9月17日 ゴルナーグラート登山電車のハプニング  
■ツアー6日目の朝が空けた。今日一日は、マッターホルンをはじめとしたスイスアルプスの山々に間近に迫る予定だ。昨夜、ホテルの部屋で3コースをまわる欲張り計画を組んだ。
■6時に起床し朝食を済ませ7時30分にはツェルマット駅前のゴルナーグラート登山鉄道駅に着いた。スイスパスを提示し50%割引で往復36スイスフラン(約3600円)のチケットを購入する。手持ちの現地通貨がなくてもカード決済ができるので便利だ。乗車したのは始発の次の8時発の電車だった。見晴らしの良い大きな窓の4人がけボックスシートの車内である(画像@B)。山岳を切り開いて敷設された単線のレール上を電車はぐんぐん登っていく(画像A)。ガイドブックに「眺めのよい電車世界トップ10」に入るのではないかと紹介された景色を縫って約40分をかけてゴルナーグラート駅に向う。ところが途中からこの絶好の眺めの雲行きが怪しくなってきた。みぞれ混じりの雨が窓ガラスに降り濡ってきた。それでも車窓の羊の群れや間近に迫る氷河(画像C)を楽しみながら終着駅に着いた。
■標高3130mの山頂駅のホームに降りた時、みぞれはすっかり横殴りの雪になっていた。視界10mの世界では見える筈の雄大なアルプスの山々はどこにもない。その代わりホームに隣接した展望台に2匹のセントバーナードがいた。見るからに人なつこそうな愛くるしい犬だ。娘が戯れる様子をデジカメで撮り(画像D)、私も撮って貰おうとした時だった。現地の青年が近づいてきてたどたどしい日本語で話しかけてきた。「スミマセーン!犬と一緒に撮るのはやめてくださーい」。観光撮影用の営業犬だった。山頂駅の横の坂道を登るとホテルや教会を備えた展望施設があった(画像E)がこの雪景色ではいかんともし難い。早々に切り上げてホームに戻った。
■展望を終え、下山の登山電車の発車が近づいていた。登山電車の撮影に夢中になっていた私の横を突然電車が動きだした(画像F)。家族は既に乗車している。青くなって思わず叫んだものだ。「ストーップ!」(とっさの叫びが「待って!」でなかったことがせめてもの救いというべきか)。もちろん電車は走り去った。私は始発駅で予定時間25分遅れで家族とバツの悪い再会を果たす羽目になった。それにしてもヨーロッパの電車は日本の電車のように発車のベルやアナウンスを一切してくれない。乗降は乗客の自己責任に委ねられている。
クライン・マッターホルン登山のロープウェーが止った
■ゴルナーグラート登山鉄道駅で家族と無事合流し次の登山ルートに向う。駅前のバーンホフ通りを南に10数分歩くとシュルーマッテン・リフト乗場に着く。ここからリフトと二つのロープウェーを乗り継いでクライン・マッターホルン山頂に至るコースである。この山岳はマッターホルンの東側に位置し見る角度によってはマッターホルンに似た姿をしていることからクライン(小さい)マッターホルンと呼ばれているという。ガイドブックの「村からわずか30分で頂上に立つことができるヨーロッパ最高地点の展望台」という紹介に飛びついたコースだった。
■スイスパス割引で往復41スイスフランのチケットを購入する。10時30分6人乗りのゴンドラリフトに家族3人で乗り込む。眼下の村ののどかな風景がどんどん小さくなる(画像@)。数分でフーリ駅に着き、ここからロープウェーに乗り換える。スキーの拠点でもあるトロッケナー・シュテークで更に次のロープウェーに乗り換える。左右に迫力のある山岳や氷河の風景が迫り、足元には氷河から流れ出した支流が横切っている(画像A)。
■ゴンドラが急にガタンと揺れて突然ロープウェーが止った。係員の初老のオジサンが車内備付の電話で何やら駅と話しをしている。通話が終わってもなかなか動かない。反対方向のゴンドラは動いている(画像C)。乗客は6名の日本人観光客と中国人カップルの8名だった(画像B)。係員のオジサンは言葉が通じないと思ったのか何も言わない。しびれを切らした乗客の一人が英語で尋ねてようやくオジサンが口を開いた。「ノーバッテリー」。ようやくゴンドラが逆方向に動きだした。出発駅に戻って充電するようだ。
■30分程のロスタイムの後、出発駅で新たな乗客も加えて次のゴンドラに乗換え再出発した。12時頃山頂駅に到着。ここからトンネルを抜けエレベーターに乗り展望台のある階段に向う(画像D)。ところが階段入口付近は吹雪が舞いゲートは閉ざされている(画像E)。通常ならば「心臓が悲鳴を上げる急階段」が待ち受けている筈だ。心臓の悲鳴を聞くのは避けられたものの、標高3883mの展望台からのマッターホルンはもとよりモン・ブラン、ユングフラウまで望める大パノラマも見逃す事態となった。むなしく来た道を戻るほかなかった。
標高2300mのスネガからのハイキング
■リフト乗場からマッターフィスパ川沿いを散策しながら、途中で昼食用のテイクアウトを調達しいったんホテルに戻った。ホテルで昼食を済ませ、14時再びホテルを出発。ホテルの裏手の道を辿りスネガ行きのケーブルカー乗場を目指す。途中、道に迷い30分ほどかけて駅に到着(画像@)。ここでは7スイスフランの片道切符を求めた。スネガ山頂駅からの下山は、しぶる家内を押し切って大胆にも雨の中のハイキングコースを選択したのだ。14時40分発のケーブルカーに乗車した(画像A)。標高差690mの急勾配のトンネルが一気に2288mまで運び上げてくれた。ケーブルカーの乗車時間わずか3分である。
■展望台周辺(画像B)は何もない。いよいよスネガ〜ツェルマット・ハイキングコースのスタートだ。付近の牧草地で背中に子羊を乗せた親羊がこちらを見つめていた。「地球の歩き方」の文章によるコースガイドだけが便りである。展望台テラスのすぐ下に見える溜池に向う。踏みならされた自然道は雨でぬかるみ羊の糞で覆われていた。正面に見える筈のマッターホルンは雨雲に覆われて影も形もない。しばらく歩くとこの地方独特の木造の集落が見えてくる。フィンデルンの村だ(画像C)。村の外れには大きな民家風のレストランが佇んでいる。周辺の牧草地には多くの羊の群れが草を食んでいる。村からはだらだらとした下り坂が続いている。
 この頃には家族3人の足並みに乱れが生じてくる。ハイキングを嫌がり最も足手まといになると思われた家内がずんずん先を歩むという意表を突いた展開だった。娘の遅れが目につきだした。新調したシューズの靴擦れが酷くなっているようだ。こうなれば家長である私のポジションは自ずと真中の位置になる。
 フィンデルンから20分ばかりしてようやく林の間からツェルマットの民家が見え隠れする(画像D)。林間コースをしばらく下ると鉄橋を跨いだ登山鉄道の軌道が見えてきた。更に幸運にも列車の近づく音が聞こえてきた。鉄橋を渡る列車の通過を待って絶好のシャッターポジションから納得できる画像を切り取った(画像F)。ツェルマットの村の裏道からバーンホフ通りに入る途中に土俗信仰のような「マリアの洞窟」があった(画像G)。16時45分、ホテルに着いた。
■家族3人の初めてのハイキングだった。標高差690mを1時間30分をかけて下り降りたハイキングだった。小雨の中をぬかるみに足を取られながらのハイキングだった。雄大な光景こそ見逃したがスイスアルプスの一角を家族で歩いた1時間半は、今回のツアーの最大のイベントとして貴重な思い出になりそうだ。
郷土料理ロシティーの味わい
■ホテルの部屋に戻るとさすがに疲れが一気に噴出した。1時間ばかりの仮眠を取ることにした。その前にホテルの南100mほどのところにあるレストラン「カサ・ルスティカ」(画像@)に夕食の予約をしに出かけた。テラスの奥の店のドアを開けるとスイス風の衣装をまとった若い女性が声をかけてくれる。「リザーブ」とか「アダルト・スリー」とかの単語を乱発して何とか予約を済ませた。
■18時30分、仮眠を終えてレストランに向った。木で覆われた内装の落着いた雰囲気の店だった(画像A)。
 日本語メニューをもらい選んだ料理がロシティーだった。短冊状に刻んだポテトをお好み焼き風に固めて焼いたスイスの家庭料理である。二種類のロシティーがあり、山男風はチーズ、ベーコンに玉子の目玉焼きが添えられている(画像B)。もう一つは小牛のソーセージのオニオン添えである(画像C)。両方を食べ分けたがポテト好きの私には珍しさも合って満足できる味だった。両方とも19スイスフランで物価高のスイスにしては納得できる価格と言える。
■ホテルの部屋に戻り、娘と明日のツアー計画の作戦変更を検討する。今回のツアーの最大のイベントのひとつであったアルプス登山が悪天候で散々の結果に終わったことのカバーをしたいとの想いが強かった。明日早起きしてゴルナグラート登山に再挑戦する案(明日は晴れるという保証はない)、ジュネーブの中間点のマルティニで途中下車してシャモニ・モンブラン登山を追加する案(駅でスーツケースの預かりが可能か)、古都ローザンヌ観光を追加する案等々である。自由にプラン変更が可能な個人旅行の楽しみでもあった。結局、時間を有効に活かすため明日は早朝の始発電車でまずジュネーブまで行き、駅前のJCBプラザで現地情報を仕入れて決めることにした。
 早朝起床に備え、21時30分にベッドに入った。

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