟したが、意外と早い8時40分の入館だった。
■お目当てのダヴィデ像は、多くの見学者達の頭越しに突然姿を現す。人の背丈ほどの台座に設置された像は、予想を超えた大きさだった。周囲はゆったりした空間が確保され像の前後左右を隈なく眺められる。かって日本で公開された時は、長蛇の列を歩きながらの束の間の見学になったという報道があったと記憶している。心置きなくタップリ眺められるダヴィデ像が今私の目の前にある。
■ホテルへの帰り道にある中央市場に再び寄り道し、買い忘れたお土産を調達。ホテルをチェックアウトし10時20分に中央駅に着く。構内のBANCA(銀行)で両替。ここでの手数料控除後のレートは、1万円で64.4ユーロで1ユーロ約155円とこれまでの交換レートでは最も高い。海外での両替は銀行が最も安心できるというガイドブック情報を再確認した。
■イタリアの鉄道駅には改札口がない。替わりに各ホームの手前に設置された自動刻印機で日時の刻印が必要だ。それらしき機械の傍で先客たちの様子を確認し、自身のチケットを刻印する。
 10時53分発のナポリ行きのユーロスターが乗車予定の列車である。定刻より10分ほど遅れて到着した列車に重いスーツケースともども何とか乗り込む。
■チケット指定の席は、向かい合った4人掛けのボックス席の通路を挟んで両側だった。内1名分は、イタリア人と思しき男女の若者3人連れが陣取る窓側の席だ。手前の女の子に身振りで通路側の席とのチェンジを求めるが、同意しない。やむなく3人組に囲まれる形で窓側に着席する。
 若者達同志の会話に挟まれ、居心地の悪い数分間を過ごした後、意を決して状況打開に打って出た。「アイム ジャパニーズ ツーリスト」と宣言し、ブロークン・イングリッシュを撒き散らした。若者達は気さくでフレンドリーだった。北イタリアの小旅行を終えてナポリ近郊のベネヴェントへ帰る旅だという。ここでも「地球の歩き方」が役立った。これから訪問するローマの名所写真や観光地図が共通の話題として活用できた。映画「ローマの休日」ゆかりの地を示して「ホリデー・イン・ローマ」等と言ってみるが通じない。オードリー・ヘプバーンを口にしてようやく若者の一人が叫んだ。「オーッ バカンチェ・ローマ」。私は「ローマの休日」のイタリア語を手に入れた。そして私のメモ帳には、青年が書いてくれたIVAN・MAFFEI(イバン・マフェイ)の署名が残されている。時折会話の仲間入りをしていた娘が撮った彼らとの記念のショットも残された。その間、家内は座席前の外国人老夫婦から話しかけられることを、ひたすら避けるべく狸寝入りを決め込んでいた。
■フィレンツェを出発したユーロスターは約90分をかけて12時30分にローマに着いた。「グラッツエ」と謝意を述べ握手を交わしながら若者達と別れた。 
4月5日午後 バカンチェ・ローマの第1歩
■ローマ・テルミニ駅から旅行社指定のキリナーレホテルまでは地図で見る限るは約1kmで歩けない距離ではない。とはいえ重いスーツケースご同伴では無理がある。駅前のタクシー乗り場で行先を告げ料金を聞くと30ユーロ(約4500円)だという。いくらなんでもボリ過ぎる。更に進んでいかにも好人物風の老ドライバーの待つ別のタクシーにもう一度声を掛けた。10ユーロだという。迷わず乗り込んだ。
 1時前にホテルにチェックインし、空腹を満たすべく昼食に向う。徒歩10数分のところに「庶民的なローマ料理と魚介類が楽しめる」というガイドブック触れ込みの店「ホスタリア・アル・ボスケット」があった。入口を入り店内を抜けた先の中庭に巨大な日除け傘で覆われたテーブル席がある。オーダーしたランチは、野菜と魚介類満載のいかにもこれぞイタリア料理といった雰囲気のものだった。
■腹ごしらえをすまし、早速、ローマ見学の第1歩を踏み出す。バカンチェ・ローマのスタートだ。
■レストランを出て北西にしばらく歩くと小高い丘になる。地図で確認するとクイリナーレの丘とある。ローマ人の物語でもしばしば登場するローマの七つの丘のひとつだ。丘の南西に大統領官邸がある。玄関の左右に衛兵が立っているものの、大統領官邸にしては思いのほか小ぶりで質素な印象だ。
 更に進むと次第に人の流れが多くなり、やがて身動きできないほどの人ごみに合流する。群集の先に華麗でダイナミックな人物像が、多くのコインを飲み込んだ泉の中に浮かぶように躍動している。これがかのトレヴィの泉なのか。泉の淵に陣取る多くの観光客の間のわずかな隙間を見つけて記念写真。世界の名所の前では誰もがおのぼりさんになってしまう。
 トレヴィの泉を北に数百メートル行くとスペイン広場がある。広場中央の「スペイン階段」には映画「ローマの休日」の舞台に浸ろうとするヒーローやヒロイン達で鈴なりである。ところがスペイン階段の背景を構成する教会の二つの塔を巨大な美女の顔写真が覆っている。BVLGARI(ブルガリ)の広告看板だ。スペイン階段を写す記念写真の全てにこのブランドのロゴが写される仕掛けである。名所の中に乱入した異物に興ざめしながらも、不覚にもその商魂の巧みさに感心してしまった。
■スペイン階段の正面の通りは、コンドッティ通りと呼ばれるローマ随一のブランドショップ街である。ヨーロッパファッションの中心のひとつであるイタリアの首都ローマのファッションの中心地である。母娘の今回のツアーの最大のメインイベントが目前にある。お目当てのブランドを求めてブティックを渡り歩く。さっきまで重かった彼女達の足取りが俄然軽やかになる。もう誰にも止められない。
 ところがいざ購入となり免税手続きをしようとしてパスポートナンバーの控えを持ってないことに気がついた。やむなく地下鉄で二駅先のホテルまでとんぼ返りをする羽目に。
■無事ショッピングを終えて、再び観光に。コンドッティ通りの先にあるボルゲーゼ宮を見てテヴェレ川沿いに南に下る。巨大な円形の建造物が見えてくる。サンタンジェロ城だ。左右に天使の彫刻を配した美しいサンタンジェロ橋を渡ると、国境を越えたヴァティカン市国になる。円形のサンタンジェロ城を1階から循環しながら屋上のテラスに至る。ローマ市街を一望できるここからの眺めは絶景というほかはない。とりわけ夕陽に沈みつつあるサン・ピエトロ寺院のドームは息を呑む美しさだった。結果的にサン・ピエトロ寺院の全景を望めたのは、この時だけになるとは、この時点では知る由もなかった。
■サンタンジェロ城最寄の地下鉄・レパント駅から4駅を乗り継いでホテル最寄のレプッブリカ駅に降りる。駅周辺のレストランでパスタとピザの夕食をとった後、ホテルに戻る。ホテルは旅行社のガイドにはキリナーレホテルとあったが、正式にはローマの七つの丘のひとつに因んだ「クイリナーレ・ホテル」である。ホテル前からは共和国広場前に建つサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会が見えている。背中合わせに同じオーナーのオペラ座があり、専用通路もあるとのこと。館内の随所に大理石の彫刻やクラシックな調度品が配置された格式のあるホテルだった。ちなみに翌朝の朝食はアメリカン・ブレックファーストでフィレンツェのホテルよりハイレベルであった。午後11時、ローマの初日をしゃにむに歩き回った1日を終えて眠りについた。万歩計は昨日のカウントを更新し3.5万歩を記録していた。

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