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新・大森なんでも伝言板

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とりあえず試験レンタル中。旧伝言板ルールは引き継がれます。


モりやま サイレントランニングといえば 2002年11月27日(水)18時21分13秒

エキスポタワーですが(?)老朽化のため撤去されちゃうんですね。

来年3月には完全に姿を消す予定

あれは山や川と同じ風景の一部だと思いこんでたんですけどねえ

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TwoMinuteWarning SF者の癖 2002年11月26日(火)23時44分45秒

こんにちは。ご無沙汰してます。
印象だけなんですけど、
「固有名詞の間違いに敏感」
「愛称よりも型番で言いたがる」
「液晶よりも発光ダイオードが好き」
そんな感じでしょうか。

リンク先は、「バーサーカー発見」。笑

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宮崎恵彦ことバラライカ宮崎 おくればせながらユタ追悼 2002年11月26日(火)23時24分40秒

野尻さんwrote:

>団体でレストランや喫茶店に入ると、追い出されるまでしゃべり続ける。
>追い出さないレストランや喫茶店は必ずつぶれる。

最近、高田馬場地方で、またひとつ実例が観測されましたね。(^^)

で、閉店の数日前に、ユタに寄ってみたときに、マスターに店名の由来を質問してみました。昭和24年に開店したときに、マスターのお父上が付けたとのことで、やはり、ユタ州の'UTAH'だそうです。当時、ユタ・コーポレーションとかいう音響機器メーカーが人気だったので、それにも掛けてあるとか。当然、宗教的な背景は全くない、とのことでした。

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しいたけやすし ドナルドダックの甥っ子たち 2002年11月26日(火)19時04分10秒

♪きむら様
はい、先週DVDを買ったのですよ。
常々「サイレント・ランニング」はラピュタの元ネタだと主張しているのですが(ほら、ロボットが無人の森を守る話だし)、誰にも相手にしてもらえません。

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♪きむらかずし Re: ヒューイ、デューイ、ルーイ 2002年11月26日(火)01時39分51秒

『サイレント・ランニング』、DVD が出てますね。 一方、『ブレードランナー』の DVD が廃盤というのは何か間違っている。

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しいたけやすし SF者の癖 2002年11月25日(月)16時24分38秒

通りすがりの者ですが、
●風呂で屁をこくと、「オキシジェンデストロイヤー!」とつぶやいてみる。
●三つ一組のものにはついヒューイ、デューイ、ルーイと名前をつけてしまう。
などいかがでしょう。

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青山智樹 SF者の癖 2002年11月18日(月)21時01分24秒

1.
 寄ると触ると「SF者ってのはよぉ」とSF者の特徴をあげて、卑下して喜ぶ。

2.
 大食らいである。
 いつだったか、推理作家協会のパーティで食い物の島にとりついてがばがば食っていると左から来た爺さんに弾き飛ばされた。よく見ると柴野拓美先生だった。
 弾き飛ばされた先で別のねえちゃんが食っているのにぶち当たった。よく見るとA場S子さんだった。
 はっと思って辺りを見回すと喰い漁っているのはSF者ばかりだった。
 食い意地の張っていないSF者はいないのか、と顔を上げると只酒を浴びるように呑んでいる小松左京先生と目が合った。

 これはイカン、とばかりに青山は食い続けた。

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タカアキラ  SF者の癖  2002年11月18日(月)17時19分18秒

先に帰ると悪口を言われる気がするのでなかなか帰れない。

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林 譲治 SF者の癖 2002年11月18日(月)17時00分12秒

 自動車で移動する時、前方の青信号を観て、「接近するから青く見える」と言い、
通り過ぎてから後ろの信号が赤いのを観て、「遠ざかるから赤く見える」と言う。

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たこい RE:SF者の癖 2002年11月18日(月)07時53分27秒

>>◆部屋に置く芳香剤は、絶対ラベンダーだ。

芳香剤ではないですが、昨年北海道に遊びに行ったときに、小樽のガラス屋に「ラベンダー柄の醤油さし」というのが売られていたので、つい一人で受けて買ってしまいました(笑)。

#それにつけても、まさか「おジャ魔女どれみ」に原田知世が声優で出るとは……(笑)。……って、完全に話題がずれてますけど(笑)。

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やまがた ネタすれ 2002年11月16日(土)16時22分24秒

病気のときでも、青い錠剤を飲むのについためらいを感じてしまう。
ときどきふと、衣装だんすの奥がナルニアに続いていないか確かめたくなる。

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大森 望 今日は京フェス 2002年11月16日(土)03時23分05秒

 朝の新幹線で東京を出るので、会場に着くのは1時ごろになりそうです。
 企画の打ち合わせとか全然してないけどいいんだろうか。

「SF者の癖」情報提供ありがとうございました>みなさま。
 しかしすでにネタスレになりかけている気も。むしろ「SF者度チェック」?

 わたしは1個ぐらいしか思い当たりません(笑)。

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冬樹蛉 RE:SF者の癖 2002年11月16日(土)02時37分26秒

 なんかビミョーにズレてきているような気もしないではないですが、
面白いのでもっとやろう(;^^)。

◆「この本買おうかな、どうしようかな」と迷ったとき、「次はないぞ」と必ず頭の中で誰かがささやく。
◆自動販売機の前に立つと、縦・横・高さの比率を目測してしまう。
◆エアコンの吹き出し口に紙の短冊を貼り付けて葉擦れの音を演出しないと落ちついて眠れない。
◆部屋に置く芳香剤は、絶対ラベンダーだ。
◆匿名記事で「N氏」という文字を見ると、「エヌ氏」に直したくなる。
◆ビジネス雑誌などに「SFA」という言葉が出てくると、生頼範義の絵柄が反射的に浮かんでしまう。
◆ビジネス雑誌などに「IR」という言葉が出てくると、頭の中で『サンダーバード』のテーマ曲が鳴り出す。
◆ビジネス雑誌などに「サイバースペース」という言葉が出てくると、なぜか妙な優越感が湧き起こってくる。
◆蛍光灯を取り替えるときに、つい「ぶぃ〜〜〜ん」と言いながら振り回してしまう。
◆性交中に、なぜか“波動砲”という単語が脳裡をかすめる(男性限定)。
◆食べ過ぎて気分が悪くなると、「さっき食ったのはD型では……」という妄想に駆られる。
◆大根をワン、ツー、スリー、フォー、ファイブと数える。
◆見知らぬネコを見かけると、つい「ピート、ピート」と声をかけてしまう。
 見知らぬネズミを見かけると、つい「アルジャーノン、アルジャーノン」と声をかけてしまう。
 見知らぬ人間を見かけると、つい、1回、2回、3回、5回、7回、11回、13回と手を叩いてみてしまう。

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雑破業 RE:SF者の癖 2002年11月16日(土)00時38分22秒

神社に行こうとしているときでも、
「おや、どちらへ?」と訪ねられると、
「テラへ」と答えてしまう。

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湯川光之 RE:SF者の癖 2002年11月15日(金)07時04分05秒

2月14日を「バンアレン帯デー」と呼ぶ。

団体でレストランなどに入り、同じ物を四つ注文すると
必ず誰かが「二つで充分ですよ」と言ってしまう。

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雑破業 RE:SF者の癖 2002年11月15日(金)04時23分47秒

無断欠勤の理由を問われたとき、
「うちの祖母が急死しまして」と、毎度使っているいいわけをしたところ、
上司に「君のおばあさんは何人いるのかね?」
と、イヤミまじりに問われたとき、つい、「九百人です」と答えてしまう。

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野尻抱介 RE:SF者の癖 2002年11月15日(金)03時22分05秒

 団体でレストランや喫茶店に入ると、追い出されるまでしゃべり続ける。
 追い出さないレストランや喫茶店は必ずつぶれる。

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冬樹蛉 SF者の癖 2002年11月15日(金)03時04分36秒

 団体でレストランなどに入ろうとして「何名様ですか?」と訊かれ数えたら
十一人だった場合、必ず誰かが「11人いる!」と「!」付きで言ってしまう。

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大森 望 SF者の癖 2002年11月13日(水)05時38分15秒

 そうか、バカボン鈴木ってどっかで聞いた名前だと思ったらパール兄弟だったんですね>あまかわ様。なんとなく納得。
 Dプログラム→Bプログラムは修正しておきました>ジョニー様。

 ところで、本の雑誌の企画で、いろんなジャンルの人の読書その他の「なくて七癖」を語るっていうネタがあり、大森は「SF者の癖」担当。
「とりあえず計算してみる」とかそういうやつ。←SF者の癖じゃないと思う。
 あとは、SFファンと出会うと、「どちらのご出身ですか?」と、まず出身ファングループを訊ねるとか、映画でもマンガでもアニメでも、まず「SFかどうか」を決定しようとするとか。
 その種のクセを思いついた人は教えてください。SF者特有な感じがすれば、個人的なクセでもかまいません。「計算」の例みたいに、全SF者共通じゃなくてもOK。

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たかはしジョ Re: 猫森集会 2002年11月09日(土)11時12分09秒

どうもごぶさたしております。
ところで浩子さんの猫森集会ですが、4日はDプログラムではなくって Bプログラム(の2日目)のはずです。Dプロは今日と明日ですね。

私は昨日のCプロ( オールリクエスト)に行く予定だったのですが、 仕事がはやめに片付かなかったので行けませんでした。涙。

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あまかわ バカボン鈴木氏 2002年11月08日(金)21時53分25秒

ってパール兄弟だったのでは。
パール兄弟の歌詞はSFネタが多かったと思います。
サエキけんぞう氏のセンスでしょうね。
(チバシティ眠れない・・・とか)

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大森 望 谷山浩子コンサート「猫森集会」@新宿スペース・ゼロ 2002年11月05日(火)05時00分06秒

 猫森集会、4日のDプログラムに行ってきました。安田ママさんが3日に行ったのと同一プログラム。谷山さんのコンサートに行くのは5年ぶりぐらいですが、いや、すばらしい。「悪魔の絵本」をナマで聞いたのは初めてかも。
 7日から10日まであと4公演残ってますが、当日ふらっと行ってもチケットは買えるみたいなので(とくに平日分)、木曜とか金曜とか、仕事がはやめに片づいた人はぜひどうぞ。会場は新宿駅南口徒歩5分(http://www.spacezero.co.jp/access.htm参照)。税込6300円です。

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冬樹蛉 日野啓三ファンの方、お買い逃しではございませんか? 2002年11月03日(日)07時37分01秒

 先ごろ亡くなられた日野啓三氏の写真エッセイ集『ユーラシアの風景 世界の記憶を辿る』ユーラシア旅行社出版部というところからニか月以上前に出ているのですが、なんか版元が出版事業をはじめられたばかりで流通で苦戦なさっている様子、ご存じないファンの方もいらっしゃるのではと、ちょいとおせっかいですが、日野啓三作品を愛する一ファンとして、こちらで勝手に宣伝させていただきます。SFファンには、けっこう日野啓三ファンがいますしね。  bk1はこちらへ。アマゾンはデータベースに入ってなかった。ひー(;_;)。

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大森 望 【告知】新・モンド総合研究所#97「日本・SF」放送中 2002年11月02日(土)15時55分13秒

 スカパーch279、MONDO21の情報番組『新・モンド総合研究所』の#97#98は、2週連続で「日本・SF」がテーマ。真夏に汗をだらだら流しながら縁側で大森と東浩紀氏がしゃべった話がオンエアされている模様。昨日が初回放送だったのにまだ観てないのでどんなふうになってるか知りませんが、MONDO21を観られる人はどうぞ。放送予定は新モンド総研のトップページ参照

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大森 望 【告知】奥泉光講演会とか 2002年10月31日(木)05時01分13秒

 SFの人も興味があると思うので届いた案内を転載しておきます。

ワセダミステリ・クラブ主催『奥泉光講演会』
日時:11月3日(日) 開場14:00 開演14:30
会場:早稲田大学 西早稲田キャンパス15号館201教室
入場料:無料(事前予約不要)
問い合わせ先:岩城090-3032-5895 鈴木090-4426-6230
http://www10.big.or.jp/‾wmc/

 ところで今日はJコレクション刊行記念フォーラム★。公式的には聴講券必須ですが、若干の空席が出そうなので、申し込んでない人も会場に行けばなんとかなるかも。とくにS澤編集長を知ってる人は受付で、「S澤さんから聞いて……」とか言えば大丈夫らしい。でも「えすざわ」と読んでしまうひとはダメかも(笑)。

>>きむらかずし様
 広報誌なのにSFマガジンの十倍ぐらい刷ってるとかいうやつですね。ぼくは現物観てないんですけど、でもゲラはPDFでした。

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きむらかずし 翻訳家 2002年10月29日(火)21時51分54秒

某Mグループの広報誌をなにげなく開いてビックリ!!
大森さんのお写真が。「日本語」の特集の中で、翻訳についてマジメに語っておられました。髪の毛もマジメに黒でした。

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大森 望 【告知】戸梶圭太監督作品、下北沢トリウッドで明日上映 2002年10月28日(月)18時52分25秒

 『ほしのこえ』封切館として有名な(?)下北沢トリウッドで、戸梶圭太監督の『Jの利用法』と『二種族激突』が上映されます(原作は『トカジノフ』収録の短編)。入場無料で、開映は、12:30 14:00 15:30 17:00 18:30 20:00 の6回上映。
 作品は今年のミス連合宿でも上映されたやつだと思う。杉江松恋に聞いた話だと、戸梶節爆発でかなり面白いらしい。和製ガイ・リッチーの実力を見よ! とか。一般上映の機会はほとんどないと思うので、戸梶ファンは是非。
 でもキャパが小さいので夜の回ははやめに行ったほうがいいかも。

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野尻抱介 2002年10月27日(日)16時01分48秒

>瀬名さん

 瀬名さんの論旨というのは「野尻の発言態度に問題があるので改めていただきたい」ということですよね。これについては対応できること・できないことの両方を誠実に回答したつもりです。科学観に関する質問を先行させましたが、その後で自主的にこの件に言及しました。はぐらかそうとしてはいません。
 また、科学観についての質問を先行させた理由も、早いうちに「ここさえ確かめれば瀬名秀明に対する長年の疑問が一気に決着しそうだ」と述べました。なにか背後に疑問があって科学観の質問をしたことはわかったはずです。

 私の「愛」に関する瀬名さんの要約は、骨格は合っていると思いますが、ずいぶん肉の付き方がちがうと思いました。このように解釈されたのは、私が先に「愛を書き連ねる」と書いたせいかもしれません。だとしたら、私の表現が不適切でした。
 私の小説については、基本的に、科学的裏付けをこつこつ積み重ねた上で自分の愛に忠実な結論に持っていこうとしているので、盲目・突進型と呼ばれるのは少々やるせないです。また、著者の望む結論が、多少の嘘は混じるとしても、科学的裏付けのある形で導かれるのがハードSFの醍醐味だと思っています。クラークのように気心の知れた著者の作品には、倒叙ミステリのような楽しみがある。
 私が他人の小説を盲目・突進型の愛ばかり意識して読んでいると要約されるのも少々やるせないです。『航路』についても、私と大差ない読み方・楽しみ方をしている人がいるようですから、それほどめちゃくちゃには読んでいないと思うのですが。

 掲示板等での私の発言についても、事実と合理的な判断を重んじているつもりですし、前述のとおり反論の機会も与えています。
 ただ、SF観や小説の感想など、主観的にしかあり得ない対象については、主観的であることが自明なので、好き勝手に放言することがあります。こうした発言に対する寛大さでは、瀬名さんと私の間にはかなりの隔たり・温度差があるように思います。
 私は、主観的な意見など言ったもん勝ち、ぐらいにしか思っていません。誰かが同じ態度でいるときも、内容によっては不快を感じながらも「しょうがないわなあ」とあきらめる場合がほとんどです。
 一部のSFファンの性向をすべてのSFファンの性向であるかのように語ると、瀬名さんは強く反発される。しかし私は、「一部」と「すべて」は集合論としては違うけれど、現実の量としてどうなのか、誰にも確たることは言えない、どっちみち曖昧なものだと思っています。こうした態度に強く反発される瀬名さんが、私にはなかなか理解できません。

 私からは、これをもって最終弁論としたく思います。じかにお会いする機会がありましたら、喜んで議論いたします。

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瀬名秀明 2002年10月26日(土)07時54分54秒

野尻さんの議論されたかった内容は、ほぼ理解できました。長い道のりでした。

>対象がバイオ・テクノロジーだとしたら、瀬名さんはそれに近い分野を研究していたのだから、きっと瀬名さんの書いたものはバイテクへの愛が語られるだろうと私は勝手に期待するわけです。
>ところがそうではなくて、バイテクの魅力も可能性も危険も織り交ぜて語られ、愛も語られてはいるものの、決して「バイテク万歳」な感じではない。

それは当たり前で、なぜなら「バイテクへの愛」が小説のテーマ(メッセージ)ではないからです(これについてはすでに述べました)。もちろん、「愛」がテーマの文章もたくさんありますよ。文庫解説とかはたいていそうです。野尻さんがご存じないだけでしょうね。
ところが野尻さんは、1)小説や発言のテーマはすべからく突進型・盲目型の「愛」だと思っておられるので、他人がたまたま突進型の「愛」を語っていないとまごつく。自分と違うテーマ(メッセージ)を発信しているものに価値を見出せない。
また、2)ご自身が突進型の「愛」を信奉しておられるので、それ以外の「愛」のかたちを知らない、ないしは理解できない。自分と同様の「愛」を相手にも要求し、それによって仲間であるかどうかを判断する。
そこで、うまく理解できないと、他人の「愛」のかたちに不信感を抱き、何かしら理由を求めようとする。今回はそれを「自己批判」に求めた、と。

今回のすれ違いの原因:
野尻さんは「愛」について語りたかった。
ところが瀬名は野尻さんの「科学」という言葉に引きずられ、「科学」を語ってしまった。

「読み方が偏っている」ことはご自身で納得されておられるようなので、それについてはひとまず措きます。私が「愛」を語っていない、と判断されることも措きましょう。
しかし、「読み方が偏っている」ことと、「相手の発言を理解し、議論する」ことは別ですよね。今回私の提示した論点をご理解いただけましたでしょうか。個々人で読み方が偏っていることは当然なので、それを踏まえた上で議論し、摺り合わせをおこなうものではないですか。だから私の姿勢が「賞賛に値する」かどうかなど、この際関係ないと思うのですが。

>そして、この違いこそが今回の議論の収穫だと考えています。

野尻さんにとっては収穫かもしれませんが、私の提示した論点はまったくはぐらかされる結果となってしまいました。それに、どうやら私の発言内容もうまく伝わっていないようです。私にはほとんど収穫がありません。
野尻さんの返答内容を要約しますと、「私はたいてい愛について語っている。その愛は盲信的なものだ。だから多少の粗雑さが出るのは仕方がないし、愛は私自身と一体なのだからいまさら姿勢を変えることはできない」ということですよね。それじゃ端から議論を放棄していることになりませんか。いや、野尻さんの愛の対象や愛のあり方なんて、他人がどうこういえるものではないです。それは野尻さんが自己完結すればいいことなので。しかし他人と何か話すときに、そのワイルドカードを振りかざされたのでは、相手になる方も戸惑います。

これはお願いなのですが、できれば野尻さんも論点を早い段階から披露していただきたいのです。どうもこういう根本的なことを最後に出されると、後出しじゃんけんをされたような気がして私は消耗します。今回野尻さんは話し合いながら論点をご自身の中でまとめていったようですので、ある程度は仕方のないことかもしれません。が、おそらくこういう書き方は、野尻さんがウェブの掲示板に慣れすぎてしまっていることもあるのでしょうね。

>これ以上議論につきあっていただけないなら、それでもかまいません。メールでやりとりすると大森さんや海法さんの整理も期待できず、さらに大変そうなので、それなら電話のほうがいいです。

つきあっていただけないも何も、こちらの論点は未解決なのです。しかし「愛」について語っている方に、論点などと申し上げても噛み合わないだろうし、周囲の方も面白くないだろうなという気がしています。すでに消耗戦だと申し上げましたが、そういうことです。ここから先の進展は本当に一歩ずつ、じりじりするものになるでしょう。
電話だと時間的に縛られるし、野尻さんもギャラリーがいないと不安なようですので、できればこの後は直接お会いして話しましょう。同業者ですから機会はいくらでもあると思いますので、そのときに。

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野尻抱介 2002年10月26日(土)00時16分22秒

>瀬名さん

|野尻さんは私が科学に対して「愛」があるかどうかを確かめるために、「賛美」や
|「信頼」といった言葉を使われてきたのですね。それで、愛が あるとわかったので、
|なぜそれにもかかわらず「クール」(野尻さん個人の観測結果)なのかを分析し、
|その理由を「自己批判」に求めた、とい うことでよろしいでしょうか。

 はい、ほぼその通りです。愛だけでなく、字義どおり「信頼」についても知りたかったのですが、根底にあるものとしては「愛」になりましょうか。

 たとえば私が宇宙開発を語るときは、それなりに諸問題を並べて中立なふりをするものの、結局は「宇宙開発万歳」で締めくくります。それが、私の思うところの愛の表現です。
 対象がバイオ・テクノロジーだとしたら、瀬名さんはそれに近い分野を研究していたのだから、きっと瀬名さんの書いたものはバイテクへの愛が語られるだろうと私は勝手に期待するわけです。
 ところがそうではなくて、バイテクの魅力も可能性も危険も織り交ぜて語られ、愛も語られてはいるものの、決して「バイテク万歳」な感じではない。
 そういうものを私は「クールだ」「愛がない」「煮え切らない」「科学を信頼してないのかなあ?」などと勝手に感じる。これは明らかに私の読み方が偏っているのだから、率直に述べたところで瀬名さんの機嫌を損ねることはあるまいと思ってそうしています。

 「愛がないというより自己批判のせいらしい」と述べたことは、言われてみれば乱暴な表現でしたが、「愛の有無の問題というよりは、対象を広い視野で捉え、批判もまじえて中立の姿勢で語る姿勢でいるらしい」というつもりでした。気持ちとしては、対象が科学関連であるときは研究者としての瀬名さんの自己の問題とみなすこともできるから、「自己批判」の一語にまとめたわけです。
 そういう瀬名さんの姿勢は賞賛に値すると心の底から思うのですが、自分の執筆姿勢とは違うので見習おうとは思わない、ということです。これまでの議論で互いのスタンスの違いは明らかになったと思うので、いまさら「見習おうとは思わない」と述べても失礼にはあたるまいと思ってそうしました。

 なにかを表現するにあたって、私はなんらかのメッセージを込めないと筆が進みません。メッセージの大半は対象への愛です。対象が客観性を旨とする科学や応用科学であっても、愛ゆえに自分勝手な結論を盛り込みます。
 瀬名さんは、「愛」の表現方法 と「自己批判」は本来無関係であると述べておられる。その通りかと思いますが、私はそこまですっきりとは割り切れません。
 そして、この違いこそが今回の議論の収穫だと考えています。

 これ以上議論につきあっていただけないなら、それでもかまいません。メールでやりとりすると大森さんや海法さんの整理も期待できず、さらに大変そうなので、それなら電話のほうがいいです。

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瀬名秀明 2002年10月25日(金)21時54分55秒

下記のように投稿してから、漸く気づきました。

野尻さんは私が科学に対して「愛」があるかどうかを確かめるために、「賛美」や「信頼」といった言葉を使われてきたのですね。それで、愛があるとわかったので、なぜそれにもかかわらず「クール」(野尻さん個人の観測結果)なのかを分析し、その理由を「自己批判」に求めた、ということでよろしいでしょうか。

野尻さんに合わせるように書きますが、「愛」の表現方法は人それぞれである、またその受け取り方も人それぞれである、「愛」の表現方法と「自己批判」は本来無関係である、と私は考えます。もちろん、私は野尻さんの愛の表現方法を否定するものではありません。

ただ、私の示した論点が、「愛」の有無とは無関係であることをご理解いただけると嬉しいのですが……。

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瀬名秀明 2002年10月25日(金)21時26分40秒

野尻様

>今回の議論で、それは愛がないというより自己批判のせいらしい、と理解しました。

言葉どおりに受け取りますが、どうしてこれだけ噛み合わないのか頭を抱えてしまいます。我々は科学のことを話していたのではなかったのでしょうか。「賛美」するかどうかとか、「信頼」するかどうかという話はしましたが、「愛」ってどこからやって来たのでしょうか。どうして上記のような結論に達しますか。「自己批判」をすると煮え切らなくなる? その論法はちょっと理解できません。噛み合わないながらもねばり強く摺り合わせをして、漸く今回はある程度のところまで来たと思っていたのに。

>瀬名さんの姿勢を見習おうとは思いません。

見習ってくれとお願いした記憶はありません。
SF云々、科学云々というより、我々は相手の言葉をいかに読解するかということを議論したほうがよさそうです。
最初からやり直しますか? すでに消耗戦ですが。場所を変える、ないしはメールでやりとりするほうがいいのでは。これ以上はギャラリーに見せても仕方がないでしょう。
もっとも、誤解されたままでも構わないような気がします。ただ、どうやらこちらの示した論点さえ伝わっていなかったようだと思うと、非常に残念です。

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野尻抱介 re:明日があるさ THE MOVIE 2002年10月25日(金)13時39分51秒

 アポロ11号の打ち上げは日本時間で1969年7月16日22時、月面活動が21日12〜14時、着水が25日の午前2時前。
 近畿地方の夏休み入りは20日でしたっけ? いずれにせよ、別のミッションだったり録画だったりするからはっきりしません。

 昭和9年生まれのうちの母に余ったチケットをやったら観てきて、意外にも好評でした。私の本を読んでいることを除けばロケット・宇宙属性皆無なんですが。
「なんか泣けてきたわ、(野口博士が)満州に行ったうちのお祖父さんそっくりでなあ」だそうな。

 野口博士のモデルは、ロバート・C・トゥルアックス(トルーアクス)だそうで、いいところを突いています。彼は野田昌宏編著『NASAこれがアメリカ航空宇宙局だ』のインタビュー記事や、エド・レジス『不死テクノロジー』に登場するバックヤード・ロケッティア。
 後者によるとトゥルアックスのロケットで宇宙へ行ってスペースコロニーで暮らそうと思っていた人々が、いつまでたっても実現しないのに業を煮やしてナノテクやクライオニクスに注目した流れがあるらしい。いつぞやのSFマガジンによれば、大森さんの訳した『フリーゾーン大混戦』の著者もクライオニクスにハマっていたような。

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大森 望 re:明日があるさ THE MOVIE  2002年10月25日(金)03時15分25秒

 妙典のワーナーマイカルで観てきました。やっぱり客は4,5人でしたが、意外にもギリギリ許せる内容。これってレモン月夜の宇宙船だったのね。
「老博士が30年間ひとりでこつこつとつくってた有人ロケット」という設定ではしかたがない。あまりに図式的なのが興醒めですが、中年向けファンタジーとしてはまずまずよくできているかも。いちばんいいのは燃焼実験のとこかなあ。

 ところで冒頭の回想シーンで子供たちが観てるのはアポロ11号の打ち上げですか? まだ夏休み前で、小学校の教室で観た記憶があるんだけど……。それとも学校で観たのは9号だっけか。

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野尻抱介 2002年10月23日(水)18時10分47秒

>瀬名さん

 ここで答えるとだらだら続いてしまいそうですが――
 「私の中のバランス感覚」は、
・あれでも充分気配りしているつもり。
・さらに気配りすると、勢いがなくなりそうな気もする。
・多少はつっこむ隙を残すほうが話が弾む。
・最初からおとなしくしているよりは、少々トラブって仲直りしたほうが面白い。
 などの要因が天秤を動かしています。

 今回の議論でつかめた気がするのは、瀬名作品全般に感じていた「対象への愛のなさ・煮えきらなさ」の理由です。
 対象とは研究現場、SF、宇宙開発、ロボット、各種の小説、アニメ、漫画など。
 私がそれらを語るときは熱暴走気味に愛をこめ可能性を謳歌し、それらがいかに人生を豊かにしてくれるかを書き連ねます。
 同じものを瀬名さんが語ると妙にクールで、「この人はこれが好きなのか嫌いなのかどっちなんだ?」とか「愛がない(=愛がなさそうに感じる)のに何言ってんだかなあ」と思ってしまう。
 今回の議論で、それは愛がないというより自己批判のせいらしい、と理解しました。
 私は自分のことを「感染力のあるバカ」ぐらいに思われていたいので、瀬名さんの姿勢を見習おうとは思いません。しかしとりあえず、そういう人なんだと理解したので、今後は無駄に腹を立てることはなくなると思います。

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瀬名秀明 2002年10月21日(月)17時26分52秒

野尻様
お返事が遅くなりましたこと、深くお詫びいたします。事情があって書き込む時間が取れませんでした。

>自分としては、ほぼ議論は決着したと思います。瀬名さんの著述の背景は理解できたつもりですし、今後いらぬ不信感を抱くこともほとんどなくなると思います。

ありがとうございます。私自身、これで今回の議論は終了したかなと思っています。自己批判性の話と、書き方(手法)の話は、もともとクリアに解決できない問題ですから、まずは野尻さんがここまでお考えいただいたことに心から感謝申し上げます。
ひとつだけさらにお聞きしたいことがあるとするなら、「うまく説明できませんが、私の中のバランス感覚が抵抗しています」というところですね。これは決して糾弾しているのではなくて、おそらくここに我々の行き違いが集約されているだろうと思うからです。いずれどこかで機会がありましたら、ぜひお考えをお聞かせいただければ幸いです。

>ウェブ上でのやりとりは、あれくらいのラフさで進めていいのではないでしょうか。

もちろんその通りなのですが、たぶん、ちょっとした言葉の使い回しだと思います。また過去の思い出とか、そういったものが関係する場合もあるかもしれません(今回はそうではありませんでしたが)。

>こんかい瀬名さんに提案したいのは、今後は「自著に関係ない話題で野尻ボードにいらっしゃいませんか」ということです。

お誘いありがとうございます。感謝します。
おそらく、自分の心の中で、ある程度の決着がついた時点で、ぜひそうさせていただければと思います。今回、かなりの相互理解が得られた感触はありますので、野尻さんのご希望のように、ざっくばらんな話ができるようになるかもしれません。しかし、今回の議論でも何度かニュアンスとして提示しましたが、まだ私にはどうしてもある種の違和感が拭えずにいます。例えばそれは、ディナーの席でA氏がいなかったらA氏について好き勝手にいっていいのだろうか、居酒屋のような半分クローズドな席ならともかく、皆から見える庭先だったらどうだろうか、というような話です。そこにA氏が現れた時点で腹を括るのでは遅すぎるのではないか、とか。仲間であることと、そうでないことの違いは何か、とか。
今回の議論で、野尻さんがこういった問題について、真摯に受けとめてくださったことは充分に理解しております。ですからうまくいくと信じていますが、まだどこかで引っかかっているのも事実なのです。野尻さんが「うまく説明できませんが、私の中のバランス感覚が抵抗しています」と仰るのと同じように。むろん、私自身も変えていかなければならないことは多分にあろうかと思います。
議論によって、相互理解が得られたのは大きな前進だったと思います。後は心の問題でしょう。しかしこれはちょっとしたきっかけの積み重ねや、時間の経過によって、何とかなると私は信じています。それを乗り越えれば、きっとリラックスして話が進むと思うのですが。

少しずつ努力してみますので、ゆっくりとお待ちいただければ幸いです。
また、この場を提供してくださった大森様にも感謝いたします。ありがとうございました。

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らっぱ亭 そういえば 2002年10月19日(土)22時01分24秒

私も、生協で『地球礁』と『現代思想の遭難者たち』を注文したことがあります。

とりあえず。

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まさこ 2002年10月19日(土)20時05分34秒

突然失礼します。
amazonで、『地球礁』と『現代思想の遭難者たち』を注文したことがあるのはわたしです。(おすすめということは他にもいらっしゃるということだと思いますが)
ラファティといしいひさいちを結びつけて考えたことはなかったんですが、何かあるかも・・・。

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大森 望 アッパー系とダウナー系 2002年10月18日(金)23時06分35秒

>>野尻さん
『明日があるさ THE MOVIE』で3、4回泣けるあたり(←野尻ボード参照)、「宇宙開発に関しては素直」ってことじゃないでしょうが。いや、ぼくはまだ観てないのでなんとも言えませんが、『明日があるさ』がアッパー系で、『王立宇宙軍』がダウナー系とか。この仮説が正しいかどうか、とりあえずはやめに見に行ってきます。

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野尻抱介 RE:クラーク的楽観主義 2002年10月18日(金)22時39分13秒

|野尻さんは自分の性格はひねくれてるくせに、読者にはすごく素直な性格を期待してるような気が。

 私は自分と同じタイプの読者しか想像できないです。ひねくれていると言われると嬉しいから、それはひねくれている証拠かもしれません。しかし私ほど素直で単純な奴はいないとも思います。
 『天使墜落』は、作品も著者もわがまま全開なのが気持ちよかった。そのわがままに共感できたから私は乗れたんでしょう。共感できるできないに関わらず、小説の中にわがままがむきだしなだけで駄目な人もいると思います。

 なにかで読んだんですが、ある作家が日頃小説など読まない男に自著を読ませてみると、こんな感想が返ってきた。
「先生あんたの本は最高だぜ! このジョンって野郎は鍛冶屋のサムにそっくりだ!」
 別の本を読ませると
「先生こっちはいまいちだな。知ってる奴が出てこねえ」

 興味の対象は違いますが、私が小説を読むときもこんなもんだし、書くときもそうです。

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大森 望 クラーク的楽観主義とか 2002年10月17日(木)17時15分45秒

 野尻さんは自分の性格はひねくれてるくせに、読者にはすごく素直な性格を期待してるような気が。素直な科学肯定と楽観主義にあふれたSFを読んだからといって、読者が科学の可能性に目覚めるとは限らないわけで、このへんは『天使墜落』を受け入れられるかどうかにもつながってくるかも。
 いやもちろん、実生活ではひねくれてるけど、夢と理想についてはきわめて素直って人もいるでしょうが。大森の場合はダウナー系の薬のほうがよく効くってことかな。

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野尻抱介 2002年10月16日(水)22時10分04秒

>瀬名さん

 自分としては、ほぼ議論は決着したと思います。瀬名さんの著述の背景は理解できたつもりですし、今後いらぬ不信感を抱くこともほとんどなくなると思います。

|野尻さんが「信頼」という言葉を使ったのでそれに引きずられましたが

 すみません。議論をするうちに未定着だった自分の考えがまとまってきて、当初の質問からポイントがそれました。とはいえ、言っている内容は変わりませんので、ここでは一致をみたと思います。

 「時代」に対する考え方について。
 私は瀬名さんのコメントを「科学を賛美するのはもう古い。時代にマッチしてないよ」という態度だと解釈してあのように返したのですが、間違っていたようです。瀬名さんの時代の扱いは異論ありませんし、私の好みからもさほど離れていません。
 あれは「時代」と言わず「社会」にすればよかったんでしょうか。私はこのへんのボキャブラリーが貧困なんですが、結局言いたかったのは「瀬名さんは私よりずっと社会派・現実派である」みたいなことです。

 アッパー、ダウナーについて。
 瀬名作品をアッパー系と捉える読者がいるとのことで、これは素直に同意します。基本的に瀬名作品は人間賛歌で着地していると思いますし。(人間賛歌という表現もバカっぽくて嫌ですが、悪い意味では使っていません)
 それをダウナー系と感じるのは、終盤の展開で私があさっての方向に期待してしまうからに他ならない。これはまあ、いまさら気にしないだろうと思ってそう述べました。
 日頃仲良くしているNHKトリオ(野尻、林、小林)の他の二人の作品でさえ、「ここをこうすりゃ自分好みなのになあ」と思うことはよくあります。また、自分の作品を楽しめない人がいることも、あまり気にしていません。

 さて、当初から瀬名さんから批判を受けていた、私の発言態度に関する話ですが。
 科学観について先行して質問したのも、そこを確かめてからのほうがこの話が円滑に進むだろうと思ったからです。
 先の私の発言では「科学する個人」ばかり強調してしまいましたが、瀬名さんが述べている、科学におけるa,b二段階の自己批判性についても異議ありません。たしか『パラサイト・イヴ』で、ネイチャーなど論文査読のある雑誌の意義について主人公に語らせていたと思いますが、これは自己批判性(a)に含まれる、と。

|何かに没頭しているときその人の脳はもっとも自由な状態である、とは認知心理学者・
|下條信輔氏の言葉ですが、野尻さんの基盤はその自由こそに最大の価値を置く、
|ということであるように思います。

 下條信輔氏の本は『太陽の簒奪者』のネタ本のひとつです。下條氏の本では、彼の説は異端らしいのですが、私はそれがすでに主流か、これから主流になると思っています。瀬名さんもよく御存知の浅田稔さんも下條氏と交流があるそうで、「やっぱりか!」と膝を打ちました。
 脱線しました。下條氏の説では没頭状態→脳が自由→無意識、と導かれますが、私が述べる「心の自由」はもっと意識的なもので、「わがまま」に近いものです。たとえば私が有人宇宙飛行を称揚するのは、結局自分が宇宙へ行きたいからです。科学的成果は乏しいし、予算も食い荒らしますが、そこで自己批判していたら何も言えなくなってしまう。そういう態度と、科学に忠実であることは矛盾しないと思います。

 瀬名さんはたぶん「科学を信奉するなら、あなたも(主にウェブでの発言を)自己批判しなさいよ」とおっしゃりたいと思います。これに対して私は、自分の掲示板で随時批判の機会を与えていると述べましたが、掲示板では機能が不十分だという御意見でした。
 ギャラリーの中にも「不快だと言われてるんだから素直に従えばいいだろ」と思う人がいるにちがいありません。気の合う仲間を集めてお山の大将をしている人はウェブのあちこちで目に付きますが、私もその一人と見られているかもしれない。
 しかし私には、「瀬名さんに関係する発言においてはわかりやすい表現につとめる」以上のことは、やはり約束したくありません。うまく説明できませんが、私の中のバランス感覚が抵抗しています。
 瀬名さんも、大森さんが『航路』の反応をSF系とミステリ系読者に二分して述べた時は異議を申し立てなかった。ウェブ上でのやりとりは、あれくらいのラフさで進めていいのではないでしょうか。

 野尻ボードについて、ある程度敷居の高さがあることは意識しています。あまり気楽に書き込めてしまうと発言の質が落ちるし、私も不特定の人から乱暴な言葉で批判されたりするのは嫌ですし。
 こんかい瀬名さんに提案したいのは、今後は「自著に関係ない話題で野尻ボードにいらっしゃいませんか」ということです。
 これまでの険悪なやりとりは、ほぼすべて瀬名さんの著作に関わることばかりでした。これはディナーの席で政治の話をするのと同じくらい危険なことです。そうなったのも私のせいですが、「そこに瀬名さんがいなかったから」と言い訳したくもある。今回も指摘されるまで、瀬名さんが野尻ボードを読んでいるとは思ってなかったです。
 第三者的な話題について「野尻さん、それはちがうんでは」とつっこむとか、「先日こんな人に会いました」みたいな話題なら双方リラックスして話が進むと思うんですが、どうでしょうか。
 その第三者が野尻ボードに現れたらどうするのだ、と言われそうですが、そうなったら腹をくくって対応するしかありません。
 今回もそうしているわけです。

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瀬名秀明 2002年10月15日(火)21時56分38秒

野尻様
私と野尻さんの根本的な科学観がそれほど変わらないことは互いに確認できたように思います。その上で、微妙な差異が生じていることも、今回の対話でかなり明確になってきたのではないでしょうか。まだ若干誤解されている面があるように思いますが、それは以下に細かく説明します。

>私は広い意味でなくても、科学が常に正しいとは思いません。(C)はもちろん、(B)のレベルでも実際のアプローチは一通りではないので、正しいとは限らない。(A)自然法則のレベルでさえ、修正が加わることがある。

ここはまったく同感です。野尻さんが「信頼」という言葉を使ったのでそれに引きずられましたが、いいたいことは同じです。

>私が科学について信じるのは、(B)における健全さです。ある人が知識を得ようとして科学の方法論に徹している時、その行動は合目的性において健全であると信じられる。
 その結果得られた理解が間違っているとか、回り道をしたとか、その行動に没頭して健康を害したとか、そこで得た知識を不健全な目的に使うといったことは関係ありません。科学は知識獲得の手段に健全さを保証する、ということです。

科学の方法論に対する健全さを保証するのが、幾つかのレベルにおける自己批判性である、というのが私の考え方です。獲得した知識が正しいものであるかどうかどうかわからないからチェック機構が欠かせない。自己批判性を有しているからこそ、科学に限らず学問は健全であり得る。また方法論を常に問い直すことで信頼が生まれる。ただし、科学は再現性という客観を重視し、自己批判に厳しいので、その意味で「健全」さがピュアであるとはいえるかもしれない。もっとも、これは学問分野の優劣とは関係ない。
a)科学全体のレベルにおいて、客観・再現性は自己批判の役割を果たす。これによって科学の健全さは保証される。
b)科学者個々人のレベルにおいて、科学をすることへの自己批判性は、その科学者の健全さを保証する一助となる。こういった個々の自己批判性が集まってa)を形成する。
何かに没頭しているときその人の脳はもっとも自由な状態である、とは認知心理学者・下條信輔氏の言葉ですが、野尻さんの基盤はその自由こそに最大の価値を置く、ということであるように思います。個人の問題であればそれでよいのですが、この自由はときに端から見ると「エキセントリック」であるし(野尻さんも最後にこの言葉を使われている通り)、あるいは自己批判性に欠けると感じられる場合もある。そのあたりからもう一歩先へ進んで考えたい、と私自身は思っています。そのスタンスがダウナー系に見えるのかもしれません。

>科学を賛美する時代は終わった、というのは同感です。あれは1960年代がピークでしょう。瀬名さんの答え方からすると、科学を賛美しないのは、その時代が終わったから、ということになるでしょうか。自分の著述や意見は時代を反映したものでありたい、と。

その時代が終わったから、ではなくて、たまたま違う時代に生まれついたので、野尻さんとは出発点が違うようだ、ということです。時代に追従したいと思っているわけではありません。というか、そう考えた時点で作家としては終わりでしょう。もっとも、現代や近未来を舞台に設定する以上、結果的に時代が反映されることからは逃れられません。また意識的に時代の雰囲気を取り入れることもあります(いまの読者に読んでもらい、問題意識を共有してもらうため)。が、小説の本質部分では時代の意見と寝ないように心がけています。ここは私にとっても重要な部分なので、もしいまひとつ不明瞭だと感じられるようでしたらもう一度仰ってください。

>私の手本のひとつはクラークです。あの能天気な科学肯定と楽観主義を、揺らぐことなく引き継ぎたい。なぜかといえば、楽観主義はバカに見えるけど、人を巻き込む力があるからです。

偶然ですが、私は年末に発売されるアンソロジーでクラークの「太陽系最後の日」を挙げ、その解説としてほぼ同様の話を書いています。ですから野尻さんのお考えを否定しているわけではなく、むしろ眩しさを感じながらある種の理想を見出していることはご理解下さい。

>たとえノンフィクションであれ、私の意見に公正さはありません。所詮一人の作家が述べることですから、偏見があって当たり前。公正な考えなどさして面白くもないし、人を動かす力も弱い。

仰るとおりですが、公正さに欠ける御発言がときに不快感をもたらすこともあり得ます。特にウェブ上の発言というのは微妙な位置にありますので、ある程度の配慮は必要だと私は考えます。公正というのは、何も学術誌の総説のように、総花的にあちこちへ色目を使えということではありません。個人のスタンスを明確にし、また曖昧で不用意な表現については自己チェックの範囲内で気を配る、ということです。わかりやすい書き方を心がけるということです。その上での偏見は構いません。このような配慮と、

>それより百人中一人でも「おお野尻よ、よく言った! 俺もファーストコンタクトに立ち会えるなら死んでもいいぞ!」と身を乗り出してくれたほうがいい。

という理想は決して背反しないと思うのですが。ここの議論はすれ違いのまま終わるのかな……(マナーという言葉を出したのが悪かったのか?)。我々の衝突の発端は常にここにあるような気がするので(今回も私の最初の指摘はこれでした)、できれば野尻さんからのご意見をこの機会に伺いたいところです。

>私が書こうとするものをアッパー系と呼ぶなら、瀬名さんの著作・論述はどこかダウナー系です。確かに時代や現実をよく反映していて読書体験としては濃厚だけど、よし俺も何かやろう、という元気は湧いてこない。そのリアリズムが、読者を実社会で動かす力をむしろ奪っているように思える。

私の読者の一部は確実に「よし俺も何かやろう、という元気は湧い」てきていると実感していますので(読者からの手紙などによる印象)、これは作家によって読者層が違うということだと思います。実際、私の本を読んで科学分野を進路に選んだ、という手紙は毎年いくつかいただきます。私の読者は実社会で動こうとしながらときに挫折を感じている人で、あまりウェブ上で積極的に発言するタイプではありません。そういった人に対するエールは送っているつもりです。野尻さんから見ればダウナー系かもしれませんが(私自身は決してダウナー系とは思っていないのですが)、ダウナーにもそれなりの希望と理想と行動はあるということで。そうか、SFに限っていえば、幾つかの経験の結果ダウナーになったかも。
まあ「元気」の質が野尻さんとは違うかもしれません。何だろう、勇気かな。あるいは靱(つよ)さとか。いいかえれば、野尻さんとは別の場面での勇気を与えたいと思っているのです。

>ハードSF観については「科学の方法論の達成を主眼に置く小説」ではなく、「科学の方法論が達成したふりをすることで読者を動かす、しょせん嘘八百のSF小説」ぐらいに思っています。人文社会を含めた総合的リアリズムに照らせばファンタジーと大差ありませんが、異なるのは読者の動き方です。ハードSFを楽しんだ読者の一部は、他ジャンルの小説では味わえない「希望の感触」を抱いてその後を生きる。そう信じています。

これは理解できます。が、理解しても納得はできないタイプの人もいて、そういう人たちは野尻さんのいう「ハードSF」を楽しめない。ただ、彼らにも他の手段で希望の感触を与えることはできるかもしれない。希望を獲得する手段は幾つかあると私は信じており、その方法は前例もないのでまだ明確に見えていないものの、模索の必要はある。模索の過程を提示することは希望に繋がる。そのような信念で作品を書いています。

>『航路』は多くのSFと違って、世界がほとんど変わらないまま終わる。しかし世界が変わるまでのハードSFだと思えば、かなり近い気がします。

世界が変わるまでの希望と、それを実現する過程でのもどかしさを描いている、という意味でしたら、私もそう感じます。それは社会で豊かに生きるということなので。

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