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すっぽん温泉アイドル声優



 今回のナニは押井守の「トーキング・ヘッド」という映画を観ていないと何がなにやらさっぱりというネタでして…… なんというかごめんなさい。


「ゲーム的制度は常に一つの事を、イデオロギーとして要求してきました。
『本当らしさ』
『リアリティ』
 それ故にかつてのゲーマーは、テキストメッセージの作り上げたリアリティからなかなか離れようとはしませんでした。声優によるキャラクターヴォイスはリアリスティックな内容の物語には馴染まないという認識が、CD−ROM媒体一般化の後にも多くの音声無しの名作を生んだのです。
万引きしたタイヤキを手にたたずむ少女の迷言から、
孤独な怪物達が闇に彷徨う隆山の古びた街並みまで。
 およそ真摯なる物は言霊に満ち、真実の宿るテキストによって描かれ、けばけばしいフルヴォイスゲームはただ卑属で、出鱈目な虚構の世界、刺激的でスペクタクルでグラマラスな世界の創造に荷担したのです。

 けれども自体の真相は全く逆でした。そう、テキストで描かれたゲーム画面のインターフェイスの真実に先んじて、現実は既に音に満ち溢れていました。今も昔もゲームが生まれる遥か以前から、人々が信じようとした世界こそ実はゲームが生み出した虚構に他ならなかったのです。

 1986年、任天堂は人気ゲーム機ファミリーコンピューターの外付けオプションによる新たなゲームシステム、ディスクシステムにFM音源を搭載。ゲームへの音声の呪いは現実の物になりました。真実のテキストメッセージを掻き消す、キャラクターヴォイスという甘美な騒音。その「キャリーどぇす〜」のダミ声をソプラノの響きに似せる努力は、しかし、あの秩序あるイデアを現実の紛い物に変えるだけの報われぬ戦いに過ぎませんでした。ゲームは自ら創造した神聖な王国を同じ方法で、同じ技術で台無しにして省みる事は無かったのです。

 一方、まず何より色物として、生まれたばかりのフルヴォイスゲームは、現実に存在する声優の声を無媒介に再現するだけでは不充分であり、人工的に処理され、それ自体強度を持った物として萌えに荷担しなければなりませんでした。キャッチーなアニメ声をを再現した台詞それ自体は、ゲームを時代の兆児たらしめた物語になんら寄与する事の無い音楽的音声に過ぎず、声をプログラムの説話的行為の内側に組み込み、ドラマの動機付けとして活用する為には、時代が暗黙の内に共有していた、ゲーム的視線の成熟を待たねばならなかったのです」


「声をドラマの重要な要因として機能させる為には先行する作品群を必要とした。そう言いたいんだろう? だがフルヴォイスゲームの栄光は長くは続かなかった。有名声優を起用する事が常態になるにつれ、音声は動機であることから背景へと後退し、井上喜久子の嫌味のないお姉さん演技が声優の最後の神話にとどめをさした! 初回限定特典「メイドさんロックンロール」CDが森川由綺のCDデビューになり、しかし、LaLa♪Luになったその時、ジャンルの終末は忍び寄っていたんだ! 薄汚れた部屋で一心にブラウン管の光輝を凝視しつつ、その事に気付いていたオタクが、一体何人いたというんだ!!」


「……何時だって、ゲームは目先の新奇な贈り物と引き換えに、大事な思い出を捨ててきたんだもの。ほんと、馬鹿だよね。そういえば監督さん知ってるかい? 生まれたばかりのフルヴォイスに、待ってましたと飛び付いた、コンシューマゲームソフトメーカー」


「コナミの『ときめきメモリアル』。 そういや、恋愛をゲームに引っ張り込んだのもやっこさんだったな。ギャルゲーの宗家には相応しかろうぜ」


オチは特にありません。

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