私が中学生になり、ラジオでナイターを聞き始めたのは、太平洋クラブライオンズが誕生した年でした。どっぷりとライオンズファンになりました。(西鉄時代の応援状況)
私のライオンズファンは、高校三年の秋、ライオンズが福岡を去るときまで続きました(身売りを報じるフクニチスポーツ)。いや、正確に言えばそうではありません。応援団からの「平和台でお別れ試合を」というお願いに対し、西武から「福岡の人には応援してもらわなくてよい」と断られた、と報じられた時です。それまでは、遠くなるけど応援しよう、とか、所沢付近の大学に行くことはできないだろうか、と考えたりもしていたのですが、このニュースを聞いて、一気にアンチ西武になりました。幸い、主力選手の多くがトレードで出て行きましたので、気持ちの整理は簡単でした。
それまでは買っていなかった「甦れ! 俺の西鉄ライオンズ」(中山大三郎作詞作曲、黒田武士歌)を買いました(現在、徳間ジャパン25周年記念 歌謡大全集(8)に収録)。「俺たちの手にライオンズを取り戻そうよ 新しい名前は例えば九州ライオンズ 心から応援できるチームにしよう」という歌詞が哀しく聞こえました。さらにB面の「平和台大騒ぎ」(同)を聞いて、涙が出ました。この歌は、九州ライオンズが平和台球場で優勝するという架空の歌でした。架空実況中継を聞きながら、もう、このようなことは永遠に実現しないのだ、という思いで、涙が止まりませんでした。(歌についてくわしくはこちら)
太平洋クラブライオンズ1974年メンバー表
太平洋クラブライオンズ1975年メンバー表(どんたく打線)
太平洋クラブライオンズ1976年メンバー表
クラウンライターライオンズ1977年メンバー表
クラウンライターライオンズ1978年メンバー表(最後)