旅の初日、網走監獄と小清水原生花園を観光した後、曇り空の夕闇が迫る中を知床半島にようやく入った。今日の目玉スポットのオシンコシン滝はぜひとも明るいうちにたどり着きたい。時間と競争しながら滝には18時前になんとか到着した。扇状に下り落ちる雄大な滝を目に止め、デジカメ画像に収めた。オシンコシンの名前を覚えられない妻が「オシンコの滝」とオヤジギャグ風に呼んだのに思わず笑ってしまった。
 予約の知床花ホテルは、高台のウトロ温泉街にあった。チェックインの際、予約していた知床の夜をバスでウォッチングする「夜の大自然号」観光が天候事情の悪さで中止になったと告げられた。知床観光の不吉な前触れだった。
 チェックインした後、夕食は地元の郷土料理を求めてホテルから徒歩10分余りのウトロの中心街に出掛けた。ガイドブック紹介の「荒磯料理・熊の家」がお目当てだった。熊の家は市街のメインストリート?沿いの飲食街の中にあった。座敷席とカウンター席があり、欧米人のカップルの後のカウンター席に着席した。私はウニ・イクラがたっぷり盛られた荒磯丼を、家内はサーモン、ホタテ、ウニ等が並んだ刺し身定食をオーダーした。届けられた本場の鮮度抜群の海鮮料理を堪能した。カウンター前のオヤジさんとの会話も楽しかった。
 ホテルに戻り天然温泉の大浴場で旅の疲れを癒し、床に就いたのは22時過ぎだった。尚決着のつかない巨人−阪神戦の結果を気にしながらいつか眠りについていた。
 昨晩、布団の準備にやってきたホテル従業員から観光情報を仕入れた。「早朝の知床五湖観光は有料駐車場が空いていないので無理。フレペの滝の早朝散策は可能だが、熊の出没が頻繁で先頃も観光客が襲われたばかり。遺体は今も見つからず熊が冬の食料用に土をかぶせて隠していると噂している」といったありがたくくない情報だった。
 明けて旅の二日目の早朝である。4時半に起床し大浴場に浸かった後、5時半にはレンタカーでホテルを後にし、霧雨の中をフレペの滝を目指した。車で10分程の知床自然センターに駐車し、センター横の遊歩道入口前に立った時だった。「遊歩道にヒグマが頻繁に出没しています」との緊急看板が掲げられていた。これを目にした途端、妻は「やめよう!私は行かない」と断固たる口調で宣言した。昨晩のホテル従業員の情報が相当効いている。ここまできて引返す訳には行かない私の説得も聞く耳をもたない。やむなく一人で滝を目指した。  左右を熊笹と潅木が覆う早朝の人気のない遊歩道である。さすがに緊張感に包まれた。突然、ガサガサと笹を揺する音がした。「やっぱり出たか!」と一瞬固まった。驚愕のまなこの先に蝦夷鹿の家族が朝食中の光景があった。案内看板には滝まで20分とあったが、ヒグマの恐怖が予想以上に急ぎ足にさせていたのか、その半分で到着した。展望台の遥か下に滝の上半分が辛うじて見えていた。復路で中年のご夫婦らしき人たちとすれ違った。首から下げた大きな鈴が軽やかな音色を響かせていた。熊よけの鈴だった。20数分後には車で待つ妻の元に戻った。
 ホテルに戻ると知床観光最大の楽しみだったクルーズが悪天候で中止になったと告げられた。最悪の情報だ。やむなく朝食を済ませ、チェックアウト後、知床五湖観光に向かった。途中の峠道の傍らに川のせせらぎの素晴らしい光景があった。
 知床五湖の開場直後の有料駐車場で「今日は二湖までしか行けません」と告げられる。濡れそぼった遊歩道の先に美しい一湖の展望が開けた。二湖に向かう途中から雨が一段と激しくなる。急ぎ足で二湖を見学し入口まで戻った。駐車場横の展望台で五湖全体を俯瞰するが、悪天候は一湖をかすかに望めるだけの光景しか見せてくれない。   
 クルーズ中止で気の抜けたビールのような知床の思い出を後に、JR知床斜里駅を目指した。駅近くのガソリンスタンドで満タンにし駅前のレンタカー営業所に着いた。この駅前で乗り捨て可能な唯一のレンタカーだった。
 返却を済ませ、駅舎に着いたのは電車の発車時刻の40分も前だった。駅近くの「道の駅」で買い物をして時間をつぶした。
 到着した一両車両の電車に乗り込み、鉄道ファンに最も人気のあるローカル線である釧網本線の旅が始まった。田園風景をしばらく走った電車はまもなく知床連山の山中に入る。川湯温泉駅の手前で今も煙を吐く硫黄山を目にした。12時前には優雅な駅舎の摩周駅に降り立った。
第1部に戻る 第3部へ続く