第二部 ウォール街の野望
■『自由な市場』という考え方がアメリカ型資本主義の基本である。 それは8年続きの好景気というアメリカのひとり勝ちを実現させた原動力でもある。ところでこの自由主義市場経済の歴史はそれほど古いものでない。
10年前、自由主義市場経済は西側先進国を中心とした限られた市場であり、多くの国は市場を閉ざし経済を統制していた。ところが冷戦終結後一気に広がった。現在、世界人口65億人のうち55億人が市場経済の中で暮らしている。
番組は新たなテーマに移行する。 『グローバル化でアメリカはいかに潤い、世界はそれによってどんな影響を受けたのか?』
■20世紀最後の10年間、アメリカは市場経済を最も謳歌した国だった。そのアメリカでウォール街と一体となってクリントン政権下で市場経済のグローバル化を強力に押し進めた人物がいた。大手投資銀行ゴールドマンサックスの元共同経営者「ロバート・ルービン財務長官」である。
1993年1月、クリントン政権が発足した。その最重要政策課題は『アメリカ経済の再生』ということだった。そのため大統領のもとに国家経済会議が設置され、ルービン氏がその議長に就任した。「ウォール街を活性化させ、金融の力でアメリカ経済を再生させる」これがルービン氏のシナリオだった。
そのためには、「円高ドル安」を望む産業界と「ドル高」を望むウォール街の戦いに決着をつける必要があった。
1995年、ドルは一時80円を割込む事態になった。ドル安で為替損を発生させた海外投資家は、アメリカの債券購入に消極的になっていた。財務長官に就任したルービン氏は大統領に迫る。「大統領が多くのことをなし遂げたいなら、金融市場の信任が必要だ。財政資金を有利な条件で市場から調達する他ないから。」そして「ドル高は国益だ。強いドルこそ国益だ。」と市場が受入れるまで唱え続けた。更に先進国に対しても円高ドル安の協調介入を求めた。円高に苦しむ日本は積極的にこれに応じた。産業より金融。モノよりマネーの政策を明確にしたのだ。そして産業界との戦いでウォール街が勝利をおさめた。
■ウォール街にマネーの奔流が押し寄せた。海外投資家たちがアメリカの株や債権に積極的に投資をし始めた。ウォール街はハイテクを駆使して流入したマネーを増殖させた。そのふくれあがったマネーが向かったのは、アジア、ロシア、中南米などの新興市場の国々だった。グローバル市場を舞台にウォール街を中心としたマネーの大動脈が築かれた。
1994年タイを訪問したベンツェン・アメリカ財務長官は金融自由化を要求した。アジアの側も経済成長のための資金を必要としていた。各国は競う合うように自由化に踏み切った。過剰な短期資金が流入し、それらのマネーは不動産や株式購入に向かい、タイにバブル経済を引起こした。当局の金融引締め政策は市場開放のもとで、もはやその効力を十分発揮できなくなっていた。
■一方、市場経済のグローバル化の進行に伴いウォール街はますます潤っていった。株式は大幅に上昇し、株価の上昇が消費を膨らませ、企業業績を上向かせた。財政赤字も大幅に削減された。アメリカは金融の力で戦後最高の好景気を実現させたのだ。ウォール街はルービンをツァー(皇帝)と呼んだ。そして1997年1月、クリントンは二期目の大統領選挙を圧勝し、アメリカ経済の再生を高らかに宣言した。
■グローバル化の進展とともに、日米の明暗が分かれた。世界最大の債権国・日本。個人の金融資産は1200兆円にのぼる。
このマネーを活かせば日本はグローバル経済市場の中で存在感を示せるはずだった。ところが日本の金融機関はバブル崩壊後の巨額の不良債権が重荷になってグローバル化への対応に大きく遅れをとった。景気回復をはかるため日銀は公定歩合を0.5%にまで引下げ、日本はかつてない超低金利時代に入った。超低金利、地価下落、株安。日本の機関投資家は国内に有利な投資先を失った。日本のマネーが向かったのはドル高のアメリカだった。日本に低金利政策を見直す動きが出た時、ルービン氏はすかさず日本の金利引上げの動きを牽制した。日本の低金利政策は継続された。
ここ1年、日本は大幅な金融ビッグバンを押し進めた。日本の金融機関を激しい国際競争に耐えさせる体質に変えようという狙いである。しかし欧米の金融機関が次々に上陸。様々な魅力的な金融商品で預金者や企業の関心を集めている。ビッグバンの主役は外資系に取って代わられた。超低金利政策と遅すぎたビッグバン。日本は結果的にアメリカにマネーを吸い取られ、その繁栄を支える仕組みに組み込まれた。そしてヨーロッパもまたアメリカを中心としたマネーの流れに組み込まれたのだった。
■盤石かにみえたマネーの大動脈の流れに突然異変が生じた。アジア、ロシア、中南米の世界金融危機である。1998年9月中旬、ワシントンに緊張が走った。ロングターム社が経営危機に陥った。すみやかに救済しなければ世界の金融市場は大混乱に陥る。グローバル市場経済の足元が揺らいだ。アメリカが押し進めてきた市場経済のグローバル化の是非を問う声が内外に出始めた。12月、ルービン財務長官は表明した。「アメリカにとってグローバル経済化以外に選択肢はない」と。政策を変更する意志のないことを改めて強調した。
■再び4人のコメンテイターたちが登場する。
【ベーカー元アメリカ国務長官】
・20世紀に様々な経済システムが試されたが結局、市場経済(=資本主義)だけが生き残った。
・1997年と1998年は市場経済のグローバル化が完成段階を迎えた年だった。
・アジア各国は、急速で力強い発展を遂げた。しかしこれらの国はグローバルな市場経済に参加したばかりで経験不足だった。
・それらの国はやみこもな投資が行われたがそれは自ら招きいれた投資だった。自ら招き入れたことを棚に上げて投資家を非難することはできない。
【マハティール・マレーシア首相】
・これはアメリカ式資本主義の抱える問題だ。
・彼らはどこででもやりたい放題だ。邪魔になる国境や障壁はあってはならないと考えている。
・彼らの投資は経済を発展させることもあるが崩壊させるのもまた彼らなのだ。
・このままだと資本主義そのものが崩壊する可能性がある。そうなればアメリカ自身も破滅することになる。
【作家・フォレステルさん】
・グローバル資本主義は庶民とは無縁のものだ。
・雇用そのものが失われ始めていることが問題なのだ。
・経済というとビジネスということになってしまっている。しかもそのビジネスとは実際は投機のことだ。
・19世紀以来の福祉問題すら解決できないまま利益だけを追求する仕組みはもう時代遅れだ。
【レスター・サロー教授】
・グローバル資本主義を誰も制御できる力を持っていないことが問題なのだ。
・理論的にはグローバル化した経済はグローバルな政府に任せるべきだが、残念ながら世界政府といったものはない。
・したがって今は、トラブルがおきても保安官もいなければ法律もなく、ピストルで決着をつけるしかない西部劇の世界だ。

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