9月13  古城と中世の街並み・ハイデルベルグ
■NHフランクフルト・シティーホテルの豪華な朝食を済ませた後、チェックアウトし、日本語現地ツアー「ロマンチック街道一日観光」の集合地に向う。ちなみに「ロマンチック街道」とは、ドイツツアーの軽薄な観光用キャッチコピーの印象が強いが、本来は古代ローマ人たちが敷設した「ローマ街道」のことである
 ツアーの終着地はミュンヘンなので、今日はツアーバスでミュンヘンまで移動することになる。ホテル前に待機中のタクシーに乗車し、フランクフルト中央駅近くのインターコンチネンタルホテルを告げる。もちろん娘が・・・。出発30分前の到着だった。ロビーにツアーガイドらしき人影はない。15分ほどして中年の日本人女性が現れツアー名を告げ、バスに案内される。車内で「ドイツ人をパートナーに持つフランクフルト在住のツアーガイドの古川だ」と自己紹介された。8時に総勢15名の日本人ツアー客を乗せた観光バスが発車した。アウトバーン5号線を一路南下し、最初の目的地・ハイデルベルグに9時30分に到着した。
■ハイデルベルグは、ドイツ南部を東西に横切る古城街道の西の起点である。ライン川の支流・ネッカー川沿いに13世紀に建てられたハイデルベルグ城を中心に中世の美しい街並みを残している。
 カール・テオドール橋を渡りネッカー川の対岸からはハイデルベルグ城の優美な姿(画像@)が望める。小高い丘を登りつめるとひろびろとした公園の中に建つ古城が目に入る。城門をくぐると中庭の正面に高層のフリードリヒ館(画像A)が迫ってくる。フリードリヒ館に入り、北側のテラスに出ると今回のツアー最初の感動が訪れた。レンガ色の屋根と白い壁で構成された美しい旧市街の街並みがネッカー川沿いに息を呑むような美しさで広がっている(画像C)。旧市街を散策する。カール・テオドール橋からメインストリートのハウプト通り(画像E)に入った所に16世紀末に建てられた歴史的建造物「騎士の館(画像D)がある。
 約1時間半の滞在だったハイデルベルグを後にして、古城街道を東に向った。
中世の宝石・ローデンブルグ
■バスは、ハイデルベルグから古城街道を東に走る。車窓には中世の古城が次々と現れては消える。まさしく古城街道だ。1時間15分ほどで次の目的地・ローデンブルグに到着。ローデンブルグは、東西の古城街道と南北のロマンチック街道の交差する地点にある。
■「ブルグというのは砦の意味です」というガイドさんの言葉どおり、ローデンブルグは城壁に囲まれた見所一杯の美しい街だった。
 旧市街の南東の駐車場に停車したバスから降りて、城壁のくぐり戸を抜けると、中世にタイムスリップしたかのような光景が広がる。南北を貫く大通りを北に向って散策する。しばらく行くとこの街で最も美しいと言われるスポット「プレーンライン(画像@)」に出る。ガイドさんの案内を聞きながら更に北上する。
■旧市街の中心にマルクト広場がある。ちなみにドイツの各都市にあるマルクト広場とは英語で言うマーケット広場で町の中心広場のことだ。広場の北側(市庁舎の右手)に市議宴会館(画像A)がある。この建物の上部にある仕掛け時計がこの街に伝わる「マイスタートルンク(見事な一気飲み)」伝説を毎時に演じてくれる(画像A右上がこの街を救った主役のヌッシュ市長の一気飲みの場面である)。会館前には観光客が群がっている。
■マルクト広場でツアーは一旦解散し、各自で2時間半ほど自由に散策する。早速、遅めの昼食をとるため肉屋さんに入る。こちらではハンバーガーのたぐいが肉屋で売っている。ソーセージのパテを丸いパンに挟んだサンドイッチを調達。パテの厚さ、パンの大きさともにビッグサイズだ。通りの左右の店舗のショ−ウィンドーにはこの街の名物のお菓子「シュネーバル」が並べられている(右画像)。2個ほど買って食べてみた。ドーナツを球状にして固くしたようなサクサク感のある甘いお菓子だったが個人的にはNGだった。菓子屋さんの奥にちょっとした飲食コーナーがあり、瓶ビールも売っていた。観光地ながら110円程度の格安ビールで喉をうるおした。
■観光スポットを散策する。マルクト広場北側の聖ヤコブ教会には、著名な彫刻家リーメンシュナイダーの作品「聖血の祭壇(画像B)」がある。裏通りの街並み(画像C)も中世の面影を色濃く残している。ドイツには装飾品ともおぼしき独特の看板がある。とりわけローデンブルグの看板は有名らしい。地球の歩き方でも紹介されていたホテル・ティルマン・リーメンシュナイダーの看板(画像D)を見つけた。ちょっと変わったスポットが中世犯罪博物館だ。針の椅子、魔女裁判の拷問具、仮面、首切り刀などのおびただしい道具が展示されている。正面玄関横の「水責めの檻」と「首かせ」で娘と私が記念のポーズ(画像E)。
 旧市街の周囲を城壁が築かれている。城壁の上を歩いた(画像F)。城壁の壁に氏名を記したプレートが埋め込まれていた。国内外から募った寄付金で第二次世界大戦で被害を受けた城壁や街並みが修復された。その時の寄贈者の氏名ということだ。何人かの日本人の名前も見つけ少し嬉しくなった。街の西の端のブルグ公園からは、旧市街の美しい街並みの絶好の光景が広がっていた(画像G)。
■15時50分、ロマンチック街道のハイライトのひとつで「中世の宝石」とも言われるローデンブルグを後にした。
小麦の丘・ディンケルスビュール
■ローデンブルグから南に30kmほどの所にある3番目で最後の訪問地・ディンケルスビュールに向った。南ドイツの穀倉地帯の中央に位置する街である。車窓に写しだされる広大で豊かな緑の田園風景(画像@)が心をなごませてくれる。45分ほどで到着。街の北側の駐車場でバスを降り、ローデンブルグ門から市街に足を踏み入れると大通り沿いに見事な中世の街並み(画像A)が広がっていた。第2次世界大戦でもほとんど爆撃を受けず、中世の街並みが奇跡的にそのまま残されたことから、「中世の生きた博物館」といわれている街並みである。
大通りを南に数分歩くと、通りの幅が広がったマルクト広場に出る。西側には見所のひとつ「ドイチェス・ハウス(画像B)」がある。1600年頃に建てられた南ドイツルネッサンス期を代表する美しい木骨組の家で、現在はホテル・レストランとして利用されている。その左右にも同じような木骨組の家が続き独特の風情をかもしている(画像C)。
 もうひとつ見所はドイチェス・ハウスの斜め向かいの「聖ゲオルク教会(画像D)」である。教会正面には13世紀に建てられたロマネスク様式の塔がそびえる。塔の背後の会堂の重厚な扉を開く。20m以上もの高さのゴチック様式の美しいシルエットが長い会堂の奥に広がる。
 駐車場方向のヴェルニッツ門に向う途中に、ゲオルク教会の塔をバックにした見事なドイツ式看板を見つけた(画像E)。
■城壁に囲まれた小さくて美しい「小麦の丘」とも称されるディンケルスビュールでの30分ほどの短い滞在だった。途中、アウトバーンの補修工事による渋滞もあって予定時間を15分ほど遅れた19時45分に無事ミュンヘンのヒルトンシティーホテルに到着した。 

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