明日香亮のつぶやき日記 2005年3月

3月10日(木)大衆演劇バーチャンたちのララバイ
■私の職場は、地下鉄「花園町駅」から徒歩5分のところにある。大阪の典型的な下町であり、昔から大衆演芸が盛んな街だったという。職場から300m圏内に「梅南座」と「鈴成座」という大衆演劇の専門劇場が2館もあり、今尚その面影を残している。
 付近を歩くたびに街角に掲示された劇場ポスターがいやでも目に入る。歌舞伎文楽を形ばかり味わったが、大衆演劇はそうした古典芸能とは一味違った興味を覚えさせる。そんなわけで1度は観てみたいと思っていた大衆演劇だったが、いざとなると多少の敷居の高さを感じさせるのも事実である。意を決して先日、とうとう独りで「鈴成座」の木戸をくぐった。
■地下鉄花園町駅を降り、大阪でも有数の商店街である「鶴見橋商店街」のアーケードを500mばかり西に向う。しばらく歩くとアーケードに吊るされた「鈴成座」の案内看板が目に飛び込む。看板の先を左に折れると、役者名を大書した幟が劇場のありかを教えてくれる。昔ながらの芝居小屋の雰囲気を漂わせた間口13mほどの鈴成座の建物が、幅3mほどの狭い路地の一画に佇んでいる。(隣の建物二階では、今は見かけることも少なくなったストリップ劇場が今尚、現役で営業中である。その健気さに感動すら覚えてしまう。)
 劇場正面のホワイエもどきの土間の奥に木戸?がある。モギリおばさんに自動販売機による入場券の購入を指示される。およそこのシチュエーションには不釣合いな機械を前に懐古趣味だけではやっていけない現実を知らされる。とはいえこのご時世にナマの芝居が1300円とはいかにも安い。チケットをガラス越しに渡して無事入場を許される。 
鶴見橋商店街 鈴成座前の路地 芝居小屋風の鈴成座の概観 館内の飲食コーナー
■館内に足を踏み入れて驚いた。平日の開演15分前(11時45分)の館内は既にほぼ満席である。左手の中ほどに辛うじて残されていた空席を見つけた。着席してあらためて館内を眺める。舞台に向かって左手に、ナント!花道が設けられ、その左側は桟敷席になっている。ざっと数えてみると椅子130席、桟敷30席の約160人が定員の劇場である。舞台両サイドの壁面を、公演中の一座の花形役者の幟が吊るされ、芝居小屋の情緒を盛り上げる。(着席後しばらくすると劇場従業員らしきオジサンがやってきて「その席は指定席だから200円戴きます」とのこと。イマイチ納得できなかったが今更空いてる席もないので応じる他ない。)
 観客の圧倒的多数は高齢の女性である。おばあちゃんたちの憩いのメッカといったところか。かろうじて連れ合いと思しきおじいちゃんの姿が散見される。中年のサラリーマン風の一人客は、この場では確実に浮いている。
■12時、いきなりマイク放送が始まり、オジサンの声が開演を告げる。鈴成座は、3月一杯は昨年8月に結成したばかりという「春陽座(はるひざ)」の公演である。公演は三部に分かれている。第一部は3幕の通し狂言「江戸の夢」、第二部は舞踊ショー、第三部は組ショー「曽我物語」という構成でお贈りしますとの口上。
■通し狂言「江戸の夢」が始まった。舞台は江戸のとある御茶屋の一室。御茶屋の主人とお抱え芸者の掛け合いで幕が開く。いたってシンプルなストーリーの概要は以下の通り。
 芸者に入れあげお茶屋に入り浸りの呉服問屋の若旦那が、番頭の諌めを振り切って実家とも縁を切り、芸者とともに裏長屋で不慣れな大工稼業を始める。
 1年が経ち、寝込んでいた大旦那の亡き後の店を守ってきた番頭が、若旦那の住む長屋を訪れる。貧乏暮らしでも我が儘放題の芸者に、ようやく我が身の愚かさを反省し身を糺している若旦那。番頭は「今は私が主人として料理屋をやっている元の呉服問屋の店を手伝わないか」と若旦那を試す。
 意を決して訪れた実家の店で若旦那は元の奉公人一同にあらためて主人として暖かく迎えられる。
■副座長・澤村新の若旦那、座長・澤村新吾の番頭という配役。総勢13人の座員が総出のお芝居である。
 中年座長の貫禄十分な科白回しと軽妙なアドリブが観客を舞台と一体化させる。「恨みは恨み、情けは情けでございますッ」と座長が思い切りクサイ見栄を切る。すかさず観客は、ここぞとばかり盛大な拍手で答える。「座長ッ!」の声が飛ぶ。
 この熱気と盛り上がりは一体何なのか。おばあちゃんたちのこの元気はどこからくるのか。お芝居には少し引いてしまうものがあるが、場内の盛り上がりへの驚嘆は隠せない。お芝居の進行に合わせて座席後ろのおばあちゃん二人組みは、「あれは言うたらアカンわな〜」などと、すっかり劇中の人物と一体化した会話を世間話のように続けている。咎める者は誰もいない。「大衆の演劇」の人気の秘密なのか。1時間あまりの「江戸の夢」はこうして幕を閉じた。 
座長・澤村新吾とカメラを構える観客 副座長・澤村新の女形 美人女優・澤村かな 花をつける観客
■休憩時間を挟んで第二部「舞踊ショー」が始まる。BGMに合わせて座員全員が次々と踊りを披露する。一人舞、グループ舞、美人女優の舞、子役の舞、男舞、女形舞など様々なショーが12曲に渡って演じられた。
 この舞踊ショーに入って、突然観客はアクティブになる。お目当ての役者が登場すると舞台まで近寄り役者を見つめる。心得た役者はご贔屓の前に片膝をつく。ご贔屓筋は役者の胸元や帯締めにお札を差し込む(ほとんどが1万円札で、中には数枚を扇形にしてピンで留めている)。この間、踊りは一方的に中断されるわけだが、当然ながら文句をつける観客はいない。役者はタイミングを見計らい何事もなかったかのようにBGMの流れに戻っていく。踊りを中断させたご本人も、なんら悪びれる様子もない。自席に戻る様はむしろ誇らしげにさえみえる(さすが大阪のオバチャン)。
 舞踊ショーになると後方からフラッシュを炊く気配がする。前の席のオジサンも堂々とデジカメを構えだした。お芝居中は駄目でもショーの時は許されるという暗黙の了解があるようだ(もちろん小生も暗黙の了解に従った)。
■第三部が始まる前に、劇団の口上挨拶があった。座長は初日以降の連日の大入りにお礼の口上を口にする。その後、3月30日までの前売券(1000円)の販売タイムとなる。役者が客席を回って直接チケットを渡し握手を返す。飛ぶように売れていく。
 残り20日ほどの期間の前売券である。今来ている顧客に同じ芝居を見せられない。ということは、連日、異なる演目を上演しているということか?だとすれば、それはそれで劇団側の涙ぐましい努力とエネルギーというほかはない。
 第三部の組ショー「曽我物語」は、いってみればパントマイムショーのようなものだ。曽我の十郎、五郎の仇討物語を三波春夫の浪曲歌謡に合わせて無言で演じるというショーである。
■3時間余りの公演が終了した。観客は満足げに出口に向う。出口前のホワイエ?には演じ終えたばかりの役者たちが舞台衣装のまま待ち受ける。握手を交わし、感想を述べ合い、舞台を離れたひと時の生の交流が交わされる。半ば路地を塞いでしまい、通行人とも袖すりあわせながらの交流である。 なんというサービス精神だろう。なんという大衆性だろう。「大衆の演劇」の真骨頂がここにも展開されている。
■初めての大衆演劇だった。いくつかの驚きと発見があった。
 平日の開演前の満席に驚いたが、考えてみればメイン客層は毎日が日曜日なのである。なまじ混み合う週末は避けたい層なのかもしれない。劇場の音響設備はかなりお粗末だが、音量だけは耳に響きわたる大きさである。耳の遠いお年寄り向けの音響という勘ぐりもあながち的外れでもあるまい。役者の中心は、若い男性だ。しかもイケメン揃いである。日頃接することのないイケメンたちが、目前に身近な役者として登場するのである。オバアチャンたちが、熱心なリピーターになるのに不思議はない。
 要するに大衆演劇とは、顧客層をオバアチャンに特化したシルバービジネスなのではないだろうか。そしてそのための凝縮されたノウハウが、オバアチャン以外にも普遍性を帯びたサービス精神として共感を与えるものに仕上がっていく。
■小学生高学年の頃まで生まれ故郷には村芝居があった。私の5、6歳上の世代までは、青年団の一員として誰もが芝居を演じていた記憶がある。初めて大衆演劇を観て戸惑いはあったものの、どこか懐かしい安らぎを覚えたのも、少年時代の原風景の記憶だったのだろうか。
 杖をつき、娘らしき中年女性に介護されながらようやく席に着いたおばあちゃんがいた。娘は「また迎えに来るからな」と声をかけ、おばあちゃんはひと時の寛ぎと安らぎの世界に入っていく。人は年をとるに従い、子供に帰っていく。おばあちゃんにとって大衆演劇は、幼児の頃の母親から聞かされた子守歌(ララバイ)の安らぎにも似たものではないだろうか。 
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