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20 通勤電車バカヤロー物語 通勤途上で遭遇したバカバカしい話アレコレ
20-1 二人のオヤジのLOVEチャンス オヤジ同志の白昼のLOVE・LOVEシーン
20-2 地下鉄車掌の窓からゴメ 寸前のタッチアウトを果敢に演出した若い車掌
20-3 地下鉄をスーパーモデルが闊歩? 超ミニには流行のスリットが深々と・・・。オェッ。
20-4 Mrオタッキー、アンタの勝ッ!! 君も見ただろうか?相当な修行を積んだ車掌オタクを・・・。
20-5 くたばれサッチー がんばれノムさん 通勤車内の野村ご夫妻風の惰眠シーン。
19 七人のオヤジたちの有馬の湯 デタ〜ッ!スナックのママを相手に一発逆転のデュエット。
18 追いつめられたオヤジの怒り 中高年サラリーマンを待ち受けている運命
17 本日バレンタインデー・・・で!? 「栄えある義理チョコ」を頂いた
16 2時間30分・・・女の闘い ドラマの劇的な幕切れはゴール直前に訪れた
15 崇高な愚行 凄まじいエネルギーの発散。阿修羅の形相。
14 近所のバアチャンのアンビリバボー 雷嫌いのバアチャンのアンビリバボー
13 生花に包まれたシュンちゃんの寝顔 祭壇の遺影が懐かしい思い出を呼び戻す
12 カメラはどこだッ! これは悪夢か?はたまたドッキリカメラか?
11 上山病院・306号病室 こみあげる哀しさ、力になれないむなしさ・・・
10 うたかたのホールインワン ベテランキャディーの呟きからドラマは始まった
はりつけ・串刺しの刑 『大腸検診・残酷物語』
母の世話焼き・・・怒涛の愛 逃げ場のない息子の絶体絶命のピンチ!?
さらば「戦友」 ビジネスでの攻防を通した「戦友との再開
因果は巡る。面接を受ける日。 年俸面接。有能なサラリーマンを演じる日。
採用面接傑作集 大卒採用試験の面接官に変身。実際にあった傑作アレコレ。
オオトラに変身した娘 「私、お父さ んの悪いトコばっかり似ているみたい。」
息子の帰郷 息子の退職の口ぶり。聞いた母親は途端にパニック。
拷問者は上品な女性 歯石を回転ヤスリで掻き出す。涙と脂汗の歯のお掃除。
鞄抱えたジョギングおじさん 背広姿のオヤジが鞄を抱えて靴音を高らかに小走り



通勤電車バカヤロー物語(’99.06)
通勤途上で遭遇したバカバカしい話のアレコレ。題して『通勤電車バカヤロー物語』。
[第1話] 二人のオヤジのLOVE・LOVEチャンス
某月某日、バスの遅れでいつものJRの座れる筈の鈍行電車に乗り遅れる。次の快速電車のシートは予想通り満席。仕方なく吊革に捉まり、ついつい座席の乗客たちの様子を窺う。心の呟き『この人たち、次の駅で降りるのかナ〜』。永年のサラリーマン生活の哀しいさがか?
眼下の座席には60代の商売人風のオヤジと50代のサラリーマン風のオヤジが二人、眠りこけている。相当深い眠りのようだ。ナント、相互に支え合った二人の頭はピッタシくっついている。顔の角度さえ変えればキスだってできそう。オヤジ同志の白昼のLOVE・LOVEシーンは不気味そのもの。本人たちは無邪気に半ば口を開け、かすかにいびきすらかいている。電車が駅に発着するたびに相当なユサブリがある。そのたびに私は心の中で祈っていた。二人が(せめて片方が)目覚めて、我が身を取り巻くオドロオドロシイ光景に愕然とすることを・・・。しかし彼らの絆は予想を超えて強固なものだった。ついに期待した光景は目に出来ないまま(おまけに結局彼らが先に下車して私が座るという幸運にもありつけないまま)空しく下車駅に到着。
「バカヤロー!通勤電車で眠りこける時は周囲の迷惑も考えろッ!(コリャ言いがかり?)」
[第2話]地下鉄車掌の窓から『ゴメン』
某月某日、地下鉄の駅ホームに通じる階段途中で耳にする発車ベルの音(アノ間延びした発車ベルの音は、イラチの大阪の乗客たちの気分を少しでもなだめ、駆け込み乗車を阻止するための陰謀に違いない)。陰謀に気づいている私は、脱兎のごとく階段を駆け降り、その間、定期を手に持ち替え自動改札と称する関所を突破し、年甲斐もなく駆け込み乗車を試みる。(念のためコメントしておくが、決して急いでいた訳ではない、永年のサラリーマン生活の本能なのだ)
結果は寸前でアウトッ!罰の悪さは覆うべくもない。改札口は電車の最後尾に位置していた。ゆっくり通過する列車の最後尾の窓から半身を乗り出した車掌と遭遇。寸前のタッチアウトを果敢に演出した若い車掌と目が合った。ここは気合の勝負。罰の悪さを車掌のせいにしたオヤジは職務規律に忠実な車掌を不当にも睨みつける。経験不足の若いビジネスマンは思わず頭を下げる。
「バカヤロー!もっと自分の仕事に自信を持てッ!(これまた言いがかり)」
[第3話] 早朝の地下鉄車内をスーパーモデル風が闊歩・・・!?
50を超えたオヤジの朝は早い。某月某日朝7時過ぎの御堂筋線の地下鉄車内。この時間帯ならゆっくり座れるというメリットも。目を閉じて束の間の安息を楽しもうとしたその時。若い女性を連想させるハイヒールのカン高い音が安息を突き破って近づいてくる。思わず見つめる視線の先に江角マキコもかくやと思わせる長身のスーパーモデル風が闊歩してくる。しかも超ミニ。朝からラッキーと待ち受ける。近づくにつれ幸運は落胆に、落胆はおぞましさに、とめまぐるしく変遷する。
颯爽と通過するお嬢さん。頬から顎にかけての髭の剃り跡が生々しい。スーパーモデル風の正体はオカマだったのだ。おまけに超ミニには流行のスリットが深々と・・・。オェッ。朝からエライものを見てしまった。カノジョの通過に合わせて居合わせた乗客たちが息を呑み、空気が固まる。そしてカノジョは自信たっぷりの靴音を残しながら次の車両に消えた。
「バカヤロー!束の間の安息を返せッ!」
[第4話] Mr.オタッキー、アンタの勝ちッ!!
某月、某日の朝7時過ぎのJR伊丹駅付近の車中。「イ〜タァミ〜ッ、イ〜タァミ〜ッです。出口は左側になります。伊丹を出ますと次は尼崎に停まります。」突然、車掌の車内アナウンスが・・・、しかもすぐそばで。思わず辺りを見回す。それらしき姿はない。ナンデ!?声の主を発見。二十歳過ぎの神経質そうな青年だ。JRの車内放送のアノ独特のアナウンス口調でひたすら話し続けている。ドアの側に立って車窓を眺めながら・・・。話す内容の正確さといい、口調のそれらしさといい、本物顔負けのレベルである。相当な修行を積んだ車掌オタクとみた。停車駅が近づき本物氏のマイクを通した車内アナウンスがオタッキーのアナウンスを妨害する。思わず二人の掛け合いの審判をしてしまう。Mr.オタッキー、アンタの勝ちッ!!
車内アナウンスの競演を乗せて電車は尼崎駅に到着。ホームに降り立ったMr.オタッキーは今度は駅員に早変わり。電車の開いたドアを片手で押さえて乗客たちに注意を促すアナウンス。発車ベルにあわせて指差し点検までやってしまう。ドアが閉まり、動き出す電車を見送るMr.オタッキー。その姿は一仕事終えた満足感に浸っているかに見えた。
[第5話] くたばれサッチー!がんばれノムさん!
一杯機嫌の土曜日の午後10時過ぎのJR車内である。通勤帰りとはいえ週末のこの時間帯である。空いたシートの確保は容易だった。束の間の安眠を貪ろうとした目の前で、熟年夫婦が既に貪っていた。夫の右肩に頭を預けた妻。ナントあのサッチーにそっくりだ。でもって夫はと見ると、これが又、オールバックのノムさんなのだ。ノムさんはサッチーの人一倍大きな頭の重さに耐え兼ねている風だった。時折、右目を薄目して右肩の痛みに顔をしかめている。しかし肩を外して苦痛から脱却する様子はない。サッチーの惰眠を覚ますことがもたらす恐ろしいリアクションを知り尽くしたかのような見事な振る舞いである。
実在のノムさんサッチーの関係もきっとこのとおりに違いない。おりしも我が阪神タイガースは9連敗中である。私は目の前のサッチーを睨み付け、ノムさんのけなげさに心打たれながら心中で叫んでいた。”くたばれサッチー!がんばれノムさん!”
七人のオヤジたちの有馬の湯(’99.04)
昨年10月、7人のオヤジが小豆島に集った。オヤジたちは酔った勢いも手伝って?次回会合を、3月24日〜25日の「有馬温泉の集い」とすることにした。そして迎えた今日のOB会である。
今夜の宿は前回に引き続いての幹事役のT・Y氏の手配で老舗の名湯「兵衛・向陽閣」。何はともあれ有馬の湯に直行。裏六甲を眺望する展望大浴場は無色透明の銀泉。隣接の露天風呂は赤湯とも呼ばれる金泉である。(ちなみに赤湯は源泉では無色透明の湯なのだ。空気に触れたとたん含まれている鉄分が酸化して赤茶色に変わるとは仲居さんの解説。)有馬から合流のK・O氏を含め総勢7名の大宴会がスタート。例によって各自の公私にわたる近況報告。「次回の例会は関東勢も含めたOB全国大会の開催」に話がはずむ。
予定の宴会コースを終えてもなお不完全燃焼。ここはヤッパリカラオケコースを抜きには終われない。館内のカラオケスナック「薔薇」に繰り出す。元来目立ちたがりの元労組幹部の面々・・・。それぞれに個性溢れるエンタテナーぶり。そんな中でいまいちノリきれなかったK・O氏。意を決してのリクエストは?デタ〜ッ!スナックのママをパートナーに一発逆転のデュエット「二人の大阪」。コテコテのオヤジバージョンである。「ア〜ァア〜抱きしめて〜」のフレーズではきっちりママの肩を抱きしめ予想通りの展開。2曲目のリクエストも再びママ相手の「銀恋」!人間、吹っ切れれば恐い物なし。カラオケを終えての部屋へ帰る道中。口々にK・O氏へのやっかみ半分の非難の嵐。K・O氏が反論。「そうは言うけど彼女は結構、歳やったデ」「そうでもないやろッ」「いやッ肩を抱いた感触でわかる」(そりゃナイヨ)。・・・・ こうして有馬の夜は更けてゆきました。
追いつめられたオヤジの怒り(’99.03)
日曜の朝である。毎日TV「サンデーモーニング」が今週の出来事を追っている。今週、サラリーマンにとって衝撃的な事件があった。ブリジストンの58歳の元課長が、本社での社長との談判中に自ら包丁で腹を刺して自殺したアノ事件である。報道各社に寄せられた抗議文が紹介される。リストラの嵐の中で自分と会社との埋めようのない溝に苦悩し抗議する典型的な会社人間の姿が浮かび上がる。子会社への出向と転籍、役職定年による降格、早期退職の勧告・・・。彼が味わったこの一連の過酷な職場人生は、多かれ少なかれ今日の中高年サラリーマンを待ち受けている共通の運命でもある。そして「追いつめられたオヤジの怒り」が温厚で誠実な人柄を突き破る行動に駆り立てた。
市場経済の国際化の中で大きく立ち後れた「日本的雇用システム」。世界と日本の溝を埋めようとすればするほど、企業と個人の溝を拡大させることになる。オヤジたちが過去の功績と栄光に執着すればするほど、生き残りをかけた企業の再生の障害となる。理屈では分かるこの「企業の論理」をどうにも感情として納得できないのがオヤジたちの現実である。
労働市場に流動化の荒波が押し寄せている。外国人労働者が増える。人材派遣が活発化し、出向・転職が日常化する。社内公募制や自己申告制等の社内労働市場の規制緩和も進むだろう。労働市場の流動化は個人の側から見れば選択肢が拡大することでもある。いくつかの選択肢の中から選び取ることの責任は自分自身で負うしかない。結局、問われているのは自己責任、自立ということかもしれない。
・・・でやっぱりたどり着いた結論は「危ないサラリーマン」になろうということだったりして。
本日、バレンタインデー・・・で?(’99.02)
本部スタッフに所属するオヤジ達にとって、無縁のイベント化したバレンタインデーが、そんなことにはお構いなく今年もやってきた。今や本部は高齢化したオヤジ達の巣窟である。もっともそれを取り巻く少数のアシスタントと称する女性たちも負けず劣らず中齢化している。中にはリストラの進行に伴い主婦パートタイマーが代替している部署もある。
店にいれば圧倒的多数の女性に囲まれているわけであり、それなりに義理に駆られたチョコがデスクに置かれたりする。
そんな光景は遠い思い出の彼方になって早6年・・・。それでも小生にとって数少ない関わりのある約3名のアシスタントの皆さんから「栄えある義理チョコ」を頂いた。これで妻と娘に対する面目もかろうじて立つというものである。
当然ながら「義理チョコ」なのである。断固として「義理チョコ」なのだ。(できればそうであって欲しくないという魂胆ミエミエのオヤジのリキミがカワユイではないか。)
2時間30分・・・女の闘い(’98.11)
東京国際女子マラソン・・・見応えのある2時間30分のドラマだった。
ドイツの実力派カトリン・ドーレ、エチオピアの五輪メダリスト・ロバらの有力外国勢。対する日本勢は実力派の浅利、新鋭の市橋、宮崎が挑む。役者の顔ぶれに文句はない。
前半は、先の外国勢2人を含む7人の先頭集団が引っ張る。28km付近から日本勢3人が飛び出す。浅利、市橋の先輩二人の火花を散らす併走のすぐ後ろを初マラソンの宮崎がつけるという展開。38km付近で宮崎が脱落。前を行く市橋。浅利の後ろにつきたい気持が時にジグザグ走行で挑発する。ハタチの年齢に似合わない駆け引きともみえる。二人の並走が続く。仮面ライダー風のサングラスに隠された浅利の無表情さときかんきの強い餓鬼大将を連想させる市橋の整ったアップが好対象だ。国立競技場トラックに踏み込んだ途端、浅利はサングラスを投げ捨てた。仮面ライダーから驚くほどかわいいアップに変身。(日本の女子マラソンランナーたちはいつのまにこんなに美しくなったのか。)同時に一気に前に出る浅利。その後をピッタリ市橋がついている。第4コーナーから直線コースに。満を持していたかのように市橋が勝負に出る。体ひとつ前に出た。誰もが市橋の20才の若さが29才の浅利の疲れを制したと思ったに違いない。ドラマの劇的な幕切れはゴール直前に訪れた。浅利の粘りが体半分、先にテープを切った。市橋の最後の勝負を見越したかのような浅利の最後の余力の温存だったの か。二人のタイムは2時間28分29秒。同タイムだった。浅利の満面の笑みと悔しさを滲ませる市橋の表情が明暗を分ける。
マラソン中継に夢中になりだしたのはいつの頃からだったのか。テニスに明け暮れていた大学生だった頃の息子は「あんな変化のない単調なスポーツのどこが面白いのかわからない」と言っていた。言われてみればその通りだ。それでもヤッパリわくわくさせるものがマラソンにはある。タンタンとしてそれでいて起伏のある、どこか人生にも似たこのスポーツを味わうには、振り替えられる人生の一定以上の歩みが必要なのだろうか。
崇高な愚行(’98.10)
10月15日 午後3時。私は、香川県小豆郡内海(うちのみ)町のとある神社の境内にいた。早い話が小豆島である。誰と何のためにそこにいたかはこの際やめておこう。七人のオヤジたちと群れていたなんぞ自慢できた話ではない。ともかく神社の境内なのだ。正確には「内海八幡神社」という。
30分前、私たちは島内最大企業?である「丸金醤油記念館」を見学する予定だった。(なぜか小豆島は醤油の産地なのだ。狭い島内に22社もの醤油メーカーがひしめいている。)ところが記念館入口には無情にも「本日臨時休館」の手書きポスター。そういえば周辺はやけに静かである。近所の佃煮の土産物店の気のいい店員さんの情報。『今日はここからバス停で二つ向こうの街で年に一度のお祭りだから・・・』
ダンジリ好奇心旺盛なオヤジ軍団の反応は早かった。そして30分後の祭り会場である。3町ある島内の全人口はわずか3万7500人とのこと。境内を埋め尽くす人の群れ。醤油記念館の臨時休館や周辺の静けさの正体である。
目の前で布団太鼓のダンジリが一瞬宙を舞う。ナント百人近くの男たちが必死で担いでいる何トンものダンジリが・・・である。町内会ごとに保存された10台ほどのダンジリが次々とこの境内に太鼓を響かせてやってくる。
年に一度の晴れ舞台。演技のクライマックスはダンジリの放り投げ。前棒と後棒の担ぎ手たちの呼吸が合わずバランスを崩すこともある。怒声が飛び交う。凄まじいエネルギーの発散。阿修羅の形相。男たちの全精力がダンジリを担ぎ放り投げるという一点に集約される。秋の収穫の神への感謝の儀式でもある。神事というフィルターを取っ払ってしまえば「狂気の愚行」という様相を帯びてしまう。男たちの願いは、年に一度のこの「狂気の愚行」に浸ることなのかもしれない。諏訪神社の「御柱」、岸和田の「ダンジリ祭り」の狂気がよぎる。
それにしてもダンジリの担ぎ手集めはさぞかし大変だろう。刺激のない島を脱出した若者たちを年に一度は帰省させる格好の口実になっているようだ。「息子もこの日だけは帰ってくるんヨ」「都会のどんな楽しみもこの祭りには代えられんみたい」 3人のオバサンたちの虚勢にあふれた会話が耳に入る。思わず声をかけてみた。「ところでこのお祭りは何というお祭りですか?」「ウ〜ン。何というお祭りといわれても・・・」虚を衝かれたかのようにオバサンたちは考え込んでしまった。突然ひとりが自信ありげに断定した。『秋祭りヤッ!!』 (ギャッ)
近所のバアチャンのアンビリバボー (’98.08)
妻の大の仲良しが3軒となりに住んでいる。姑と同居しているという共通項が彼女たちを結びつけている。これは妻の友人の姑さんのアンビリバボー物語である。
雷雨の多い夏だった。くだんの近所のバアチャンは、大の雷嫌いだという。それもハンパなものじゃないらしい。
真夏の深夜、息子夫婦は二階の寝所でぐっすり眠り込んでいた。突然の雷雨が嫁の眠りを奪った。そして寝ぼけまなこの嫁に突然飛び込む信じがたい光景。なんと姑が枕元で鎮座している。雷の深夜の襲来に一人では到底耐えられないバアチャンにとっての唯一の自衛策なのだ。それにしても初めてそれを経験した時の嫁の驚愕は想像に難くない。
深夜はさておき、昼間の雷攻撃にはバアチャンはどんな自衛策を講じるのだろう。昼間、息子夫婦は仕事で不在がち。バアチャンは、雷予報に人一倍敏感である。空模様が雷の予感を告げた時、バアチャンはひたすら「コープこうべ北六甲店」を目指す。近辺で最大規模の人込みを収容する建物である。彼女の住いからは早足でも30分近くはかかるはず。それでも雷の恐怖と戦いながらひたすらバアチャンはコープを目指す。
生花に包まれたシュンちゃんの寝顔 (’98.06)
生花に包まれた「シュンちゃん」の寝顔は驚くほど安らかだった。その安らかさに隠された故人の無念さに思いをはせた時、溢れる涙を留めるすべはなかった。JR福知山駅近くのメモリアルホール。朝10時から始まった告別式の最後のお別れの機会は11時近くになって訪れた。予想を上回る参列者の焼香の列が、読経の時間を延長させたようだ。
50才の働き盛りだった。一男二女の子供たちの末っ子はまだ中学生の女の子。年老いた実母は突然降りかかった逆縁の不幸に耐えかねている。かたわらで働き者の商家の嫁が姑をいたわるように精一杯の気丈さを演じている。仕事の上でも家庭でも最愛のパートナーだった女性(ひと)だ。
福知山店の店長職を辞して既に5年余り。祭壇の遺影が彼らとの懐かしい思い出を呼び戻す。
20年近い労組役員を退任後、初めて経験する現場責任者としての3年半の福知山勤務だった。赴任先は地元の専門店有志がデベロッパーとなった共同店舗の核店舗。地元商店で構成する専門店ゾーンと核店舗との全体運営の調整は店長の主要任務である。地元商店のオーナーたちと核店舗の店長・マネジャーで「同友店会」なる組織が構成されていた。核店舗の店長は自動的に副会長となる。会長と4人の副会長が運営の中心だった。会長の「ケンちゃん」に副会長の「シュンちゃん」「トッチャン」「オダニさん」それに私が加わった。少ない営業経験の上に歴代店長としては異例の「通勤店長」だった。そんな私を暖かく迎え入れてくれた仲間たちだった。市外出身の「オダニさん」を除く3人は幼なじみだ。彼らの子供の頃からの呼び名が私にとっても共通の呼び名になるのにそれほどの時間は必要なかった。
「同友店会」主催のアメリカ視察旅行は、彼らを中心に10名のカントリーオールドボーイたちの珍道中だった。競合出店に備えて勉強と懇親を兼ねた同友店会主催の合宿研修が始まったのもこの頃だった。発案者は私だったと記憶している。そして・・・・。今尚続けられていた年に一度の合宿研修の終了直後の出来事だったという。総務担当だったシュンちゃんが片づけを終え、最後に帰宅する途中の事故だった。マイカーが電柱に激突。病院に運ばれた後1週間ほどの闘いの末、旅立ったとのこと。事故後に知人たちからの「時々フッと意識がなくなる」と言って自転車を押している姿を見掛けたという証言もあったという。健康診断も思うに任せない商店経営者たちの過酷な生活である。
同友店会の初代会長であり今はディベロッパーの社長の弔辞。「シュンちゃん!遺された家族の皆さんの幸せと、アサヒ堂の繁栄をいつまでも見守っていて下さい」。合掌。
カメラはどこだッ!(’98.06)
夫婦だけの1泊2日の小旅行。今回は開通間もない明石海峡大橋経由の四国の旅。
初日の泊りは松山「道後温泉」。お目当ての『道後温泉本館』近くのホテルにチェックイン後、早速散策。道後温泉駅前の「坊ちゃんカラクリ時計」の精巧さと演出の巧みさに感嘆。土産物屋の並ぶ道後商店街をそぞろ歩き。
そしていよいよ「坊ちゃん温泉」に。「本館」正面入口で木戸銭の支払。「霊(たま)の湯2階席・980円也」を求める。芝居小屋の舞台裏のような通路を伝って「霊の湯2階席」に(右写真)。ここで浴衣に着替え、係りのおばさんに貴重品を預ける。引換えに平の金属のワッカ(ブレスレット?)を貰う。中二階の「霊の湯」にようやく到着。浴室自体は「20畳位のスペースに縦横3m×6m位の湯船」といった意外と小ぶりな造り。旅の垢を落とし湯船で手足を伸ばし、ゆったり気分満喫。・・・とここまでは物珍しさ以外は何事もない穏やかな旅情のひとこま。
突然風景が一変した!背後から二人の入浴客の気配。ふと見ると腕に何やら墨模様。不吉な予感。二人連は、小生を挟むように左右の湯船の縁に腰掛けて一服。そこで発見。デタ〜ッ背中一面見事な彫り物。右側の50前後の幹部風は「不動明王」が目を剥いている。左側の20代後半の優男は「昇り龍」がとぐろを巻いている。これは悪夢か?はたまたドッキリカメラか?ならばカメラはどこだッ!
それにしてもこれほど間近にかくも見事なクリカラモンモンを目の当たりにするとは。もちろんジロジロ眺めるほどの度胸もない。「見事なものですな〜」などと話かけてみたい衝動にかられたものの実行に移すなど及びもつかない。横目でチラチラ盗み見するのが精一杯。彼らの入場直後の退場も何やら危険な予感。ここは一番、「やれやれよく浸かったな〜」という雰囲気での退場が肝心・・・などとあらぬことを計算しながら、ことさらゆっくり退場。
「霊の湯2階席」で入浴後のくつろぎ。見事な塗り物の茶托にもられた煎茶に名物の煎餅を賞味。(ガイドブックによればこの茶托は輪島塗りで今作ればナント7万円もするとか。湯飲みも砥部焼きとのこと。左写真。)
思わぬハプニングに日常生活から隔絶した旅のもたらす面白さをあらためて実感。これはヤッパリ日記に書いておこう!
上山病院・306号病室(’98.05)
最初に目に飛び込んだのは、Yさんのぞっとするほどの無表情な視線だった。いつもの明るい笑顔との落差が、Yさんを襲った病魔の残酷さを物語っている。
寝屋川市の「上山病院」の306号病室に旧友を見舞った。20代後半の5年間を同じ職場で過ごした仲間である。生死を分ける大手術から2ヶ月以上が経過していた。手術で取り外された右頭蓋が元に戻されたのは2ヶ月後だったとのこと。ようやく面会可能な状態になったとの連絡だった。
Yさんを襲った脳内出血は、今尚、彼の右半身を麻痺させ、過去の記憶を奪っている。坊主頭の左側面の手術跡が痛々しい。病は記憶ばかりでなく、「言葉」と「喜怒哀楽の表情」をも奪っている。いや正確には喜と楽だけを奪っている。思うにまかせない苛立ちからくる怒りと哀しみだけが彼を支配しているかのようだ。
奥さんは、昼食前から夜の7時半頃までを病室で付き添う毎日だという。とはいえ妻という認識もまだないらしい。「これからは、いろんな刺激を与えて記憶を取り戻すしかないし、根気よくリハビリするしかないといわれている。だからできるだけ長く付き添ってやりたいし、見舞ってもらった人にもできるだけ話し掛けてもらうようにお願いしている。かまってやる人が少ないほど回復しない病気だということだから。」奥さんの開き直った果ての気丈さと優しさが伝わる。同時に自分が同じような状態になった時の備えを、妻に対して、周囲の知人たちに対してできているか?を問い直させる言葉でもある。
ゴールの見えないマラソンである。どんなゴールかも分からないマラソンである。Yさん自身が最も苦しい闘いを強いられていることは間違いない。同時に奥さんの闘いでもあり、夫婦の闘いでもある。
呼びかけにときおり視線を合わしてくれるものの、覚めた冷たい表情は変わらない。「頑張ってナッ!」麻痺していない左手を握って、そう繰り返すのが精一杯であった。こみあげる哀しさ、やりきれない憂鬱、力になれないむなしさを引きずりながら帰路についた。
うたかたのホールインワン(’98.05)
「あれ〜ッ!ボールが見えなくなった!」30代後半のベテランキャディーの呟きからドラマは始まった。
舞台は、大社
カントリークラブ美久我コ−ス6番ホールのティーグランドである。クラブハウスのロビーには県別NO1ゴルフコースの紹介がある。島根県の欄には「小金井」「習志野」「広野」の名門クラブと並んで「大社カントリー」のネームが燦然と(?)輝く。確かに手入れの行き届いた素晴らしいコースである。
大仕事を終えた後の慰労を兼ねたプライベートなラウンド。アウトの国引コースを終えて昼食後のインの6ホール目。161ヤードのショートホールである。
オナーであった上司のN取締役の打球はハタ目にも「ナイスショット!」。ピンに向かって一直線に弧を描いた打球は雲ひとつない晴れ渡った空に飲み込まれたかのようだ。ベテランキャディーの目をも眩ませたその1打がまさかの奇跡を予感させる。確かにティーグランドから打ち下ろし気味に見えるグリーンにナイスオンした筈の白球は見当たらない。
パートナーたちのざわめきをよそに、ヒーローは茶店のトイレに。心の動揺を隠すためであったのか?「ひょっとして・・・」の期待感をパートナーたちに悟られないためか?単に尿意に耐えられなかっただけなのか?
ミラクルショットの後に続くパートナーたちのショットは気が抜けたビールのようなものだ。90台前半の実力の二人のティーショットは見事にグリーンを外している。最後はスタート以来、4番打者の座を死守している小生のショット。同伴者の奇跡に敬意を表している前二者を尻目に、こんな時に限っての「ナイスショット」。「のりました!」キャディーの声が続く。確かにグリーン奥に見えている。とはいえ素直に喜べる状況にないことは確かである。(^^;)
カートに乗込むメンバーたち。まさかの時の善後策。「ホールインワン保険は?」「いくらの保険?」誰もが気になる質問を恥知らずな小生が代弁する。「30万の保険」とのこと。(ヨカッタ〜ッ 少しはおこぼれがあるかも・・・。セコイ計算がよぎる。) 続くキャディーの一言。「もし入っていたら、私このホールで4回目です。」(ア〜ァ 余計なことを!『それほどたいしたことじゃないですョッ』ていってるようなもんだ。)
で、カートを真っ先に飛び降りてグリーンを目指す小生。「あわよくば奇跡の第一発見者に」の魂胆。・・・と思いきや。アッタ!!ボールが二つ。しかも二つともグリーン奥のラフ。ホールインワンはうたかたの夢であった。
この後のサエナイ会話は省略。このホールの結果だけを記録に留めよう。『夢の提供者』はさすがにパーセーブ。それ以上にピンそばにつけた小生は他の同伴者共々、結局ボギー。ヤッタ!このホールも4番打者をキープ。(;_;)
はりつけ・串刺しの刑(’98.05)
それは昨日の昼食から始まった。10年ほど前、人間ドッグで大腸ポリープが見つかった。以来、年に1度の大腸検診。その残酷さは歯医者での歯石撤去工事どころでない。(3月25日の日記
前日昼食からの検査食を皮切りに当日13:30頃
の検査終了に至る25時間余りの苦行である。サラリーマンにとって昼食の楽しみはひとしお。その昼食が何とも味気ない検査食と称するお粥なのだ。こんな日には決まって社員食堂の献立はほんとにおいしそうなメニューなのだ。今回も然り。恨めしさに打ちひしがれた昼食。
検査食夕食版はポタージュスープ。これは許せる。その後が最大の難関”マグコロール 250ml”。要するに下剤飲料なのだ。あの変に甘みをつけたスポーツドリンク風の飲料ほどオドロオドロシイものはない。目をつむって一気に飲み干すつもりが半分ほどで限界。涙が滲み体がわななく。顔を洗い口をゆすぎ体勢を整えて、残った透明液をにらみつける。決意を固めて一気に勝負に出る。ヤッタ、終わった。ドンナモンダ。(これは決して誇張じゃない。体験した者の偽らざる心情。)
さらに「注腸検査の前処置について」は下剤5錠の服用を指示。この後の行動パターンは明白である。トイレの往復。「大便=小便」の方程式。「大は小を兼ねる」の諺。明け方3時の熟睡中の突然の便意。反射的に飛び起きる。”肉体の生理の不思議”に思わず感動。
でもって以降眠れず。当日朝用検査食は再びお粥。せっかくおなかを空っぽにしたのにイイノカナ〜。ここで昨日からの努力の成果を確認。体重計は何と通常値の5kgマイナス。ダイエットはマグコロールに限る
寝不足と空腹の最悪のコンディションに鞭打って診療所に。12:00の予約時間ピッタリ。(この生真面目さが中間管理職を自殺に追いやる・・・とは「日経ビジネス」の最近の記事である。)
まず血圧チェック。「116−60。少し低めも異常なし」。次は点滴、約30分。脱水症状回避の水分補給との解説。ここで脱衣。「下半身は検査用トランクスに穿き替えて下さい。」の指示。というわけで次は・・・ナント「カンチョ〜ッ(浣腸)」なのだ。浣腸と聞いて良い思い出などあるわけがない。『そんな悪いことばっかししてたらカンチョウするヨッ!』幼い頃の親の小言がよみがえる。「穴の空いた方がお尻に来るように。」40才前後の看護婦サンに50才を超えたオジサンがカンチョウしてもらうのだ。SMの世界以外には想像できない現実がここにある。カンチョウ済んだらやることはひとつ。その効用に鞭打たれるばかりである。トイレに駆け込み駄目押しの『止め焼香』。
ようやく本番。看護婦さんから医者にバトンタッチ。「筋肉注射をします。腸の動きを押さえるためです。」最近は個々に解説をしてもらえるようだ。これは納得。注射後、処刑台に。筋肉注射の効果を見計らって「では、管を入れます。」どこに・・・とは言わない。
「バリュームを入れます。」「腸を膨らませるため空気を入れます。」淡々と医者は告げる。再び幼い日の思い出。殿様蛙を処刑した。麦わら棒をお尻から突っ込んでお腹を膨らませるのである。当然ながら極限を超えた時、殿様は処刑される。「膨らみが足りませんのでもう少し空気を入れます。」の医者の声に我に返る。思い出にひたってるバヤイではない。『ナニッ!もっと膨らませる?極限超えたらどうするんだッ。』
この時の受刑者のポーズ。両手で頭上のニギリを掴み、うつ伏せになってお尻に管を突き刺されているというどこかでみたような図柄である。そうだッ!江戸時代の「磔・串刺しの刑」なのだ。
処刑台をゴロゴロ転がりその都度レントゲンのシャッター音。受刑者は一刻も早くこの処刑台から降りることをひたすら願う。執行人の指示に積極的に協力する忠実な子羊となる。本番20分ほどでようやく完了。『終わった〜ッ』「ひとまずトイレにどうぞ。バリュームが出る筈です。」『ハイハイ』
10日余りのブランク後の日記。大作である。やけに力が入ってしまった。決して上品とはいえないテーマであった。これも日常生活の『日記につけとこう』ヒトコマなのだ。ジャンジャン。
母の世話焼き・・・怒涛の愛(’98.05)
ゴールデンウィークである。外資系製薬会社の広島支店勤務の息子が帰ってきた。
2ヶ月ほど前、退職をほのめかして両親をうろたえさせた息子である。波乱の幕開けか。父、ことさらさりげなく「会社・・・どうするって?」。息子、「当分続ける」。そばで聞き耳を立てていた筈の母親共々「ホッ」。ひとまず波乱は回避。
でもって本日は息子のパソコン購入につきあうことに。すかさず母親、「私もついて行く」と断固たる口調。息子の車で親子3人神戸ハーバーランド迄の1時間ほどのドライブ。助手席に陣取った父と息子の新旧サラリーマンの会話。母は後部座席から無謀にも割り込みを試みるが、住む世界の違いはいかんともしがたい。あえなく撃沈。
到着後、父と息子はパソコン専門店に。全く興味のない母親
はひとりで百貨店に。息子は大胆にも話題のソニーのバイオノートを。合流後、母は下見しておいた息子のゴルフ用パンツとドレスシャツを惜しげもなく買ってやる。(確か夫のカジュアルシャツは、近くのコープの見切り後プライスで買っていた。)
帰路につく車に。再び母親の断固たる宣言。「帰りは私が助手席に」。狭い車中での息子と並んだポジション。たまに帰郷しても家に居つくことのない息子である。母親にとって久々に息子と会話できる絶好の環境。(息子にとっては逃げも隠れもできない絶体絶命のピンチ。)発車と同時に母親の息もつかせぬおしゃべり攻撃。近所に住む息子の学生時代の友人の話、独身生活の心得、近所の世間話等々とどまるところを知らない。
後部座席の父も時々相づち程度に参加するも、襲ってくる眠気には勝てず。もうろうとした意識のなかで、父親はなぜか「横綱・曙の一気の突き押し」のシーンを思い浮かべながら呟いていた。『母の世話焼き・・・怒涛の愛』
さらば「戦友」(’98.05)
今日も地方巡業島根場所。東西に長い島根県は、松江を中心とした「出雲」と浜田を中心とした「石見」に大きく分かれる。その西の中心・浜田市内に本拠を置く某社での会議を終えて定宿でもある「ワシントンホテル」へ。
午後6時に1階ロビーで知人と待合せ。山陰地区の有力地銀の浜田支店長である。先ごろ電話があり旧交を暖めることになった。
1年半程前、浜田に隣接する江津市の取引先で経営危機が発生。商品供給元の担当責任者としてメインバンクの支店を訪問した。支店長であった彼との最初の出合いである。銀行支店長との仕事上のつきあいなど経験のない身には結構緊張を強いられた一瞬ではあった。その後、商品と資金の供給を巡り、お互いのリスクを最小限に留めるべくつばぜり合いが交わされた。経営再建という共通目標に向け何度か懇親の機会もあった。彼のバンカーらしからぬ豪放な性格と多少強引とも思える腕力が、ワンマン経営者の退陣という再建に向けての最大の障害を乗越えさせた。当該企業の今期決算は単年度黒字化に漕ぎ着けている。
1年半ぶりの誘いは、そうした結果を受けてのお互いの慰労という趣旨だったのかもしれない。「今だから言える」話も双方から飛び出す楽しいひとときだった。
ビジネスという場での攻防を通した「戦友
を得ることは希である。江津支店から母店と呼ばれる西の拠点・浜田支店への転勤は異例の栄転だったらしい。
「戦友」の栄転を心から祝福し、次の再開を楽しみに浜田を後にした。
因果は巡る。面接を受ける日。(’98.04)
先日は学生相手の採用面接の面接官だった。本日は、年俸者対象の審査面接を受ける日である。一転して被害者、いや被面接者の側に回ることになる。因果は巡る。楽あれば苦あり。(逆だったかな?)
しかし考えてみればこの面接官も大変だ。100人余りの年俸者の面接を4月初めから中旬にかけて業務の間を縫ってこなさねばならない。しかも相手は純真無垢な(?)学生とは大違いの、むしろ定年をカウントダウンするほどの年齢に達した海千山千のツワモノどもである。(もっとも面接官側も負けず劣らずであることはいうまでもない。むしろ面接する側にいるという事実こそ、それ以上であることのアカシともいえまいか。)
なにはともあれ面接である。本社3階の社長室隣の会議室へ。型通りノックし「失礼しま〜す」。(まるで学生に戻ったような礼儀正しさ)専務以下、常務、取締役、人事部長、人事担当の司会者の計6名。多勢に無勢(?)。勝てるわけがない(?)。ここは一番シオシオと有能なサラリーマンを演じ切る手か。先に面接を済ませた知人の作戦。『15分の予定時間をしゃべりまくって質問を最小限にとどめた。』とのこと。しかし、面接官経験の教えるところは逆である。しばしばしゃべり過ぎはポイントを端的に語れない自信のなさの裏返しに見える。
目論見どおり面接時間の半分ほどで『下期課題の達成状況』を説明。専務と総務担当役員の質問。若干の応酬。(「議論してどうするんだ!」との内心の声もあったが、そこはナリユキ。)
かくして小生の夏のボーナスの振幅根拠のひとつがつくられた。
採用面接傑作集(’98.04)
今日は1日、大卒採用試験の面接官に変身。数年前から採用面接の時期になると駆り出されている。面接官が質問役と記入役の2人一組で4〜5人の学生相手に集団面接する。10:30、13:30、16:30のスタート毎に各々3組のグループを面接する。面接官1組で合計42〜3人をこなすことになる。5組の面接官だったから今日だけでざっと210人位の一次面接だった。まだまだ早い時機の面接であり受けるほうも結構緊張している。そこで実際にあった傑作集の紹介。
【傑作その1】「当社の志望動機を聞かせて下さい。」「ワタクシは、(この場面ではボクとかワタシとは決して言わないものらしい。日常用語とは到底思えないワタクシなのである。)昔から人と接するのが好きでして接客業に絞って応募をしております。」 でもって事前提出の面接表の「他社での就職活動の状況欄」に目をやると『大阪府警』の文字が飛び込む。(オイオイ、どこが接客業に絞ってなんだ?まてよ、考えてみれば警察官も接客業か。接客相手が消費者か容疑者かの違いだけか。マッいいか!)
【傑作その2】先ほどから緊張の故か、しどろもどろの受け答えで明らかに×マークのA君への最後の質問。「それでは貴方のセールスポイントをどうぞ。」「実はワタクシは、大学受験で一度失敗しました。それ以来二度と失敗はしないことを信条に頑張ってきました。」面接官は、思わず心の中で叫んでしまった。
『君は既に2度目の失敗をおかしている!』
【傑作その3】 「ゼミでの学習内容と、それを通してあなたが学んだことを紹介して下さい。」あまり勉強している風にも見えないB君への質問。「(例によって)ワタクシは、金融・証券ゼミを専攻いたしました。そして今日の日本経済における証券業界の状況を勉強いたしました。」(ナルホド、ナルホド)「そのことを通して私が学んだことは・・・・」(ウンッ)「証券業界の就職活動はやめておこうと言うことです。」(ダハ〜ッ。勉強せんと分からんことかッ!)
【シリアスなテーマ】 最後に予期せぬ事態でのシリアスな体験。5人1組の最後の学生は女子大生。ふと見るとスモークグラスの下の両目は明らかに開いていない。一瞬動悸が早くなる。事前提出の面接表はと見ると・・・問題はない。チャント書けている。質問役は相方の番。面接が始まった。彼女へも型通りの質問。(相方も心なしか緊張しているかにみえる。動揺の色は隠せない。)人事からは事前の連絡は何もない。目が不自由なのかどうか確認すべきでは?その点をコメントした上での判断を提出すべきでは。逡巡の間も面接はドンドン進む。意を決して口を挟んだ。「外見上は目が不自由なように見えますがその点はいかがですか?」「ハイ。不自由です。履歴書にはその旨書いておきました。」「面接表はキチンと書かれていますネ」「その位は大丈夫なんです。」物怖じしないはきはきした受け答えであった。ハンディキャップを何とか乗越えようという懸命さが伝わる。聞いて良かった。面接が終わり、ドアに一番近い彼女は、男子4人を先に通し最後の挨拶をすませ姿を消した。事前連絡のなかったことへの内心の不満を殺し顛末は事務局に報 告しておいた。
オオトラに変身した娘(’98.04)
午後10:30 同僚の送別会とのことだが、娘の帰宅がやけに遅い。電話のコール音。そらきた。父、受話器に飛びつく。「お嬢さんの勤務先の○○と申します。実はお嬢さんが酔いつぶれて・・・。今からタクシーでお宅まで送りますので道順を教えて頂けませんか。」とは受話器の向こうの若い女性の声。「1人で帰れる状況にない」とのダメオシ。父、一瞬絶句。気を取りなおして「近くの高速のインターまで迎えにあがります。」
約1時間後、母親ともども押っ取り刀で最寄りのインター出口にかけつける。タクシー着。後部シートに眠りこけているオオトラに変身した娘。漂う異臭がモドシまくった状況を雄弁に物語る。付き添いの上司である○○さんにひたすら恐縮と感謝の弁。抱えるようにマイカーに。
帰宅後はもっぱら母親の獅子奮迅の活躍。再びモドス娘の介護、シャワー後の爆発ヘヤーの修復工事への加担(女という動物は、かくなる非常事態のもとでも、かくも髪型にこだわるのか・・・)、泥だらけの衣類の洗濯等々・・・。
父親の出番なし。酒の失敗は数知れない父親。以前につぶやいた娘の言葉がよみがえる。「私、お父さ んの悪いトコばっかり似ているみたい。」
息子の帰郷(’98.04)
息子が久々に帰ってきた。福山市で外資系製薬会社のMRをやっている。MRとはメディカル・リプレゼンタティブ(いまだに母親は正確に発音できないでいる。)の略。以前は、プロパーと呼ばれ製薬会社の営業マンのことだった。現在は、営業というより「医薬情報提供者」という機能を強めているとのこと。とはいえ、中味はたいして変わっていないようだ。医者を相手の接待中心の売り込みがメイン。
一月ほど前、珍しく息子から電話があった。パソコン購入のアドバイスが用件だったが、話している内、風向きが変わってきた。MRの将来性の不安を口にする。退職すら考えている口振り。ひとまず次回帰省時の相談で引取る。父親の出番か。聞いた母親は途端にパニック。以後、彼女の最大の心配のネタに。
そんな経過のもとでの今回のご本尊の帰還である。父親の帰宅前の母親との会話はさぞやドラマチックなものがあったのでは?と思いきや。母親は、アンタッチャブルで通したという。むしろラーメン、レトルトその他もろもろの買物タイムで精一杯「母親」をしたらしい。「恐くてそんなこと聞けるわけないでしょう。」とのたまう。結局、父親の出番か。と構えたものの「先輩の結婚式に出席するためだけの帰省」ということであっという間に姿を消してしまった。
問題先送りの結末。良かったのか悪かったのか。
拷問者は上品な女性(’98.04)
明日の休日は出張。というわけで本日代休。朝一番歯医者に。「歯槽膿漏気味なので半年毎に歯の掃除が必要」とは歯医者の営業トーク。要は歯石の撤去作業である。「さもなければ総入歯が待ってます」のオドシのおまけがついている。通院しないわけにはいかない。歯と歯茎の間の歯石を例の回転ヤスリで物理的に掻き出すわけである。神経だって詰まっている。油汗やら涙やらが滲んでくる。拷問という以外の表現が見当たらない。顔にタオルをかぶせられて口だけ開けてひたすら耐えねばならない。タオルさえなければ痛さをアイトークで訴えるのだが・・・。そうか!その訴えを無視するためのタオルだったのか。その間、歯の現状報告。歯磨きの必要。注意点等々、歯科技巧士さんの一方的独り言が続く。相手は返事のしようがない状態なのだから独り言になる。拷問者が40才前後の上品な女性であることが唯一の救いか。
鞄抱えたジョギングおじさん(’98.04)
3日ぶりに朝のお勤めをした。お勤めとは通勤利用のジョギングである。自宅から最寄りのJR駅までバス通勤をしている。去年の正月、無謀にも「1日1万歩」という『1年の計』を立ててしまった。そこで手っ取り早い方法として朝の通勤を11個あるバス停を5つ手前で降りて駅まで歩くことにした。2.8km、徒歩30分の距離である。休みの日もあるし、雨の日もある。二日酔いの体調不良の日までやるほどの根性もない。それでもざっと計算すれば、去年1年で少なくとも200日は途中下車したことになる。始めてみると生来の「イラチの性分」がトロトロ歩くことを潔しとしない。そんなわけで約2.1kmはジョギングをすることとなった。
朝の7時頃、背広姿のオヤジが右手に鞄を抱えてビジネスシューズの靴音を高らかに小走りしているわけである。余り自慢できる様ではない。それでもとりあえず決心したことはおいそれとは止めないというのがオジサン世代のいじらしさというべき か。
2.1kmを200回ということは、何と42.195kmのフルマラソンを10回も走り抜いたことになる。『自分で自分を誉めてやりたい』とは言うまい。

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