摩周駅で下車し、地元の車両修理工場が経営するレンタカー業者に連絡する。送迎車で工場に行き契約を済ませ、小型車で阿寒湖に向かった。60分程で阿寒湖温泉街に到着しアイヌコタンを訪ねる。駐車場を兼ねた大通りの左右にアイヌの物産店や飲食店が立ち並んでいる。コタンとはアイヌ語で「集落」を意味するそうだ。13時過ぎ遅い昼食をアイヌ料理の店「北国の味・ばんや」で取った。行者ニンニク定食と味噌チャーシューを注文。定食はニンニクの芽をメインにした山菜料理だった。広場奥正面にはアイヌの伝統舞踊を伝える劇場「オンネチセ」がある。その横のアイヌ生活記念館に入場した。昔のアイヌの民家を再現した家屋の中は当時の生活を伝える生活用具の数々が展示されていた。受付のオバアサンと雑談した。オバアサンの言葉の端に、アイヌの誇りと和人との葛藤を窺わせるものがあり、今尚残るアイヌ民族の気概が伝わった。
 温泉街の東の端にエコミュージアムセンターがある。マリモなどの阿寒湖ゆかりの展示品を見た後、横の遊歩道をたどって湖畔のボッケ(泥火山)に向かった。阿寒湖畔は穏やかな水面を漂わせた静寂の世界だった。
 阿寒湖から弟子屈市街を抜け、摩周湖に向かった(「弟子屈」を「てしかが」と発音できるまでに相当な時間を要した)。レンタカー会社の従業員の「今日は見えないでしょう」という悲観的観測を気にしながら摩周湖第一展望台に到着した。駐車場係員の「なんとか見えます」との言葉に思わず「よかった」と朝からの不運を吹き飛ばす幸運に安堵のせりふが衝いて出た。展望台から眼下に広がる「霧の摩周湖」は、雲に覆われた曇天が灰色の湖面を写すモノクロ画像の風景だった。霧に包まれ全く見えない湖面に落胆する観光客も多いという。湖面を望めたことこそ幸いとすべきだろう。
 レンタカーを返し、摩周駅から再び釧網本線の17時6分発の釧路行電車に乗った。17時半頃には車窓はどっぷりと闇に包まれた。突然電車がスピードを落とし汽笛の音が甲高く闇夜を切り裂いた。臨席の二人ずれがのオジさんたちの会話が蝦夷鹿か北キツネが鉄道を横断したらしいと教えてくれた。北の大地の風物詩というべきか。
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