明日香亮のつぶやき日記

1999年9月
9月28日(火) メッチャ 忙しかったサラリーマンの なが〜い1日
07:45 本社着。監査室長脇のデスクに着席。本社来訪時の仕事場として勝手に占拠してしてしまったデスクである。ここ3階には誰もいない。専用のノートPCを取り出す。やりかけの午後の商談用資料の作成の続き。10:15には難波のホテルに向かわなければならない。関係会社社長たちとの昼食懇談会がある。途中で手持ち資料を自席デスクに忘れてきたことを思い出す。
09:45 我孫子事務所に到着。持参資料を揃えたり未処理書類の捺印等々であっという間の30分。慌ててホテルに向かう。
10:35 サウスタワーホテル9階「茜の間」着。ホテル担当者との打合わせ。11:00、参会者8名全員到着。親会社副社長の乾杯を皮切りに出席者の忌憚のない発言が続く。さすがに1国1城の主の面々。実に忌憚がない。それだけに社内では中々聞けないホンネの意見は貴重。予定の13:00、無事散会。
13:30 我孫子事務所帰着。少し遅れて担当の常務も。簡単な打合わせ。
14:00 館内の自動車ディーラーである子会社の事務所に向かう。米国人来訪者が待ち構えている。アメリカのビッグスリーの一角を占めるメーカーの日本法人の財務担当役員だ。日本法人は販売戦略のドラスティックな転換を発表したばかりである。転換後のディーラー側の対応を巡っての協議である。通訳を兼ねる財務担当者と大坂支店長を同伴。当社は担当常務と子会社社長、それに小生が加わる。財務担当役員は42歳の白人である。30代から中国に派遣され今年から日本での赴任とのこと。夫人と小学生の子供二人を伴っての海外暮らし。通訳を介しての異邦人相手の率直で自信に満ちた発言が新鮮。初めて間近に接する国際ビジネスマンである。90分程のの懇談が終了。
16:30 西天満の当社顧問弁護士の事務所訪問。店舗の退店を巡る法的対応の打合わせ。予想以上に早く、30分で終了。
17:30 19:00からの講演会迄ぽっかり時間が空いてしまった。思いついて梅田の阪急かっぱ横丁に旧友を訪ねることにした。古本屋さん「梁山泊」の店主は大学のサークルの同級生だ。「生憎、ここから歩いて5分程の本店にいます」とのこと。(へ〜ッ。2店も持っていたんだ。)電話を取り次いでもらい「今すぐどうぞ」。 数年前の訪問以来の久々の再会。口の回りに髭をたくわえた旧友は古本屋のオヤジに見事に浸っている風だった。店番のバイト君の出勤を機に近くのファーストフードに席を移す。互いの近況やら共通の知人たちの消息の交換。かって一度だけ催したサークルの同窓会が話題に。「もう一度是非やろう」とは共通の思い。重ねてきた星霜が学生時代の思い出をかけがえのないものにしている。
18:45 講演会場到着。会場のHEP・HALLは「梁山泊本店」から歩いて10分。観光名物と化した観覧車で一躍有名になったヘップファイブの8階にある。異業種交流会「大阪さくら会」幹事の井上さん紹介の講演会。千里万博公園にある「国立民俗学博物館(民博)」の出前講座である。
今回のテーマは「キムチ開封」(右画像は当日のパンフ)。キムチを様々な角度からアカデミックに調理しようというトークショー形式の講演会である。講師は朝倉敏夫・民博助教授。ゲストに石毛直道・民博館長とモデルで在日韓国人二世のAnnアン。司会進行は吉本興行が誇る知性派芸人?ハイヒール・リンゴといった布陣。
司会のリンゴのハイテンポなトーク(要するに早口)で快調に進行。時折、口を挟む(失礼!)石毛館長のツッカエ気味のスローテンポなシャベクリがお愛敬。民族派のアンさんが民族の誇りであるキムチが世界市場では70%が日本製であるとの解説に感情あらわなブーイング。美しい顔立ちに似合わない気性の激しさに日韓の民族性の違いを垣間見る。韓国では民族服着用での博物館入場は無料。民族衣装の保存のための奨励策。日本でも同様の策を採用すべきでは?ナルホド。グローバル化が進むほどに民族のアイデンティティーは一層重要。会場からのミニコミ誌記者の報告。若い女性の間で唐辛子ダイエットが流行っているそうな。10人に1人が「マイ七味」を愛用とか。(知らんかった) 数々のキムチ料理の紹介。キムチの炊き込みご飯まであるという。これは美味しそう。早速帰って奥様へのリクエストメニューに。スライド、ビデオを交えた知的な90分が経過。最後のトドメはキムチのお土産。臭いの漏れない活性炭容器に入った「大阪鶴橋班家」製造の「生キムチ」である。ちなみにチケット料金は当日1800円(前売り1500円)でした。200席収容のHEPホールは満員御礼の盛況でした。
20:45 さくら会メンバー5人と「軽く一杯」。ヘップファイブ7階の中華居酒屋。ここでも宮川さんの古代史探訪が話題の中心。明日香村に始まり韓国、北朝鮮へと民族のルーツを辿る宮川さんの旅物語。その閉幕は居酒屋の閉店時間を過ぎた22:15分。ビアピッチャー3杯を空にした「軽い一杯」。
23:15 例によって最寄駅には奥様の迎えの車。土産のキムチの話題が愚痴の矛先をかわす。
23:30 帰宅。カラスの行水の入浴もそこそこにベッドに。
00:15 就寝。なが〜い1日の終わり。
9月20日(月) バイアグラ騒動記
高校時代の級友G君(アノ、直木賞作家を巡るその後のドラマの登場人物である)からの連絡。「久しぶりに大阪で会わへんか!晋作が高松から出てくるんヤ。ジャランと4人で飲もうデ。」
というわけで本日の何年ぶりかの高校仲間の邂逅となった。難波のサウスタワーホテルロビーで待ち合せ、近くの『がんこ寿司・難波本店』での小宴会。油ぎっしゅな入道頭のG君のギャグまじりの注文。客慣れた中居さんでもたじろぐ筈。ましてや係りは、二十歳過ぎの初々しい中居さん。発注段階で既にケッコウな盛り上がり。
・・・デ、いつも話題の中心になる「ジャラン」ことF君。アルコールが入るほどに快調なトーク。今回のテーマは、ナント・・・バイアグラだ〜ッ。以下、ジャランのバイアグラ体験記である。
『みんな!バイアグラ、使こーたことある?ワシ使こーてみたで。ここんとこ悩み事なんかがあったりしてアカンかったんヤ。それで試してみたんやけど、効いたワ〜。メッチャ効くデ〜。3回クリアや。クセになってしもた。僕らバイアグラッ子で〜す。言うとくけど前もって飲んどかなアカンで。酒飲んでたら1時間前、シラフの時やったら30分前や。1錠丸ごとは効きすぎるさかい半分にして使こうてるんや。プーチャン(実はこれは小生の高校時代のニックネームなのだ)やるワッ。遠慮スナッて。(別に遠慮した訳ではない。必要性を感じていないのだ。とはいえ、興味が全くなかった訳でもないかッ。)』
ということで我が家には噂の「バイアグラ」がもたらされることとなった。(左の画像である。ジャラン仕様で半分に分割されている。)隠しておくこともないので帰宅後、ヨメハンに正直に報告。即座のリアクション。「お父さん何考えてんのッ」。使うべきか否か。目下の悩みの種である。

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