アレクサンドロス大王の偉大な事跡
■ギリシャに旅して印象に残った歴史上の人物にアレクサンドロス大王がある。ツアー5日目と6日目は、ギリシャ北西部のマケドニア地方だった。この地方では今尚、アレクサンドロス大王への尊敬と憧れの念が根強く残っている。二日間の現地ガイドだったマリアばあちゃんのガイドの端々にそれが垣間見られる。ヴェルギナ遺跡と考古学博物館での主役もアレクサンドロス大王とその父・フィリッポス2世である。マケドニア王国の首都だったテッサロニキのホワイトタワー近くの公園には、アレクサンドロス大王の青銅の堂々たる騎馬像が建っている。
■確かにアレクサンドロス大王の足跡をあらためて見てみるとその凄さに驚嘆する。父王の暗殺後、弱冠20歳でマケドニア国王に即位すると、そのカリスマ性と天才的な用兵をもって一気に版図を拡大する。32歳の若さで病死するまでのわずか12年間に小アジア、エジプト、ペルシャ帝国を征服し、インドにまで及ぶ「アレクサンドロス帝国」ともいうべき帝国を築きあげた。
■幼年期を家庭教師としてアリストテレスに師事したアレクサンドロスはギリシャ文化の良き理解者だった。征服した各地方にアレクサンドリアと名付けた都市を建設し、経済の活性化をはかり、図書館の設置などを通してギリシャ文化の浸透をはかっている。この帝国のもとで開花したヘレニズム文化はギリシャ文化とオリエント文化の融合文化であり、アレクサンドロスの思想の具体化ともいえる。
アレクサンドロス、ユリウス・カエサル、織田信長 
■こうしてみると、アレクサンドロス大王のイメージは、約300年後に登場するローマ帝国の実質的な初代皇帝カエサルとオーバーラップしてくる。ギリシャ的な多神教の価値観をもって征服地の宗教、文化を尊重しながら融和をはかったアレクサンドロスの手法は、カエサルの属国統治の手法に通じている。そしてその手法こそ今日のEU創設に至る連綿たるヨーロッパ文化のDNAではないかと思う。
■私はこれまで日本史上では織田信長を、カエサルにオーバーラップされる稀代の英雄と見ていた。そのカエサルの事跡にも匹敵する英雄がアレクサンドロスであったことを今回のツアーであらためて教えられた。3人に共通するものは、卓越した構想力とそれを実現していく実行力と指導力であり、何よりも自らが支配する国家の明確な統治ビジョンを持っていたことがあげられる。
■それにしても英雄たちの生涯の何と短いことか。アレクサンドロス32歳、ユリウス・カエサル56歳、信長48歳。その余りにも生き急いだ故の短命だったのか。  

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