9月16日 スイス鉄道列車二階席でクールへ  
■朝6時、ツアー5日目の目覚めである。朝の仕度に時間のかかる女性二人を残して、ホテル周辺の散策に出かける。7時にはホテルに戻り、家族一緒にフロント横の食堂で朝食。7時50分にはチェックアウトし、スーツケースを押しながら坂道を下り中央駅に向う。
 中央駅の広くて長いコンコースを抜けてホームに到着。電光掲示板で8時40分発のクール行き長距離電車を確認する(画像@)。地図で確認すると昨日のマインフェルト駅から20kmばかり南にクール駅がある。
■定刻前には赤いスイス鉄道の大きな車体が私たちの待つホームに滑り込んで来た(画像A)。昨日購入しておいた指定席のチケットのシートNoを見ながら指定車両を捜す。5号車の2階席だった(画像B)。2階席の見晴らしの良い車窓の風景(画像C)に心が踊った1時間15分の旅だった。9時55分、クール駅に到着。
■工事中のクール駅の駅舎に迷いながら何とか駅前通りに出た(画像D)。11時15分クール発の氷河急行に乗車するまで1時間余りの時間ある。この時間をクールの市内観光を楽しむつもりだった。駅前にGlobe百貨店があった。これを目ざとく目にした母と娘は、せわしない観光よりも昼食用のテイクアウト品の調達を口実にショッピングタイムに切替えることでいち早く同盟を結んだ。今回のツアー二度目の単独観光がスタートした。
スイス最古の街・クール
■5000年の歴史をもつクールはスイス最古の街である。先住民が暮らすこの地域を紀元前15年頃にローマ人の支配が始まった。古代からこの地が栄えたのはアルプスの南北の要衝であったことが大きい。この地方はロマンシュ語と呼ばれる独特の言語が話されている。ラテン語に起源をもつ独立した言語で古代ローマの言語に最も近いと言われる。私にとって関心の強いローマ帝国の影を色濃く残す街のようだ。
■ガイドブックの地図で見る限り、クール市内の主要な観光スポットは駅から500m圏内である。駅前のバーンホーフ通りを南に旧市街に向う。ポスト広場から更に南にポスト通りを進むと突当りの右手に聖マルティン教会があった(画像@)。堂内にはオーギュスト・ジャコメッティ作品の大きなステンドグラスがある(画像A)。教会横の坂道を東に進むと右手に大聖堂が見えてくる(画像B)。工事中で堂内の見学は叶わなかった。この大聖堂の建つ丘はかってローマ軍が砦としていた場所だという。
 もと来た坂道を下り聖マルティン教会を過ぎた所のアーチをくぐるとこの小さな街には不釣合いなほどの広大な広場に出た。アルカス広場である。広場を取り巻く街並みは中世の香り漂う魅力的な空間だった(画像CD)。広場につながるあちこちの路地に足を踏み入れると、これまた情緒豊かな下町の風情があらわれる(画像E)。少し道に迷ったが散歩中の老夫婦に道を尋ねて何とかポスト広場に辿り着いた(画像F)。ここからは駅まで一直線だ。
待望の氷河急行と車窓の大自然のパノラマ
■あっという間に1時間が過ぎ、百貨店前で家族合流。いよいよ今回のツア−のメインイベントのひとつ「氷河急行の旅」である。ローカル駅クールの青空の広がるホームに着くと深紅の車体が既に停車している(画像@)。この列車だけはツアー前にエージェント手配の指定席を入手していた。指定席を見つけて着席した。私達の車両は4列シートの2等車で観光仕様の窓枠が天井にまで食い込んだパノラマ車両である(画像AC)。但し窓は開かない。1等車両を覗いてみるとパノラマ車両ではないが、ゆったりした3列シートで窓が開くようになっている(画像B)。実はこの窓が開くという点は外の景色を撮影する上では貴重な条件だった。窓の開かないパノラマ車両からの車窓の撮影に苦労させられた。ちなみに1等と2等の料金は3日間のスイスセーバーパスで1人わずか9千円程度である。選択ミスを悟ったが後の祭りだった。
■着席してまもなく白人の老夫婦がやってきた。4人がけボックスシートの私の隣席に婦人の方が着席する。ご主人は背中合わせのボックス席しか取れなかったようだ。さすがに人気の氷河急行は土曜日の昼間の車両は満席である。小柄で見るからにおとなしそうなご婦人は、最初に笑顔で顔合わせした後は、何をするでもなくじっと座ったままである。見かねてブロークンな会話を試みる。するとご婦人はイギリスからの旅のあれこれを俄に饒舌になって話し出す。後ろの席が空いて彼女がそちらに移るまでしばしの国際交流だった。
■クールからツェルマットまでの6時間ほどの氷河急行の旅だった。険しい渓谷とそれを跨ぐ美しい石橋、ラインの流れ、広大な草原、急峻な峠、谷間の村のたたずまい(画像D)、長いトンネル、間近に迫る氷河、そして雄大なアルプスの山々・・・。雄大な自然が車窓越しにパノラマのように展開する6時間だった。大自然を切り裂くように進む氷河急行の姿をキャッチしたいと思った。急カーブと背景画像の美しさが組み合わさった一瞬のシャッターチャンスをキャッチしなければならない。様々の試みの果てにようやく手に入れることができた(画像E)。
豪華スイートルームのツェルマットの宿
■17時過ぎツェルマット駅に到着した。スイスの民家風の建物に囲まれた美しい駅だった(画像@)。ツェルマットは、世界有数の山岳リゾートである。イタリアとの国境に近い標高1620mの小さな街だ。4000m級の山々に囲まれたこの街を多くの人々が訪れる。その最大の魅力が村の奥に鎮座するマッターホルンだ。見る角度によって様々の山容に変貌する様が見る者を魅了する。
■予約のホテル「アンバサダー・ツェルマット」は駅から北に200m足らずの至近距離にあった。山小屋風の概観のホテル(画像A)に足を踏み入れると重厚な雰囲気の漂うエントランスが待ち構えていた。ルームキーを受け取り指定された3階の部屋に入ってみてその豪華さに驚いた。ベッドルームが二部屋と広々としたリビング、設備の整ったサニタリールームの4部屋が廊下でつながれ、廊下の内壁の一角には大型冷蔵庫にキッチンまで設置されている(画像E)。3階の部屋のベランダからはツェルマットの街並みが一望できる(画像C)。ベランダからの眺めを楽しんでいた時、独特の形をした鋭い山岳が目に飛び込んだ(画像D)。ナントあのマッターホルンがホテルのベランダから眺められたのだ。望外の喜びだった。
小さな美しい街の美味しい郷土料理
■夕食を兼ねて早速市内の散策に出かけた。駅前のメインストリートを南に向う。通りのあちこちにテラスを構えたレストランがある(画像@)。1kmも歩けば市街地を出てしまう小さな街だ。10分ばかり歩くと左手に教会がある(画像A)。ここを左に折れてしばらく進むと左にモニュメント公園と右手に墓地がある(画像B)。この墓地はマッターホルンで犠牲になった登山家たちが眠っているという。ピッケルやザイルを刻んだ墓碑が並んでいる。墓地のすぐ向うをマッターフィスパ川が流れている。これを跨ぐ橋からはマッターホルンの素晴らしい眺めが望める。ガイドブックでも絶好のフォトスポットとして紹介されている所だ(画像C)。
■橋を渡ってすぐ左手にガイドブックから選択したお目当てのレストラン「オールド・ツェルマット」があった(画像D)。ガイドブックお勧めのタルターレンフートを注文する。日本語メニューでは「オールドツェルマットスタイル・スペシャルフォンデュ」となっている。真中に大きな突起がついた鉄鍋が固形燃料の台に載せられる。オイル漬けの肉を突起の壁に引っ掛けて焼き、数種類のソースを漬けて味わうという趣向だ。突起の回りの鍋に入っているリゾットにしたたった肉汁が沁み込んでより一層美味しくなる。一人4000円程の料理だがそれなりに納得できるものだった。20時30分、ホテルに戻る。

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