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北六甲台物語
■北六甲台は、功地山を切り開いて開発された住宅街である。功地山は、大化の改新当時の孝徳天皇の有馬温泉行幸の際の行宮造営の材木をきりだした山といわれている。通称お天上山とも呼ばれていた。
■山口村誌には、北六甲台開発前の功地山とその周辺の航空写真が掲載されている。中国自動車道も丸山ダムや金仙時湖もない、恐らく大化の改新当時の自然に近い風景が偲ばれる写真だ。
 天上公園内には、西暦千年頃までこの地に公智神社が鎮座していたとの石碑がある。向山公園にも「高塚古墳伝承地之跡の碑」がある。この地が山口郷を開発した先人達の古墳があったと伝えられるという碑文が刻まれている。ちなみに「天上」「平尻」「鍋倉」「向山」等の北六甲台の各公園の名前はこの地に昔から伝わる地名に由来している。
■私たちの住むこの街が、1360年以上もの歴史を伝承する丘陵地を切り開いて開発されたという事実に、ある種の痛みと感慨を覚えてしまう。それだけにこの街をとりまく自然と環境を大切にしたいと思う。また古代から続く山口村の旧来の地域との良い関係を願わずにはおれない。
西宮北六甲台の歩み
1978 第1期造成工事着手
1982 第1期宅地分譲開始
1983 阪急バス北六甲台乗入れ
1985 北六甲台自治会発足
1985 幸幼稚園開園
1986 JR西宮名塩駅開設
1987 パナ西友北六甲台店開店
1989 北六甲台小学校開校
1997 パントリー北六甲台店開店
2003 阪神高速北神戸線開通
2004 松下興産の事業清算
2010  パントリー北六甲台店退店 
■1978年、西宮北六甲台は、旧・松下興産により開発面積730,000u、計画戸数1,763区画という大規模開発としてスタートした。甲子園球場の18倍以上もの面積を有する開発だ。
■第一期分譲を購入した私たち家族は、1983年の春に北六甲台に移り住んだ。公園もなく、バスの団地内乗り入れもなく、小学校もスーパーもない未開の地だった。通勤は下山口バス停まで歩き、そこから約30分かけて宝塚に出て電車で大阪市内まで辿りつくという合わせて2時間近くのまさしく痛勤だった。
■現在、北六甲台には大小合わせて7ケ所の公園がある。1983年秋には団地内を阪急バスの乗入れが実現した。1986年にはJR西宮名塩駅が完成し、大阪までを約30分で結んでいる。1987年秋には今はパントリーになっているパナ西友北六甲台店がオープンした。1985年、幸幼稚園が開園し、1989年には、北六甲台小学校も開校した。
 移り住んだ頃から見ると、生活環境は飛躍的に向上し、住宅街を取り巻く豊かな自然と相俟って快適な住環境を享受できているといってよい。