明日香亮のつぶやき日記

1998年6月
6月30日(火) トム・ピーターズにそそのかされたサラリーマン
いよいよ本日で5年間のFC部勤務ともオサラバである。『サラリーマンにとって異動とは、ヤッパリたいした出来事なのだ』。これが半月程の引継期間を慌ただしく過ごした後の実感である。この間の新任部署でのミーティングで自分なりのビジネススタンスを表明させてもらった。それは結局のところ、自分自身のサラリーマン人生の総括と到達点を整理する作業でもあった。
自分のビジネススタンスを語る上でトム・ピーターズの「経営破壊」の”衝撃”を抜きにはできない。(「経営破壊」ダイジェスト版)そのエッセンスについて次のように整理した。
■地位や報酬よりも、何を(また誰から)学べるかを基準にして仕事を選ぶ。

■職の安定を会社に求める(あるいは、その不安定を会社のせいにする)時代は終わったのだ。
■安定した職を得られるかどうか、高給を手にできるかどうかは、自分のイニシャチブと学習意欲にかかっている。
■自分の仕事(それに人生)には、自分で責任を持つしかないのだ。
■結局、どれだけの権限が自分にあるかという問題になる。自分には絶大な権限があると思い込むことだ。
■自分の権限と行動の自由を自分で生み出さずに、人の指図に甘んじていたら、少しも楽しくないし、たいしたこともやれはしない。
トム・ピーターズにそそのかされた単純な中年サラリーマンは、『危ないサラリーマン宣言』なる一見過激なトーンの処世論を新たなパートナーたちを前に展開した。
1年半ほど以前、危ないサラリーマンたらんとした男の前に新たな上司がやってきた。彼は男に向かって「週報」による報告を求めたのだ。やってみるとこれはなかなかの「使えるシロモノ」だった。男は『週報』の個人的活用手法を次のように整理した。
■情報の部内共有化ツール(顧客は誰か?顧客に何を提供するか?→上司や同僚に何を伝えるのか?)
■問題意識を鮮明化させるためのツール(この会議で、あるいはこの来客から、何を持ち帰るのか、何を自分のものにするのか?)
■処理すべき実務の点検ツール(会議、懇談、訪問時でのポイントは何だったのか?直後の早い時期での記録と点検。)
3年ほどのFC部でのマネジメント職の経験は、『所属長の役割機能』を次のようなものとして認識させた。
■プレイイングマネジャーであり、チームリーダーである。(決して監督ではない)
■所管事項の執行機能。部内の調整機能。部内決済事項の(先送りしない)意思決定。(評価することを避けない)マネジメント機能。
■部内での「○○部長」の呼称は不要!「○○さん」で!対外的な場では必要最小限で。プライベートな場での呼称は論外!(※FC部勤務の間、一 度任命された部長職が組織のフラット化という社内リストラの嵐の中で外された。既にメンバーたちに呼称不要の宣言済みであったことはラッキーだ った。所詮、肩書きなどというものは「空蝉のもの」という他はない。)
おおむね以上のような新任部署でのメンバーを前にした態度表明であった。我ながら「肩肘はったスタンス」の感は免れない。とはいえ、ありのままの自分をオープンにすることもまたディスクローズのひとつと思うし、発信者により多くの受信があると信じていることも事実である。
6月23日(火) 生花に包まれたシュンちゃんの寝顔
生花に包まれた「シュンちゃん」の寝顔は驚くほど安らかだった。その安らかさに隠された故人の無念さに思いをはせた時、溢れる涙を留めるすべはなかった。JR福知山駅近くのメモリアルホール。朝10時から始まった告別式の最後のお別れの機会は11時近くになって訪れた。予想を上回る参列者の焼香の列が、読経の時間を延長させたようだ。
50才の働き盛りだった。一男二女の子供たちの末っ子はまだ中学生の女の子。年老いた実母は突然降りかかった逆縁の不幸に耐えかねている。かたわらで働き者の商家の嫁が姑をいたわるように精一杯の気丈さを演じている。仕事の上でも家庭でも最愛のパートナーだった女性(ひと)だ。
福知山店の店長職を辞して既に5年余り。祭壇の遺影が彼らとの懐かしい思い出を呼び戻す。
20年近い労組役員を退任後、初めて経験する現場責任者としての3年半の福知山勤務だった。赴任先は地元の専門店有志がデベロッパーとなった共同店舗の核店舗。地元商店で構成する専門店ゾーンと核店舗との全体運営の調整は店長の主要任務である。地元商店のオーナーたちと核店舗の店長・マネジャーで「同友店会」なる組織が構成されていた。核店舗の店長は自動的に副会長となる。会長と4人の副会長が運営の中心だった。会長の「ケンちゃん」に副会長の「シュンちゃん」「トッチャン」「オダニさん」それに私が加わった。少ない営業経験の上に歴代店長としては異例の「通勤店長」だった。そんな私を暖かく迎え入れてくれた仲間たちだった。市外出身の「オダニさん」を除く3人は幼なじみだ。彼らの子供の頃からの呼び名が私にとっても共通の呼び名になるのにそれほどの時間は必要なかった。
「同友店会」主催のアメリカ視察旅行は、彼らを中心に10名のカントリーオールドボーイたちの珍道中だった。競合出店に備えて勉強と懇親を兼ねた同友店会主催の合宿研修が始まったのもこの頃だった。発案者は私だったと記憶している。そして・・・・。今尚続けられていた年に一度の合宿研修の終了直後の出来事だったという。総務担当だったシュンちゃんが片づけを終え、最後に帰宅する途中の事故だった。マイカーが電柱に激突。病院に運ばれた後1週間ほどの闘いの末、旅立ったとのこと。事故後に知人たちからの「時々フッと意識がなくなる」と言って自転車を押している姿を見掛けたという証言もあったという。健康診断も思うに任せない商店経営者たちの過酷な生活である。
同友店会の初代会長であり今はディベロッパーの社長の弔辞。「シュンちゃん!遺された家族の皆さんの幸せと、アサヒ堂の繁栄をいつまでも見守っていて下さい」。合掌。

6月16日(火)
ツワモノたちの夕べ
年に1度この時期に大手チェーンストア労組の元委員長たちの集いがある。概ね箱根界隈のホテルが会場となる。今年も16日の夕食懇親を中心とした湯元温泉での案内。午前中の部内会議を終えて新幹線経由で会場に。
午後6時、懇親会が始まった。今年も30名のOBたちが集まった。乾杯の音頭を指名されたのはJ労組の元委員長のK氏。冗談好きの快活ないつもの調子と様子が違う。「昨年10月にこの会のメンバーだったOさんが肺癌で亡くなりました。乾杯でなくOさんへの献杯と1分間の黙祷で開会したいと思います。」 Oさんは、ずっと以前にD社に合併されたS社の初代委員長である。まだ60才前後だったはず。黙祷のあとK氏から亡くなる前後の経過報告。K氏とOさんの単なる友人の枠を超えた結びつきの深さがいくつかのエピソードを通して伝わる。
献杯の後の懇親、そして出席OBたちの近況報告と続く。とはいえ時間の経過とともにアルコール度数は高まる一方。報告者は、自由懇親というざわめきがメインとなった会場に立ち向かうことになる。結果はよほどのインパクトがない限り、概ね手応えのないむなしさとともに報告終了。
今年のトピックスは何と言っても、昭和13年・寅年生れの親分衆たちが定年退職を迎えたことだ。その数ざっと5〜6人。一大勢力である。チェーンストア労組の創業期を20代、30代の若さで支えたツワモノたちである。彼らの多くは、委員長退任後の企業社会での活躍もめざましい。そんな彼らが第一線を退く時期を迎えようとしている。ひとごとではない。
宴席のピークを過ぎた頃「中締め」と称するお開きの儀式となる。「イヨーッ」「シャン」の一本締め。
そして恒例の記念写真。頭の輝きとフラッシュの輝きの相関がひとしきり大騒ぎとなるのも恒例行事である。記念写真に写された顔ぶれが少しずつ変わっていき、静かに着実に世代交代は進んでいく。

6月11日(木)
カメラはどこだッ!
母は、先月末から加古川の弟宅に3週間程滞在している。この間、岡山の妻の両親が1週間程、我が家に滞在。義母は、母とどうよう足腰が弱ってきている。妻は休むまもなくその面倒をみることに。岡山の両親たちも帰宅した後の束の間の空白。夫は感謝の気持ちを素直に口にできないオジサン世代。感謝の気持ちは行動でくるんでしまう。そこで夫婦だけの1泊2日の小旅行。今回は開通間もない明石海峡大橋経由の四国の旅。旅先のトピックスあれこれ。
【トピックスその1】
初日、徳島県の秘境「祖谷(いや)渓」の『かずら橋』のスリルを味わった後、大歩危小歩危の遊覧船に向かった。霧雨の中を行く渓谷の幽玄な風情は山水画の世界(左写真)。30分程の遊覧を終えて船着場に降り立った時だった。
頭上のドライブインから乗船のために降りてくるオジサンの一団と遭遇。何気なく目をやって息を呑んだ。軍団の中に・・・合わせるはずのない顔がそこにあった。担当業務のユーザーであるFC店の社長である。先に気付いたらしい様子の
先方はユトリの表情。突然の事態に小生は瞬間的に周章狼狽の体だった筈。よく考えれば後ろめたいところはまったくない。振り返って、自らの危機(?)管理のお粗末さに恥じ入るばかり。それにしても偶然の恐ろしさ。人間、悪いことは(まだ言っている)できないものである。

【トピックスその2】

初日の泊りは松山「道後温泉」。お目当ての『道後温泉本館』近くのホテルにチェックイン後、早速散策。道後温泉駅前の「坊ちゃんカラクリ時計」の精巧さと演出の巧みさに感嘆。土産物屋の並ぶ道後商店街をそぞろ歩き。
そしていよいよ「坊ちゃん温泉」に。「本館」正面入口で木戸銭の支払。「霊(たま)の湯2階席・980円也」を求める。芝居小屋の舞台裏のような通路を伝って「霊の湯2階席」に(右写真)。ここで浴衣に着替え、係りのおばさんに貴重品を預ける。引換えに平の金属のワッカ(ブレスレット?)を貰う。中二階の「霊の湯」にようやく到着。浴室自体は「20畳位のスペースに縦横3m×6m位の湯船」といった意外と小ぶりな造り。旅の垢を落とし湯船で手足を伸ばし、ゆったり気分満喫。・・・とここまでは物珍しさ以外は何事もない穏やかな旅情のひとこま。
突然風景が一変した!背後から二人の入浴客の気配。ふと見ると腕に何やら墨模様。不吉な予感。二人連は、小生を挟むように左右の湯船の縁に腰掛けて一服。そこで発見。デタ〜ッ背中一面見事な彫り物。右側の50前後の幹部風は「不動明王」が目を剥いている。左側の20代後半の優男は「昇り龍」がとぐろを巻いている。これは悪夢か?はたまたドッキリカメラか?ならばカメラはどこだッ!
それにしてもこれほど間近にかくも見事なクリカラモンモンを目の当たりにするとは。もちろんジロジロ眺めるほどの度胸もない。「見事なものですな〜」などと話かけてみたい衝動にかられたものの実行に移すなど及びもつかない。横目でチラチラ盗み見するのが精一杯。彼らの入場直後の退場も何やら危険な予感。ここは一番、「やれやれよく浸かったな〜」という雰囲気での退場が肝心・・・などとあらぬことを計算しながら、ことさらゆっくり退場。
「霊の湯2階席」で入浴後のくつろぎ。見事な塗り物の茶托にもられた煎茶に名物の煎餅を賞味。(ガイドブックによればこの茶托は輪島塗りで今作ればナント7万円もするとか。湯飲みも砥部焼きとのこと。左写真。)
思わぬハプニングに日常生活から隔絶した旅のもたらす面白さをあらためて実感。これはヤッパリ日記に書いておこう!

6月9日(火) トップ交替
「チョットみんなを集めてくれるか」。終業時間もまもない時だった。担当役員のN部長の指示。ここ1ヶ月ばかり社長交代に伴う新たな組織と人事の調整が進められていた。今日はその最終決定の取締役会の日だった。担当役員の急な招集の意図は明らかである。
トップ交替』。サラリーマン社会に数多くのドラマを招く出来事である。トップを頂点とする権力構造はその交替とともに地殻変動を招かざるを得ない。従ってそれはしばしば幹部人事の劇的な変更を招くことになる。企業社会とはそうした形で自らを新陳代謝させながら生き延びているのかもしれない。
「日高部長は○○部長をやってもらうことになりました」。事前の調整もあり覚悟していた辞令ではある。とはいえ5年間担当した現部署から離れることが正式に告げられた瞬間である。手がけている新たな事業計画への思いが去来する。新たなポストでの不安も募る。サラリーマン社会に属する限り選択の余地はない。ならば前向きに受止める他はない。
後任人事も告げられた。我が部署にも少なからぬ衝撃が走る。おそらく多くの部署でも同様のドラマが始まっていることだろう。
今日確定した店長・部長人事から半月遅れで統括長クラスの人事が確定するはずだ。その後さらに担当者クラスの人事へと続く。
『トップ交替』という震源は、こうして時間の経過とともにより大きくより幅広い津波となってサラリーマン社会に押し寄せる。

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