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とりあえず試験レンタル中。旧伝言板ルールは引き継がれます。


小林泰三 Re: 「人間が読めてしまう」小説 2001年07月26日(木)06時49分20秒

>冬樹 様

「「人間が読めてしまう」小説」 で 冬樹蛉 さんは以下のように書かれました。

>  しかし、ここに「イカの頭が書かれている」ものがあったとして、それを読ん
> だところ、「ああ、イカの頭が書かれているな。が、どうしたことか、私はこの
> “書かれているイカの頭”を読んで、いわく言い難い感情体験をしている」と思
> う場合、「テクスト(イカの頭)+読者の読書体験(いわく言い難い感情を換気
> される)」をひっくるめて、つまり「テクストが読まれるという現象」に関して
> も、私は「人間が書けている」とやっぱり言います。(ケースB)

ケースBのわかりやすく具体的ないい例はないかと考えたのですが、つまりこ
れは俳句や短歌などによく見られる手法と考えていいのでしょうか?
ぺたぺたな例ですが、

古池や 蛙飛び込む 水の音

には人間がス

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野尻抱介 あの魚は 2001年07月26日(木)02時17分21秒

 小林さんには及びませんが、あの魚のことなら私も少しは語れます。
 あれは珍種でした。釣り味はブルーギルでした。どこにでもいて、どんなフライでも無節操に食ってきました。ワン・キャストで四、五匹釣れてきて、しかも魚籠の中で繁殖して一時間もすると50匹くらいに増えていました。帰宅して冷蔵庫に入れておいて翌朝見たら2500匹くらいに増えて台所を埋め尽くしていました。トラックで産廃処理場に運んだ6時間後には125000匹くらいに増えて囲いを破り、川から海へ土石流のように泳いでいきました。まもなく岩手の川にものぼってくると思います。
 外見はパイクですかね。

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冬樹蛉 You might think today's some fish. 2001年07月26日(木)02時05分37秒

>平谷美樹さま

>フライフィッシングを趣味とする者としては、どんな魚がかかったのか気に掛かります。

 いやあ、なんと申しますか、“名づけることを禁じられた魚”とでも申しましょうか。
小林さんのほうが平谷さんと生身で会う機会が多いと思いますので、詳しくはそのうち
小林“魚紳さん”泰三先生からじっくりこっそりたっぷりまったりオフラインで
聴いてください(;^^)/。


※ 表題の意味がわからない受験生の方々は、お力落としのないように。
 「言うまいと 思えど今日の 寒さかな」という有名なやつです。
 むかしは、こんなことばっかり教えてた先生がよくいたよなあ(;^^)。

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糞の海を泳ぐもの Re:小林泰三さまへ 2001年07月26日(木)01時52分11秒

>> 「小説すばる」自身が、衰退しつつある「文芸誌」なるジャンルの雑誌ですから、
>> そこにいくらSFが掲載されてもさほど重要とは思えません。
>
>象徴的な意味合いがあります。
>
なるほど、了解しました。

>> 「小学六年生」や「オレンジページ」に載ったらそりゃ確かに凄いですけどね。
>
>「オレンジページ」は知りませんが、「小学六年生」には載ってませんか?
>
載ってません。

文士である小林氏が「SF新時代の夜明け」を謳うからには、死に体の「文芸」を
SFが復興させる算段がついたのだと思っていたのですが、当方の勘違いでしたか?
もしそうなら、過度の期待を勝手に抱いてしまって申し訳ありませんでした。

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冬樹蛉 「人間が読めてしまう」小説 2001年07月26日(木)01時16分35秒

>小林泰三さま、山之口洋さま

 小林さんと山之口さんのやりとりは、たいへん興味深いですね。図らずもお二
人は、共有している認識と異なっている認識のコントラストが明晰に浮かび上がっ
てくるタイプの面白い組み合わせで、聞いていてとても刺激を受ける議論です。

 ひとつ気になるのですが、お二人とも作家であるためか、「人間の感情が書か
れている」という部分を、「人間の感情が記述されているテクスト」という意味
で自明に捉えてらっしゃるように思います。ここがちょっと私には引っかかりま
す。というのは、「人間の感情が書かれている」とか「人間の感情が書けている」
とかいった表現を、私ならふたつのレベルで使用するからです。

 「人間の感情が書かれている」ものを読んで、「ああ、人間の感情が書かれて
いるな。私もこの“書かれている感情”をよく知っている。うまく書かれている
な」と思う――というのが、最も素朴な、いわゆる“ふつうの小説”の読まれか
たでありましょう。これを巧みに為し得ているケースを指して、「人間が書けて
いる」と呼ぶのは異論のないところでしょう。私もこういうのを「人間が書けて
いる」と言います。(ケースA)

 しかし、ここに「イカの頭が書かれている」ものがあったとして、それを読ん
だところ、「ああ、イカの頭が書かれているな。が、どうしたことか、私はこの
“書かれているイカの頭”を読んで、いわく言い難い感情体験をしている」と思
う場合、「テクスト(イカの頭)+読者の読書体験(いわく言い難い感情を換気
される)」をひっくるめて、つまり「テクストが読まれるという現象」に関して
も、私は「人間が書けている」とやっぱり言います。(ケースB)

 ややこしい言いかたをしましたが、いまそこにあるテクストに“人間の感情”
が記述されているかどうかと、テクストが読まれるという現象がその効果として
「ここには“人間の感情”が表現されている」という体験を読者にもたらすかど
うかとは、別物と見ておくほうが分析がしやすいのではないかと思います。われ
われはふだん、どちらも気軽に「人間が書かれている」と同じように呼んでしま
いますから。

 ケースAとケースBは、無論フリップ・フロップなものではなくて、それぞれ
を両極に連続したスペクトルを持つものだと私は考えています。SFは、ケースB
のほうに重心があるのだと個人的には解釈します。ケースBに於いて感情体験が
もたらされるのは、テクストと同時に“自分を読んでいる”からにほかならない
ですよね。ですから、厳密には、「人間が書かれている」「人間が書けている」
に加えて、「人間が読めてしまう」という視点も必要なのではないでしょうか。
たとえレストランのメニューであったとしても、人間が読んだときに(読者はた
いてい人間です)そこに「人間が(自分が)読めてしまう」のであれば、それは
小説でありましょう。少なくとも、小説として機能する芸術とは呼べるでしょう。

 ですから、私には、山之口さんが画然と弁別なさるふたつのタイプの小説が、
さほど画然と弁別できるようにも思えませんし、小林さんと山之口さんの考えの
差異よりも、共通点のほうがより大きく見えてくるのです。とはいえ、その差異
の部分にこそ、とても刺激的ななにかが隠れているように思われ、わくわくして
もいます。あ、これはべつに、お二人にここで徹底的に議論して欲しいと言って
いるわけではありませんよ。お二人のやりとりを読んでいて、とても面白い鉱脈
が個人的には見えたような気がして喜んでいるのです。

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平谷美樹 同じ魚 2001年07月26日(木)00時56分12秒

フライフィッシングを趣味とする者としては、どんな魚がかかったのか気に掛かります。

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冬樹蛉 超・ハード・SF・ホラーかも 2001年07月25日(水)23時47分37秒

>小林泰三さま

>前にキャッチ・アンド。リリースをした時は同じ魚ばかりかかって、気持ち悪
>かったですね。

 気持ち悪いので別の池に行くと、そこでも同じ魚がかかる。どうしたことかと
また別の池に行ってもやっぱり同じ魚がかかる。あれはじつに怪異な体験でした。
あれらの池は、みんな地下で繋がっているにちがいありません。

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小林泰三 Re: 横レス失礼します。 2001年07月25日(水)23時13分35秒

「横レス失礼します。」 で 天然八歩 さんは以下のように書かれました。
> 「キャッチ・アンド。リリース」とアンドの後に「。」がついていると、キャッチのあと、さんざんもてあそんでから放してやるといったニュアンスが感じられますね。
> 見当違いかもしれませんが。

確かに、そんな感じですね。(^^)
僕はやりませんけど。

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小林泰三 Re:  2001年07月25日(水)23時11分51秒

キャッチ・アンド。リリース さん、初めまして。

「」 で キャッチ・アンド。リリース さんは以下のように書かれました。
> キャッチ・アンド・リリースと、どう違うのでしょう?

何がですか?

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小林泰三 Re: SF新時代の到来 2001年07月25日(水)23時09分42秒

>山之口さん

早速御回答いただき、ありがとうございます。

僕自身も議論によって相手を屈服させることには興味はありません。
このような公開の場で議論をするのは、多くの方々に自らの意見を表明する機
会ととらえていますので、双方の主張が出揃ったところで自然に収束するのが
自然でしょう。

さて、本論に移らせていただきます。
#全文を引用するのは煩雑になるので、一部を引用しますが、山之口さんの真
#意は下のご本人の御発言で確認してください。

> 現時点では、作者本人が、SFと取られてもよいという意図でそう言うのはかまい
> ませんが、他人が言ってはいけないと考えます。

これには少し違う意見を持っています。「この小説のジャンルは○○」である
というのは小説の評価の一種であると考えます。書評家が任意の小説を自由に
評していい限り、ジャンルを決めてしまうことも止められないと思います。
もちろん、作家側が「わたしの作品を SF と呼ばないで欲しい」と表明する
ことも自由でしょう。ただし、「わたしの作品を面白くないと言わないで欲し
い」と表明するのと同程度の意味合いでですが。

> 目的意識と評価基準に大きな差があります。(普通の)小説は人間の、特に感情を
> 描くことを目的とするものです。これは山之口の私見ではなく、あまりにも自明の
> ことですので、議論する気はありません。

> 一方、現在SFとされている小説のうちかなりの部分が、これとは目的意識を異に
> しておりますし、別の観点で評価されているように思います。

確かに SF ファンの中には、人間を描くことを評価しない人もいますし、僕
自身そのこと自体否定すべきこととは感じません。しかし、多くの SF は人
間の感情を描き、また読者もそれを評価しています。

例えば、ハヤカワ文庫『新・SF ハンドブック』によるオールタイム・ベス
ト10には以下のような作品が選ばれています。

1.『夏への扉』
2.『火星年代記』
3.『ソラリスの陽のもとに』
4.『虎よ、虎よ』
5.『幼年期の終り』
6.『ハイペリオン』
7.<銀河帝国興亡史>
8.『地球の長い午後』
9.『星を継ぐもの』
10.『アルジャーノンに花束を』

ところで、本格ミステリは「普通の小説」には入らないのでしょうか?

> これは今にはじまったことではなく、1970年代以前の日本のSFにも変わらず
> あてはまっていたことだと思います。ぼくの記憶では、当時はいまよりむしろ、S
> F作品とそれ以外、SF作家とそれ以外が明確に区別されていたように思うのです
> が、誤解でしょうか。また、当時のSF作品で、文学として高く評価されたものが
> どれだけあるかを考えると、当時のSFが「必要に応じて(疑似)科学的設定を入
> れた普通の小説」とはとても思えないのです。

星新一さん、小松左京さん、筒井康隆さんが日本を代表する SF 作家だとい
うことは、多くが認めるところですが、この方々が書かれたものはどうでしょ
う?
「ボッコちゃん」「日本沈没」「復活の日」「首都消失」「家族八景」「時を
かける少女」などは「必要に応じて(疑似)科学的設定を入れた普通の小説」
ではないのでしょうか? もちろん、違うと言われれば、仕方ありませんが、
その場合僕には SF と「必要に応じて(疑似)科学的設定を入れた普通の小
説」の区別がついていないということになります。僕にはこれらの作品が(疑
似)科学的アイデアを描くことに主眼があったようには思えないのです。

小林が提唱する SF (小説) の定義をあげておきます。

(1) 狭義の SF
未知の自然現象もしくは実現していない技術を作中で描いている小説。

(2) ハード SF
(1)のうち、特に科学的な整合性に主眼を置いたもの。

(3) 広義の SF
現行のどのジャンルにも属さない小説 + (1)

(2) を SF だと考えている方が多いように思われますが、オールタイム・ベ
ストを見る限りそれは誤解でしょう。

僕が (1)〜(3) のような定義を提唱する理由はそれが読者にとっても作家にと
ってもメリットがあると考えるからです。

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山之口洋 Re: SF新時代の到来 2001年07月25日(水)17時10分34秒

>小林さん
ようやく、小林さんの「迷信」発言の前提がわかりました。あらかじめ申し上げて
おきますが、ぼくは、「相手を自分の意見に従わせたり、相手を負かしたりする」
ための議論はしませんし、議論と言うものにそこまで信をおいていませんので、小
林さんとぼくの立場の違いが明確になった時点で、失礼しようと思います。ここま
で理解が共有できていれば、そう長いことでもなさそうです。

まず、SF自体の定義にからむことに「SF的設定」の用語を用いた不注意をお詫
びします。「(疑似)科学的設定」とさせてください。「科学」は「科学技術」の
意味とお考えください。「(疑似)科学」とは「科学技術的または疑似科学技術的」
の意味で用いてます。

そこで、小林さんのご質問にお答えしますと、

(1)「必要に応じて(疑似)科学的設定を入れた普通の小説」をSFと言っては
いけないのでしょうか?

現時点では、作者本人が、SFと取られてもよいという意図でそう言うのはかまい
ませんが、他人が言ってはいけないと考えます。読者をミスリードしてしまうから
です。理由は後述。

(2)「必要に応じて(疑似)科学的設定を入れた普通の小説」とSFの差はどこ
にあるのでしょうか?

目的意識と評価基準に大きな差があります。(普通の)小説は人間の、特に感情を
描くことを目的とするものです。これは山之口の私見ではなく、あまりにも自明の
ことですので、議論する気はありません。それに(疑似)科学的設定を入れてもよ
いのは、そうした方が人間を、そして人間感情をより深く、あるいは別の側面を描
けるようになる場合だけだと思います。そして、その目的がどれだけ達成されてい
るかが、その小説の評価を決定します。これが(普通の)小説の立場です。
一方、現在SFとされている小説のうちかなりの部分が、これとは目的意識を異に
しておりますし、別の観点で評価されているように思います。それが、SFファン
に高く評価されている作品が、一般の文学としては低く評価されたり、その逆であ
ったりという、よく起こっている現象の原因だと考えられます。

これは今にはじまったことではなく、1970年代以前の日本のSFにも変わらず
あてはまっていたことだと思います。ぼくの記憶では、当時はいまよりむしろ、S
F作品とそれ以外、SF作家とそれ以外が明確に区別されていたように思うのです
が、誤解でしょうか。また、当時のSF作品で、文学として高く評価されたものが
どれだけあるかを考えると、当時のSFが「必要に応じて(疑似)科学的設定を入
れた普通の小説」とはとても思えないのです。
また、当時は一般人の生活と科学技術の間にはかなりの隔たりがあり、小説に科学
技術を入れればとにかくSFと言った風潮もあったかに思います。ただ、その場合
も、普通の小説とは異なる目的意識、たとえば(疑似)科学的アイデアを描くこ
とに主眼があったように見受けられます。

ですから、今仮に「必要に応じて(疑似)科学的設定を入れた普通の小説」をSF
と呼ぶことにすれば、確かに1970年代より、文学におけるSF作品の比率も高
く、「SFブーム」と呼んでも差し支えありません。
しかし、現在の「必要に応じて(疑似)科学的設定を入れた普通の小説」は、70
年代のSFの子孫ではなく、やはり、70年代の「(疑似)科学的設定を入れない
普通の小説」の子孫なのです。
これで、お互いの立場の違いは明確になったと思いますがいかが。

また、山之口の言う「小説の目的=人間(感情)を描くもの」は狭すぎるとか、間
違っていると言うのでしたら、それに替わる定義を出してください。
人間を書かないのなら、小説である必要はないし、そもそも芸術である必要もない。
映画でよいのです。

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天然八歩 横レス失礼します。 2001年07月25日(水)11時50分24秒

「キャッチ・アンド。リリース」とアンドの後に「。」がついていると、キャッチのあと、さんざんもてあそんでから放してやるといったニュアンスが感じられますね。
見当違いかもしれませんが。

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キャッチ・アンド。リリース 2001年07月25日(水)07時42分02秒

キャッチ・アンド・リリースと、どう違うのでしょう?

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小林泰三 糞の海を泳ぐものさんへ 2001年07月25日(水)07時41分57秒

「小林泰三さんへ」 で 糞の海を泳ぐもの さんは以下のように書かれました。

> 「小説すばる」自身が、衰退しつつある「文芸誌」なるジャンルの雑誌ですから、
> そこにいくらSFが掲載されてもさほど重要とは思えません。

象徴的な意味合いがあります。

> 「小学六年生」や「オレンジページ」に載ったらそりゃ確かに凄いですけどね。

「オレンジページ」は知りませんが、「小学六年生」には載ってませんか?

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糞の海を泳ぐもの 小林泰三さんへ 2001年07月25日(水)01時51分07秒

どうも、こちらこそよろしくお願いします。

「小説すばる」自身が、衰退しつつある「文芸誌」なるジャンルの雑誌ですから、
そこにいくらSFが掲載されてもさほど重要とは思えません。
「小学六年生」や「オレンジページ」に載ったらそりゃ確かに凄いですけどね。

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小林泰三 糞の海を泳ぐものさんへ 2001年07月25日(水)01時12分26秒

糞の海を泳ぐものさん

初めまして。これからもよろしくお願いいたします。

糞の海を泳ぐもの さんは以下のように書かれました。
> たかが「小説すばる」ごときにSFが何本呪うと、じゃない載ろうと、それに釣られて浮かれるのは如何なものか。

いえいえ。なかなか重要な意味があると思いますよ。

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小林泰三 SF 特集 2001年07月25日(水)01時09分06秒

>冬樹さん

まあ、確かに実質 SF 特集かもしれませんね。しかし、梅原さんの作品を
SF だと思う人はあまりいないのではないでしょうか?

>釣り

前にキャッチ・アンド。リリースをした時は同じ魚ばかりかかって、気持ち悪
かったですね。

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小林泰三 Re: SF新時代の到来 2001年07月25日(水)01時01分51秒

>山之口 さん

反歌に対して、風流を解さない無粋な対応したことをお許しください。
しかし、おかげで山之口さんの SF に対する立ち位置が少し理解できたよう
な気がします。
ところで、無粋ついでに、もう少しお聞きしたいことがあります。
お答の中にあった「必要に応じて SF 的設定を入れた普通の小説」について
なのですが...

(1) 「必要に応じて SF 的設定を入れた普通の小説」を SF と言ってはい
けないのでしょうか?

(2) 「必要に応じて SF 的設定を入れた普通の小説」と SF の差はどこに
あるのでしょうか?

なぜこんな質問をするかと言うと、SF が売れなくなったとされる以前の時
代、つまり1970年代以前の日本の SF の多くは、僕には「必要に応じて S
F 的設定を入れた普通の小説」そのものに思えるからです。

つまり、「必要に応じて SF 的設定を入れた普通の小説」を SF と呼んで
いた時代は SF がよく売れていた時代で、「必要に応じて SF 的設定を入
れた普通の小説」を SF と呼ばなくなった時代は SF が売れない時代とい
うことなのです。
しかし、今べストセラー小説を見ると、その半数ほどが「必要に応じて SF
的設定を入れた普通の小説」です。これを SF と呼べば、今はまさに SF
ブームということになります。

というわけで僕自身は「SF は売れない」を迷信だと考えているのです。

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冬樹蛉 ところで 2001年07月24日(火)23時33分43秒

>小林泰三さま

 釣りをなさるのなら、また声をかけてください。一緒に楽しみましょう(^o^)。
山の池と森の池とどちらがいいですか?

 竿を磨いておかなくちゃな。

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冬樹蛉 えっ? あれは「SF特集」でしょ? 2001年07月24日(火)23時16分58秒

 おお、ひさびさに覗いてみると、ずいぶん賑わっている(^o^)。

>小林泰三さま

>SF 専門誌に SF が掲載されるのは当然のことですが、一般誌である
>「小説すばる」の8月号には特に SF 特集でもないというのに、SF が3本
>も一挙掲載されています。

 3本だと思うのはこの伝言板を読んでいるようなSF周辺の事情にかなり関
心を寄せている少数の人だけであって、とくにそうでもない大部分のふつーの
人は、4本SFが載っていると誤解するに決まっています。どうもわかりにく
い編集ですよね。「SF特集」とはっきり謳って、〈SFマガジン〉みたいに
特集対象の作品かどうかを各作品の扉に同じ書式で明記すればわかりやすいの
に。あれじゃあ、「SF特集」と言わないことによって、「ああ、なんか、こん
なようなアレな作家がたくさん書いてる号だな」
と“ぼんやり”と思われて、
梅原克文氏の作品がSFであるかのように見えてしまいます。山菜丼にキュウ
リのみじん切りが入っていても、ほかに山菜がいっぱい入っていれば、人は
「まあ、山菜丼だよな」と思って食います。そういうものです。

 「SF特集」と言わないでも、「まあ、読者はどうせSFみたいなものの特
集として一緒くたに見てくれるだろう」
と編集部が思っているのだとしたら、
梅原氏もずいぶん〈小説すばる〉にナメられたものですよね。〈小説すばる〉
は、なにか梅原氏に悪意でも抱いているのでしょうか? あの中途半端な誌面で
は、SF周辺の事情にある程度関心を寄せている人には、「ああ、編集部が梅原
氏をテキトーにいなしているな」
という事情があからさまに見えてしまって、
ちょっと梅原氏の立場がないんじゃないかと……。梅原氏に失礼というか、不誠
実というか。目次のイメージカラーもSFもホラーもサイファイもいっしょくた
ですしね。どう見たって山菜丼だと思って食いますよ、ふつーの人は(;^o^)/。

 それはそうと、「予め決定されている明日」は傑作ですなあ。英訳してハート
ウェルにでも送れば、イーガンが歯噛みして悔しがりますぜ。

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糞の海を泳ぐもの 2001年07月24日(火)01時44分16秒

たかが「小説すばる」ごときにSFが何本呪うと、じゃない載ろうと、それに釣られて浮かれるのは如何なものか。

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山之口洋 RE:SF新時代の到来 2001年07月24日(火)00時40分15秒

>小林さん
合いの手、と言うか、長歌に対する反歌みたいなものなのでして、
そこまで真摯に対応されると恐縮します。とは言え真摯に返さなく
ちゃ。
出版界での「SF」の扱いについてはある程度知っており、確かに
SFアレルギー的側面もあったように思いますが、さりとて「迷信」
と言い切ってしまってよいものでしょうか。80年代のある時期、
一般の読者がSFから離れて行ってしまったのは、ある程度事実と
思うのですが(たとえばぼく自身もその一人。だから、瀬名さんの
アンケートでも、「500冊以上読んだ」けど「SFファンではな
い」と言う答)。
それから、う氏みたいに訴訟沙汰にはしませんけど、ぼくはSF作
家ではありません。いまや、普通の小説でも必要に応じて(これ大
事)SF的設定を入れても読者は困らないような時代であり、ぼく
の興味もSF的設定自体にはありません。「秘密」の東野圭吾や
「蒲生邸事件」の宮部みゆきがSF作家でないのと同じことだと思
います。祥伝社文庫の件にしたって、小林さんの作品のほうがよ
っぽどSFだと思っているんですが。このことをして「すべてはS
Fになる」と言うのも勝手だけど、ならば「SFは発展的に解消し
た」と言ってもよいわけで。ぼく自身ははっきりさせようとも思っ
ていませんが。
ついこの間まで現役技術者だった人間にとって、空想から科学技術
的な部分を除けと言われる方が、不自然であると言うだけです。

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通りすがり 新時代じゃなくて 2001年07月23日(月)07時18分54秒

「小説すばる」はたんに迷走しているだけじゃないですか。
京極夏彦で「どすこい(仮)」なんかを作ってしまうくらいですから。

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小林泰三 Re: SF新時代の到来 2001年07月23日(月)01時08分01秒

「Re:SF新時代の到来」 で 山之口洋 さんは以下のように書かれました。
> 特にSF作家でもない山之口が、SFマガジンから短編を書けと言われる
> ようなもんではないでしょうか。

少し言葉足らずでした。
なぜ一般誌に SF が掲載されるのが特筆すべきことかというと、「SF は
売れない」「SF と銘打つと売れ行きが落ちる」というここ何年間か出版業
界の一部に流布していた迷信が払拭されつつあるのではと感じたからです。
非 SF 作家に SF マガジンが依頼をすることとはかなり意味合いが違うよ
うに思われます。

因みに、この迷信は全く信じていない出版社がある一方、真剣に信じていた出
版社もあることが、最近の瀬名秀明さんのアンケート調査からも読み取れます。

http://www.sfseminar.org/arc2001/sena/

出版社だけでなく、この迷信の影響を受けた作家の方もおられて、「SF 作
家と呼ばれると売れなくなるので、自分を SF 作家と呼んだものに対して訴
訟する」と宣言されるという事態に及んでいます。

ところで、山之口さんは御自身を SF 作家でないと認識されているようです
が、この御発言は僕にはとても不思議に思えます。
よろしければ、山之口さんが考えておられる「SF 作家」の定義をお教えい
ただけませんでしょうか?

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山之口洋 Re:SF新時代の到来 2001年07月22日(日)15時38分16秒

特にSF作家でもない山之口が、SFマガジンから短編を書けと言われる
ようなもんではないでしょうか。

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小林泰三 SF 新時代の夜明け 2001年07月21日(土)01時53分26秒

SF 専門誌に SF が掲載されるのは当然のことですが、一般誌である
「小説すばる」の8月号には特に SF 特集でもないというのに、SF が3本
も一挙掲載されています。
SF の時代到来を暗示するものでしょうか。

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SATOMI 個人的には重要なお知らせ  2001年07月20日(金)18時05分27秒

 それはつまり、他人にはどうでもいいお知らせ。

 来週の25日(水)19:00に渋谷の元エッグマン現エッグサイト

  2001:A WONDER ODYSSEY 〜SFの夜 難波弘之ひとりLive

 とゆーのがあります。タイトルがタイトルだけに、ここで客引きするのが
筋でしょう(?)。
 てなわけで、去年のゼロコンライブのネタをやるようなので、見損なった
人ももう一回見たい人も見に行かなかった人も来てくれると嬉しいです。と
言ってやらなかったらどうしよう。
 ちなみに入り口で「大森掲示板で見た」と言うと、怪訝な顔をされて恥を
掻くだけなのでやめましょう。

 なお9月7日には、バンド結成20周年記念ライブを歴代メンバー勢揃い
でやるそうなので、そちらもよろしく。

ば〜いSF人妻(故障中)

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本上力丸 6月24日〜25日の日記読みました 2001年07月13日(金)14時50分48秒

ラナという会社が、早速小泉×田中グッズを売り出したようです。
詳細は以下のページで。
http://www.runat.co.jp/pcs/tinibiz/index.htm
大森さんが欲しがっていた(笑)、塩爺や野中グッズはまだのようです。

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名無しさん 2001年07月11日(水)09時29分05秒

PageRankがトップなんですね。
PageRankについては、下記のページが詳しいです。

http://www.kusastro.kyoto-u.ac.jp/‾baba/wais/pagerank.html

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おおもりのぞみ 2001年07月05日(木)23時16分35秒

こんにちは

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♪きむらかずし Google のディレクトリサービス 2001年07月05日(木)00時16分53秒

Google が日本語でのディレクトリサービスを始めたようです。 SFの筆頭が大森さんのページですよ。

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野尻抱介 星雲賞に投票しよう  2001年06月28日(木)23時21分23秒

 今年はどの部門もとれそうもないので、気兼ねなく応援するのですが(^^;。

 星雲賞の投票期限が近づいてきました。投票権のある方は、ぜひ投票してください。
 星雲賞なんて、とお考えの方もおりましょうが、500票前後が集まるファン投票は国内最大で、決して馬鹿にできません。
 SFクリエイターの多くは内心星雲賞をほしがっています。星雲賞は読者に喜ばれる作品を創ろうとする意欲を牽引します。出版社にとっても星雲賞はセールスのきっかけになります。読者にとっては、その作品・クリエイターだけでなく、読みたいタイプのSFを盛り上げる機会になるでしょう。星雲賞が盛り上がって、悪いことはなにもありません。
 何を読むか、読む前の選択も評価のうちと考えることは可能なので、ノミネート作品を全部読んでなくてもかまわないと思います。また、ノミネート外の作品を投票することも可能です。

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大森 望 パンツ一丁トッティーのアップをカットするようじゃ 2001年06月18日(月)06時58分37秒

 フジテレビの録画中継は全然ダメでしょう>由香様。
「どう? パンツ一丁のぼくもいけるでしょ?」的に佇む王子様の絵があの試合の白眉だったのに(笑)
 しかし中断は13分だったのか。あの時間帯のことしかもう覚えてない(笑)。

 ヒデが裸にされてたらいったいどんな顔したかなあ。見たかったなあ。ていうか、あの時間に出たんじゃ、脱がされる以外、出場の意味はなかったのに。

 とか言ってるうちにワールドユースも開幕。ブラジル×ドイツかあ。ダイジェストしか観ないと心に誓いたい。

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国樹由香 まじ爆笑でしたね。(^^;) 2001年06月18日(月)03時35分59秒

感動する予定だったのに、どーしてくれる>ロマニスタ。
でも、楽しかったからいいです。
フジではシャンペンシャワーの後、シャワーを浴びたと
思われる中田くんの姿が拝めましたよ。(^o^)
パンツいっちょうも見たかったけど。

さて、中田くんは移籍するのかな?

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大森 望 ローマ×パルマ戦ラストは大爆笑。 2001年06月18日(月)00時17分00秒

 いやあ、サッカーの試合見ててあんなに笑ったことはない。どうせなら中田の×××も×××ばよかったのになあ。ねえ由香ちゃん(笑)。

>>大路浩実様

 どうもわざわざすいません。サイズはばっちりでした>Tシャツ。愛用させていただいております。新作も楽しみにしてます。Tシャツだけじゃなくて装幀のほうも。

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ohji はじめまして。 2001年06月15日(金)15時17分47秒

大森様、はじめまして。
ずいぶん時間が経ってしまいましたがサイズの方は大丈夫でしたか?
6月末にはまた新作をUPしますので
お暇なときに覗いてみてやってください。

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国樹由香 残念だったけど 2001年06月11日(月)02時13分46秒

準優勝。
日本代表は大健闘したと思います。
スタジアムでは大森さん&よしこさんから電話やらメールやら
もらって、ハーフタイムも退屈しませんでした(笑)。

だけど、勝ってたらホントにやったのかな「六本木でオープン
カーに乗りハダカでパレード」っていうの。
トルシエの新聞発言なんですが、いつぞやのキスの恐怖を思い
出しました。だって、なんでハダカじゃなきゃいけないのだ?

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通りすがり2号 日記,楽しみにしております 2001年06月09日(土)01時21分40秒

大森様
はじめまして。
ところで,推理作家協会賞の記者会見の写真,
「右から」→「左から」では?
しょうもないツッコミで申し訳ありません。。。

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大森 望 それは残念。 2001年06月08日(金)11時01分48秒

 そういえば、よく似たような人を見かけた気も>由香様。もしかしたらと思ったんですが。電話すればよかったなあ。なにしろ試合直後はずぶ濡れで寒くて死にそうだったので、そそくさと屋内部分に移動したんでした。
 そのあとは小浜章子・柳下毅一郎と合流してラーメン博物館(笑)。

 ところで、テレビでもちゃんと映ってなかった鈴木くんの愉快なひじ打ちですが、わたしはしっかり目撃。観客席でもそっちを見てた人が少なかったらしく、レッドカードが出たとたん「なんだよそれー」と騒然。
 すぐ横にすわってたおばさんサポーターが二人組が、「おかしいわよ。どうしてレッドなの」「そうよねえ、一発退場なんて」と憤然としてたので、
「肘うちしたんですよ。そばにいたディフェンダー振り払うみたいに思いきりガツンと」と説明したところ、
「肘、入っちゃったの?」
「入ってましたね」
「もうっ。あの子はいつもそうなのよね。でも今日みたいなときにそんな癖出さなくても」
「しょうがないわねえ、鈴木も」
「ほんとにねえ」

 しかし日本の場合、相手が10人になるよりこっちが10人になったときのほうが勝てそうな気がする(笑)。

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国樹由香 私も観に行ってました。 2001年06月08日(金)04時34分39秒

横浜国際は超豪雨。
いやあ、勝ってよかった〜。
ところで、大森さんは1階25列目あたりに座っていたのでは。
私、同じ列の左の方にいたのです。
喜国さんは仕事だったので、1人で観てました。
「あっ、アボさんだ」と手をふったけど気づかれず。
じゃ電話と携帯に電話するもつながらず。
試合終わったら近くまで行こうと思って、選手がピッチを一周
するの見てから行ったら、もう大森さんは帰った後でした。
がーん。

日本代表の勝利を信じて決勝戦のチケット買っておいて、本当
によかった〜。
とゆーわけで、10日も行ってきます!雨はもうイヤだっ。

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大森 望 re:コンフェデ杯準決勝第一試合 2001年06月08日(金)03時29分14秒

 大森@フランス×ブラジル戦再放送観戦中です。

 パンツの中までぐっしょりでした>横浜国際競技場。ジーンズは6時間後に帰宅したときもまだ乾いてなかったし。
 試合前は、「相手が(フランスじゃなくて)オーストラリアじゃ、『日本代表が勝った』という価値しか見出せないゲームになるんじゃないの。ちぇ」
 とかほざいてたんですが、天の配剤のおかげで思いきり記憶に残る試合に(笑) こんなに雨に濡れたのは十年ぶり。バックスタンド1階席の真ん中へんで、屋根のへりの真下ぐらいだったんで、追い風のあいだは全然濡れなくて安心してたのに。まあしかし、間近でヒデのフリーキック見られたからいいや。中田様におかれましてはあれだけやってくださればもうじゅうぶん。心おきなくローマにお帰りください――って感じですが、試合後のあのコメントはなに?

 まあしかし、来年ふりかえって、「思えばコンフェデ杯のころが日本代表のピークだった」と言われないことを祈りたかったり(笑)。
 決勝でフランスに6-0で勝つのが楽しみだなあ。ちぇ、チケットとっとけばよかった。って仕事しなきゃ。

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田波正 YOKOHAMA STORM WARNING 2001年06月07日(木)17時44分07秒

いまコンフェデレーション杯日本×オーストラリア戦を見ているんですが、
大雨洪水警報のさなかの試合というのも、なかなかすごいですね。

大森望さんは観戦に行かれているようですが、
だいじょうぶだったんでしょうか。

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あだち 心を強くするメッセージ 2001年06月05日(火)14時49分35秒

      「死にたいとおもっているあなた」へ    あなたが「死にたい」と思うのは当然なことなのです。   なぜなら、ヒトは「死」ぬように肉の細胞に、遺伝子を   組み込まれて産まれてくるからです。これを「肉のいのち」   と言います。    この肉のいのちを悪性なものとするのが、悪の魔なのです。   この悪の霊が肉のいのちに宿ると、ヒトは「自殺願望」にと   らえられます。    私もその「自殺予行」をなしたひとりなのです。   しかし、奇蹟によって救われました。次の言葉によってです。   ――――――――――――――――――――――――――――     私は自分のしていることが分からない。なぜなら自分の     欲することは行わず、かえって自分の憎むことをしてい     る。善をしようとする意志は自分にあるのだが、それを     する力がない。これは、私の肉の内には善なるものが宿     っていない証拠である。   ――――――――――――――――――――――――――――    これは「新約聖書」ローマ人への手紙・七章の言葉です。   死にたいと思っているあなた、騙されたと思ってこの文章をひ   もどいてみてください。奇蹟が起こります。    なを、私はクリスチャンではありません。  安達      

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さいとうよしこ レーコちゃんおひさしぶり! 2001年06月05日(火)14時32分07秒

きゃー。30年もどうかと思うので、10年以内になんとか(笑)。孫の世話で忙しくなる前に。
突然、襲撃してほしいです。他力本願。

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大森 望 一次リーグ終了。 2001年06月04日(月)22時49分44秒

 コンフェデ杯に対するフジテレビの扱いに業を煮やしてスカイパーフェクTVに速攻加入した大森です。うちだとパーフェクは完全に映るんだけど、SKYのほうの電波がギリギリで(←わりと珍しいケースらしい)、けっこうスリリング。でもCX観てるより全然マシなり。
 というわけで返答が遅くなってすみませんがとりあえずまとめて。

>>エンジン・サマー
 もう10年以上も前の本なのでよく覚えてないですすいません。まあなんか中盤以降はものすごいスケジュールで泣きながらキーボード叩いてた気がするのでそのせかも。しかしドライブ感のある情景描写って??

>>ディズニーの新作
 ふしぎの海のアトランティスとかいわれてるやつですか? あっちのナディアはキャラ的にあんまり萌えないんですが、予告編ではあんまり動いてないのでよくわからない。キャラ以外は悪くないと思いました。
 ちなみにナディアとの比較サイトはこのへんが基本みたいですね。公式サイトはここ。

>>脳波放送学会
 読めば読むほど味わい深い投稿だと思いました。

 しかし準決勝はやっぱり日本×オーストラリアかあ。たまにチケット買うとこれだもんなあ。

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管理者: 大森望 <ohmori@st.rim.or.jp>
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