10月9日(木) 世界遺産・デルフィー遺跡
マラトンの古戦場
■6時のモーニングコールで目覚める。身支度を整え、スーツケースを整理しドア前に出してから朝食に向かう。アメリカン・ブレックファーストの朝食を済ませ、8時にホテルを出発。9時過ぎにマラトンに立ち寄る。紀元前5世期末のペルシャとギリシャ・ポリス連合軍による「マラトンの戦い」の古戦場である。当時の戦死者を祀る小山の塚が塀越しに見える。勝利の伝令がアテネまでの約40kmを力走の末息絶えたと伝えられ、それが第1回近代五輪のマラソンの距離となった。古戦場後の傍に古代の将軍の銅像があった。
■二日目の観光地デルフィーに向かう。途中の高速道のサービスエリアでトイレ休憩。上下線を跨いだ大きな建物内にカフェテラス式の飲食と物販の売場がある。
■デルフィーの手前に、山の斜面に立ち並ぶ美しいアラホバの街がある。街を遠望するビュースポットで写真撮影のための停車があった。ドライバーの喫煙タイムを兼ねているようにも思える。
 画像は左から、マラトンの古戦場跡、将軍の像、サービスエリアとテラスからの遠望、アラホバの街の遠望である。
デルフィー考古学博物館動
■12時過ぎようやくデルフィーに到着。山の横長の斜面にいくつかの通りを挟んで家並が建つ、こじんまりした情緒のある街だ。昼食のレストランに直行する。メニューはスブラキという豚肉串焼きのギリシャ料理メインのコース料理。調理後時間の経った冷えた肉の固さに落胆し、団体ツアーのデメリットのひとつを思い知らされる。
■街の外れといってよい距離に世界遺産・デルフィー遺跡があった。先に博物館を見学する。入口には現地ガイドのジョージアさんという30代の女性が待っていた。紀元前12世紀にさかのぼる古代ミケーネ時代には、デルフィーは「世界のへそ」と考えられていた。そのためこの地は神を祀る場所として巨大な石で神殿や宝庫が建てられ、アポロンの神託の地とされた。博物館は、こうした背景をもつデルフィー遺跡の出土品を収めている。半形の卵を伏せたような「大地のへそ」の彫像や「青銅の御者の像」等ガイドブック情報の著名展示を確認する。紀元前5世紀の作である御者の像の驚くばかりの写実的で美しい顔に目を見張った。
 画像は左から、デルフィーの目抜き通り、現地ガイドと考古学博物館、展示品、真中は大地のヘソ(オンファロス)、右端は青銅の御者の像とその拡大画像である。
世界遺産・デルフィー遺跡
■ 博物館から徒歩数分の遺跡に入る。入口には美しい毛並みの猫が3匹たむろし、観光客の気分を和ませている。聖道と呼ばれる石畳の順路に沿って斜面を上ぼる。「へその石」「アテネ人の宝庫」等の史跡を見て、6本の円柱だけが残る遺跡の中心「アポロン神殿」に辿り着く。■入口土台の大理石には紀元前当時の碑文が刻まれている。ギリシャ文字は当時も今も同じものだとのジョージアさんの説明に驚嘆する。更に進むと観客席だけが残る古代劇場がある。団体行動はここまでで、元気なメンバーは10分ばかりかけてその上のスタジアムを目指す。当時も4年毎に開催されていたという競技大会の会場である。
 画像は左から、へその石、アテネ人の宝庫、碑文のギリシャ文字、アポロン神殿、古代劇場、スタジアムである。 
デルフィーの街角散策と夕食
■遺跡見学を終え、メインストリートの中心部にある予約ホテルのヘルメスに到着。7時の夕食まで2時間ばかりある。ホテルの部屋のベランダからはイオニア海のコリンソス湾を望める美しい展望が開けていた。湾の手前にはギリシャならではの一面モスグリーンのオリーブ畑が広がっている。
■スーツケースの片付けをする家内を残して添乗員さんお勧めの遺跡全貌を展望できるビュースポットまで出かける。戻ってから二人で土産物通りを散策する。海外ツアーでは必ず何かアクアサリーを求める家内は、ここでもギリシャ風デザインのペンダントトップを購入した。ホテル従業員からデザインの意味を聞くと「永久(とわ)の命」だそうだ。せいぜい長生きしてもらい面倒をみてもらえるならいい買物ということか。
■7時に歩いて数分のレストランに向かう。ビーフのブロック添えパスタがメインのあったかい料理で初めて納得のいく内容だった。ホテルに戻りバスタブのないのシャワー室で体を拭って床に就く。ようやく早目の就寝時間を迎えられ、疲れた身体を労った。
 画像は左から、ホテル・ヘルメス、コリンソス湾の眺望、遺跡の遠望、レストラン、夕食の料理である。

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