1995.01.16  書籍「経営破壊」
トム・ピーターズの
第1章 「変革」を超えて─あらゆる物を廃棄しよう─
第2章 「分権制」を超えて─組織を解体し想像力を解き放とう─
3章 「権限付与」を超えて─すべての仕事をビジネスに変えよう─
第4章 「忠誠心」を超えて─フリーランサーの考え方を身につけよう─
第5章 「組織の解体」を超えて─「ローラデックス型企業」を創ろう─
第6章 「リエンジニアリング」を超えて─企業トークショーを演じよう─
第8章 「TQM」を超えて─「WOW!」をめざそう─

第1章 「変革」を超えて ─ あらゆるものを「廃棄」しよう ─
・こんな時代には、2種類の経営者しか存在しない。生者と死者、つまりは素早く対応して生き残る経営者と、対応できずに破滅する経営者だ。
・「変革」という言葉はもう忘れてしまおう。これからのキーワードは「廃棄」と「革命」である。
・マイクロソフト社の強みはただ一つ、人間の想像力だ。
・「人間の想像力をマネジメントする」とはどういうことか。
・「情報と知能と想像力の時代」の到来。
第2章 「分権制」を超えて ─ 組織を解体し想像力を解き放とう ─
・爆発的に増加する不確定要因に対処するため、企業はますます「分権制」─「権限の分散」を迫られている。 だが1994年という今にいたるまで、大半の企業の「権限の分散は、組織の構成単位に深くしみこんだ本物の(そして非常識なまでに徹底した)自立を達成するにはいたっていない。
・「単純な話です。要するに従来の枠組みをはずしただけです。すべての部課を廃止し、管理職の肩書きを一切なくした。そうすると、煩雑な事務仕事もなくなった。我々の面倒を見る秘書もいらなくなった。型にはまった月並みな組織を丸ごととっぱらったんです。おかげで非常に競争力がついた。もう形式にとらわれなくてもすむからです。仕事の運びぶりと結果だけを見ればいい。」
・末端に責任を持たせ、仕事を創造させ、それにあった組織を作らせる。末端の従業員が自分たちのショーを自ら演出するのだ。
・分権型組織は中枢部が周辺の組織に一定の権限を与えるが、連邦型組織は周辺部の方が中枢部に(しぶしぶながら)一定の権限を委ねるのだ。
・中間管理職は、企業の動脈を詰まらせてしまう血栓だ。中間管理職が、定められた仕事をマニュアルどおりにまじめにやればやるほど、その結果は会社にマイナスになる。それも非常に大きなマイナスに。
・新テクノロジーが世界中に普及し、貿易自由化と金融市場の規制緩和が進み、各国の消費者が似たようなニーズを持つ時代になった。かつてはこうした変化が巨大企業に有利に働くと予測されていた。だが実際には、小回りのきく小型と中型の企業がビジネスチャンスを奪い、大企業は肥大した組織の無能ぶりをさらけ出しただけだった。1993年には”大きいこと”はもはや”勝利”を意味しない。近い将来、それは”敗北”を意味するようになるだろう。
・我が社の巨大な屋台骨に、小さな会社の心意気と素早さを取り入れること。
・プロフィットセンターは、際立った独立採算性を採用しており、普通は1人のチーフとそれを補佐する4人の管理スタッフ(経理、エンジニアリング、業務執行、マーケティング/販売の責任者)がいる。
・ほとんどのセンターが、独自の顧客を持ち、損益計算書も貸借対照表も独自に作成している。
・「経営陣に刃向かってこそ、いい仕事ができる。」 これは永遠の真理かもしれないが、とりわけ今の混乱した時代、クレイジーな時代には忘れてはならない言葉だ。
・一般には、社長は組織をまとめる人間だと思われているが、実は率先して組織を解体する人間でなければならない。
第3章 「権限付与」を超えて ─ すべての仕事を「ビジネス」に変えよう ─
・「細分化した会社」が「分権制の会社」のはるか先をゆく存在であるのと同様に、「ビジネスパーソンの集合体」に変身した企業は単なる「従業員に権限を付与した会社」のはるか先を走ることができる。
・今日でも普通の企業のありきたりな従業員は、会社の組織機構図の四角い枠の中に閉じこもり、ばかばかしいほど事細かな職務記述書の規定どおりに仕事を運ぶだけで1日を過ごしている。持ち場の枠から一歩も出ようとしない。今こそそんな枠を打ち破るときだ。
・ビジネスパーソンは起業家であり、家族経営の店主と同じような才覚と仕事への打ち込み振りを身につけている。どこにでも足を運び、誰とでも会い、仕事の枠を遠慮なく打ち破って、素早く充実した仕事をこなそうと心がけるのだ。
・上司は部下に半分だけ権限を委任することをしたがる。だがそれは決してうまくいかない。それよりも従業員がくたくたになるまで訓練を施し、困難なプロジェクトの実践を通じて鍛え上げ、あとはもう自由にやらせるのがいい。
・「自由にやらせるとは、ストレスで胃がキリキリ痛むような体験を一人きりで積ませることだ。誰の助けもなく、本当に一人きりで。そうして腹の底から「この仕事はおれのものだ」という当事者意識に目覚めなければ、実際に仕事を自分のものにすることはできない。要はそれだけ。
・「プロの用務員というのがいたっていいじゃないか。」
・人々が自分の仕事に─それも世間からは取るに足らぬ雑用とみなされがちな仕事─抱いている責任感とプライドを上司が尊重するなら、人々の持つ大きな潜在能力を引き出す方法について思い当たるはずである。
・従業員一人ひとりに、自分が責任を持つべき顧客がいるか。従業員各位が顧客のニーズに応える多岐にわたる「全仕事」を持っているだろうか。
第4章 「忠誠心」を超えて ─ フリーランサーの考え方を身につけよう ─
・12月31日に、自分の専門職としての価値を総括する。
1、93年に終了した主なプロジェクトを2つか3つあげる。
2、自分が顧客のそれぞれにもたらした利益を量的および質的に評価して列挙する。
3、過去一年間に仕事をした先の顧客に、自分の存在価値を証明する推薦状を書いてもらう。
4、過去一年間に学んだことを具体的に説明し、一年前に比べ、現在の自分の価値がどれだけ増したかを具体的に示す。
5、自分のネットワークが広がったことを強調し、新たに開発した人脈を示す。
6、一年前とは内容のかなり違う履歴書を書く。
・これからは「履歴書を書かせる(レジュメイキング)」ことを主な管理戦略とすることを勧めたい。
・上司は3ヶ月ごとに部下の最新の履歴書を本人と一緒に見直し、次回の履歴書に書き加えるのにふさわしいプロジェクトをともに企画するのだ。いっそのこと全員の履歴書を公表し、誰がもっとも前回を上回る充実した履歴書を書けたか、コンテストをしてみてはどうだろう。これもまた関係者全てに好ましい結果をもたらすはずだ。従業員は、現在の会社に残ろうが、別の企業に移ろうが、専門家として生き延びるチャンスを高める手段と仕事を追求しようと心がけるようになる。そして従業員の成功は、上司の、また企業の成功をもたらすのだ。
・組織が体系的に整備されていないと落着かないといった人間は、企業の中でも生き延びられません。我が社ではその用意ができていない者でも責任を負わされます。用意万端整うまで待っていたらきりがないですから。ここでは、やるべきことをあれこれ指図されることはめったにありません。いわゆる意思決定者など探しても見つかりはしないんですよ。だから間違っていようがいまいが、自分で決断して行動に移すしかない。何かをやらなけりゃいけません。肝心なのは事を起こすことなんです。何もやろうとしないのは自殺行為です。
・地位や報酬よりも、何を、また誰から学べるかを基準にして仕事を選ぶ。
・職の安定を会社に求める(あるいは、その不安定を会社のせいにする)時代は終わったのだ。あなたが持つ社外の人脈が広がれば広がるほど社内での地位は安定するし、人脈のネットワークが貧弱になればなるほど不安定になるのだ。
・結局、どれだけの権限が自分にあるかという問題になる。誰かに「おまえにはそんな権限はない」といわれるか制止されるまで、自分には絶大な権限があると思い込むことだ。自分の権限と行動の自由を自分で生み出さずに人の指図に甘んじていたら、少しも楽しくないし、たいしたこともやれはしない。
・ハッキリと決断し、自信を持って行動して、傍らからもそう受け取られておれば、驚くほどたくさんのことを、うまくやれるし、他人も納得するものなのだ。
・シリコンヴァレーのようなところでは、若い人であろうと、数社の職歴が無いと企業は採用したがらない。ろくな転職経験のないのは、活気も度胸もない証拠とみなされる。
・アップルを去るときには、地元の労働市場でも世界の労働市場でも、アップルにいなかった場合に比べて明らかに有利な立場に立てるということだ。
・自分にボールが渡されているのだ。アップルというグランドには、挑戦すべき専門分野がたくさんあり、才気あふれる先輩や同僚がそろっている。それを利用して学ぶことだ。
・安定した職を得られるかどうか、高給を手にできるかどうかは、自分のイニシャチブと学習意欲にかかっている。時分の仕事(それに人生)には、自分で責任を持つしかないのだ。
第5章 「組織の解体」を超えて─ 「ローラデックス型企業」を創ろう ─
・これからの時代、人々は企業ではなく自分で築いた人脈ネットワーク(ローラデックス)に忠誠心を抱くようになる。
・ビジネスチャンスを創りだすには、組織に最高の人材を集め、素早く有機的に結びつける必要がある。このような組織を「ローラデックス型企業」と呼ぶことにしよう。
・新しい「組織」は、これまでの企業モデルとはまったく異なったものになる。フリーの契約者、アチコチの組織に属するスタッフやパートナーが特定の目的のために集まり、協力して仕事に取組む。そして、いったん仕事が完了したら解散して、二度と再び同じ形では集まらない。将来の組織の姿はおそらくこうしたものになる。
・企業自体も得意分野に焦点を絞る一方で、その他の業務は外部に委託するようになり、業務の種類に応じてさまざまの分野の専門家とネットワークを組んで協力し始めている。
・社外のクリエイティブな才能を、業務の基本的な中核分野で活用する。この考え方は今やビジネス界の趨勢となりつつある。
・仕事の中身が車の誘導だろうとバイオテクノロジーの研究だろうと問題ではない。世の中にはまるで生死のかかった問題であるかのように、狭い分野の仕事に必死で取組んでいる人々がいるのだ。だが彼らにとっては、マイクロソフト社の会長が次世代ソフトウェアの開発に情熱を注ぐのと同じように、駐車こそが情熱を注ぎ込む対象なのだ。そして情熱があれば完璧な仕事ができる。
・こうした点を認識すれば、企業内で人的サービスを提供する部門は危機感を持つべきだという議論も、理解できるはずだ。社内ばかりでなく社外にもサービスを提供して利益を上げなければ、これらの部署の人間は生き残ることができない。
・次の時代を担うのは、専門サービス会社だ。
・今や頭脳労働こそ本物の仕事になり、あのようなもの(肉体労働)は、急速に社会の周辺部に追いやられつつある。
・純粋な頭脳労働によるベンチャー事業が、元手をまったく必要とせず、頭だけを使って大きな経済的価値を創りだす。
・現代の企業にとって戦略上の大きな鍵となるのは、どうやって情報を獲得し管理していくかという点だ。企業は驚くほど多様な、また地理的にも組織的にも分散した存在になりつつある。各地に散らばった資産を効率的にまとめ、一つのプロジェクトやビジネスチャンスに振り向けることはますます困難になってきた。
・今世紀の特徴ともいえる煩雑な官僚的機構は、メンバー相互が柔軟に結びつき依存しあうタスクフォース的な組織に取って代わられるだろう。
・新しい企業社会の構築に大きな役割を果たすのは、コンピューター・テクノロジーがつくりだすサイバースペース(電脳空間)だ
・サイバースペース企業は、行動の素早い、極めて流動性の高い組織になるはずだ。この種の企業は、ビジネスチャンスにひかれて集まるクリエイティブなハイテク遊牧民で構成されるようになるからだ。
・「所有して支配する」とか一つの場所で仕事をするといった古い企業モデルは、現代のビジネス社会では死に絶えた。おそらく核となる専門分野を見つけて専門能力に磨きをかけるという新しいモデルも、もはや時代遅れだろう。
・何でも自分のところでやろうとする企業が、もはやビジネス社会の恐竜と化したことは疑いない。
6章 「リエンジニアリング」を超えて─ 「企業トークショー」を演じよう─
・中央のスタッフの専門能力はいつにもまして重要になっているが、本社はいつにもまして不要になっているのだ。専門的な知識の重要性はいくら強調しても足りないが、だからといってエキスパートが全員本社にすし詰めになって、社内政治や上役の御機嫌とりに多大の時間を費やす必要はない。エキスパートは現場にいるべきだ。現場こそ専門かとしての知識がもっとも必要とされる場所である。
・エキスパートは「中央集権化」する。つまり通信ネットワークを通じて共有の知識を蓄積し、現場の求めに応じて即座にそれを提供する。そのためにはいくら多忙でも、進んで知識と経験を共有する習慣が身についていなければならない。

知識の時代の企業組織は、「相互に連結された組織コミュニティーの集合体にほかならない。
・広く分散した人々を結ぶ永続性のないネットワークで知識を共有して、学ぶという微妙なプロセスになれない限り、知識の時代には生き残れない。
もっとも刺激に満ちた組織コミュニティーは、組織と組織の協会にあり、あらゆるタイプの人材をひきつける。
・変革のカナメとなる組織コミュニティーは、意図的に創れるものでなく、自然発生的に生まれていたものを「発見」し、「支援」することしかできない。
かっては電話で長話をしたり、コーヒーメーカーのそばでぶらぶらしていると「無駄話をやめてさっさと仕事をしろと上司に怒鳴られたものだ。だが今や、長電話をしたり同僚や顧客と話をしていないともっとみんなとしゃべって、仕事をしろと怒鳴られかねない。今の時代には会話は、もっとも重要な仕事の形態なのだ。知識労働者は、会話を通じて自分が何を知っているかを自覚し、それを同僚と分かち合う。そのプロセスで、組織のために新たな知識を生み出す。
・何かに適応すれば、適応能力がなくなるというのも事実だ。一定のパターンを打ち立て、何かに対して有能になるということは、必然的に視野を狭めることにつながり、未知のものに適応する能力が失われる結果を招く。それを避けるには「過去から蓄積されてきた知恵を、ときにはうたがってかかり、記憶を有害なものとみなす姿勢をとることだ。「記憶を消す能力がなければ人は生きられないという言葉に共感を寄せよう。
・外注にまわすことも過去への執着を断ち切り、記憶を消すのに効果がある。但し、企業活動の核をなす部門のかなりの部分を外注にまわす覚悟がなければ、あまり役にたたない。
・社内のどこに知識が蓄積さtれているか、その内容はどうゆうもので、どれだけ価値があるか、あなたは知っているだろうか。
・社内の「組織コミュニティー」(非公式な知識共有ネットワークで、しばしば社外の人も巻き込んでいる)を知っているだろうか。
・あなたは通信ソフトを試しているだろうか。例えばあなたの家のパソコンでコンピュサーブが呼び出せるだろうか。
第8章 「TQM」を超えて ─ 「WOW!」をめざそう ─
・型破りに徹して、顧客をあっといわせてみよう。全力を傾けて顧客に働きかけてみよう。ともあれ、80年代
に体験をつんだTQM(総合的品質管理)をはるかに越えるマーケティング戦略が必要となる。
・アメリカ人は昔から、つくっては使い捨てにするのを得意としてきた。そして後年、世界随一の大量生産国となったのだ。ドイツの製品が誇る数百年にわたる品質の伝統、ましてや千年もさかのぼる日本の工芸のすぐれた伝統など、アメリカには今も昔も全くなかった。
・ビッグ3が欠陥個所減らしに夢中になっている間に、日本の自動車メーカーは、目標を欠陥個所のない「優れた品質」から「魅力的な品質」に移し始めた
・互いに品質よりも低価格を売り物に勝負している商品が大半を占める今日の状況に、消費者はいいかげんうんざりしている。
人々がどうしても買いたくなって店まで出かけていくような、何かわくわくする魅力がなくては駄目だ。
・スウォッチは世間に向かってもはや正確な時刻を示すことだけが時計の最も重要な役目なのではないと訴えかけたのだ。キチンと時刻を知らせることだけなら、5ドルの時計も3万ドルの時計もさして変わりはない。時刻を知らせる機会としての時計ではなく装飾品なのだと認識したとたんに、スイスの時計産業は勢いを取り戻した。そして今では、装飾品としての時計が業界の主流となった。
・行って楽しかったと患者が言うような病院をつくることこそ、真の挑戦なのだ。病院から戻った人に「楽しかった?」と尋ねるなんて、素晴らしいではないか。要するに転換だ。鋳型を破ることだ。そうすれば何でもユニークなものにできる。
・ヴァレリオの店からどんなことを学べるだろうか。『わくわく』・・・。店を際立たせていたのは「活気だった。粋で、奇抜で独特の個性があった。『驚き』・・・。ヴァレリオの店は、驚きだった。『びっくり仰天』・・・。わくわくや驚きを超えて、この店での食事はハプニングだった。『破壊』・・・。メニューならぬめニューから、客がよせた不満を額に入れて飾ることまで、ヴァレリオはレストランの伝統を片っ端から破った。『満足を超えて』・・・。この店はレストランの定義を変えた。植字というよりイベント、ライフスタイルを提供するところ、という方がふさわしい。
・スウォッチの会長はこう語っている。「我々が信じて疑わなかったのは、各人が自分の夢と教養を感情のこもった製品に活かすことができれば、誰にも負けないものを創れるということでした。感情はばれも真似のできないものですからね。」
・ソフトウェアの専門家から経営管理の権威になったガイ・カワサキは、ごく普通の従業員を荒れ狂う恐竜のような伝道者にしたと語っている。
・新テクノロジーは「大量生産の企業でも、小企業主と同じように、ひとりひとりの顧客と個別に取引きすることを可能にした。
・製品によってではなく、顧客によって組織を組むやり方は既に実施されている。
・製品中心の組織ではなく、顧客リストに沿った組織が求められている。その場合製品開発の活動も顧客管理の活動下に入る。
・我々のところに送られてくるカタログにしても、過去の購入を参考にして、少なくとも大雑把には、我々の嗜好に合わせたものが送られてくるようになった
・エレクトロニクスの力を借りて、このような親密な関係を達成する目的は、企業の目が市場のシェアから顧客のシェアに移行しているためである。
・顧客がサービスについて評価するとき、サービスの結果と同じくらい、あるいはそれ以上にサービスの過程を重視する。
・顧客がサービスをどのように評価するかは、自分がどのように扱われているかによるところが大きい。
・群れの中に混じっていたのでは、本当の競争相手を見失ってしまう。本当のライバル会社は、群れから外れたところにいて、自分たちの業界の面目を一新させたばかりの新方針とは逆の方向をめざしている。
・「この業界では用心のしようがない。我々のやれることといえば、せいぜい果敢な攻めに出て強烈な印象を与え、あとは顧客の選択に任せるだけだ
以上。

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