雑誌「アドン」より
1996年2月号に掲載


 

ロング・インタビュー -3-

インタビュアー/南編集長

 

誰かが聞いてる

 僕は、これまで誤解をしていたような気がしますが、あなたは「年寄りキラー」ではないかと思ってました。

大塚 「年寄りキラー」ですか?

 隠れたパトロンがいるんじゃないかな…?と、思ってましたが、『二丁目からウロコ』を読んで、それは誤解だということがわかりました。

大塚 へぇ…? そうですか? それって、とんでもないです(大笑い)。僕って、逆に、自分より上の年代の人には知り合いが少ない方なんですよ。僕は、南さんはよくご存知でしょうけど、すごく小生意気なところがあったから、上の年代の人を、どっかで信用してなかったんですよ、はっきり言って。

 だから上の年代の人たちに対しては、現実ってものを唯々諾々と受け入れて生きている人たちみたいな、否定的な気持ちで接していたんですよ。それに、実際に話をしてみても、「ああ、そうだよなあ。こうい考え方はいいよなぁ」って思えたことがなかったものだから、僕はわりと、同年代かそれより下の時代に関心が行ってたんで、上の人と付き合うってほとんどなかったんです。男の好みから言っても、上の人より、平等って感覚が持てる人の方が好きだったので、目線が上には行ってなかったんです。ですから、そういうパトロンなど、居りませんでした!(笑)

 なぜ、そう思ったかといえば、はっきり云って、あなたは「怖い人」だったんです。誤解されたくないんですけど「アンファン・テリブル」という感じです。年令不相応なことを云うし……。

大塚
 そうでした?(笑)

 当時にしてみれば、ゲイについての意見あるいは、しっかりした見解を持っている人だったしね。うっかり話をすると、ぴしゃっと云われるんじゃないかという気持ちがありましてね。だから、緊張感を持っていたんです。しかし、うまく業界を泳ぎまわっているような感じがしたもんだから、知らないところでパトロンでもいるんじゃないかなって思ってました。

大塚 ちがーう!(笑)でも、ギョウカイを泳ぎまわってたって、すごい表現ですよね。僕って、逆に、そういう業界をうまく泳ぎまわるのがどうしてできないかって、劣等感を持ってるくらいの人だったんですよ。だから、さっき言ったように、「スネークマン・ショー」をやってても無視されてるんだとか、ゲイ雑誌の編集やってても、とんがりすぎで、弾き出されちゃうんだとか、思ってたんですよ。

 自分は言いたいことは山ほどあっても、なかなか、そういうことを言わせてもらえる場所には、受け入れてもらえないタイプだっていうような、劣等感を持ってたくらいだったんです。

 なるほど、納得しました。

編集部 「スネークマン・ショー」はラジオの番組だったから、当時、やってること自体を知らなかった人が多かったんじゃないでしょうか? ある、特定の年代の人は聞いていたんでしょうけど…。

大塚 それだけの問題じゃなかったと思うんですけどねえ。だってゲイ雑誌読んでるような年代の子たちの中にも、『ポパイ』のコラムを読んでるのもいたはずだから…。

 ま、そのコラムの内容がよかったか、悪かったかみたいなところもあるから、それは、もういいんですけどね。

編集部 脚光を浴びたかったということですか?

大塚 というか、その自負があったわけですよ。やっぱり、それくらいのことは話してるつもりはあったし、今までのゲイのメディアが言ってなかったことを言ってるつもりはあったから…。

 もちろん、若いから、そういった自我がすごく肥大化しちゃって、「僕は、もっと評価されてもいいはずだ!」くらいの思いだって当然あったとは思いますよ。でも、それより、ゲイの世界から評価されないことが、「自分はたいしたことやってないんだ」という思いまでに、自己評価が落っこちてきちゃって、自分のバランスがとれなくなってしまう感じがしてたんです。僕って、ゲイにとっては、居ないのと同じなんだっていう感じ…、そういう思いが、当時は、そうとう強かったみたい。

編集部 その当時のゲイの反応でなくて、一般の反応も無かったんですか?

 いや、一般の人の反応はあったんです。

大塚 女の子たちからの反応は、けっこう、たくさんありました。当時からヤオイ系の女の子っていましたからね。もちろん、「ヤオイ」っていう言葉ができたのは、もっとずっと後ですけど。いわゆる、「ゲイって素敵!」っていうような女の子たちですけどね。僕宛に来るリクエスト・カードとか手紙の80%くらいは女の子からのものでした。だいたい中学高校くらいの女の子で、「ええ!あなたってゲイなの。カッコいい!」みたいな、そういう反応が圧倒的に多かったですね。

 もちろん、残りの人たちの中には「このラジオ聞いてることで、すごく救われる」とか書いてくれる人もいました。一番、僕が感動したのは、富山県辺りに住む男の人からもらった手紙なんです。TBSラジオって関東エリアしかカバーしてなかったんですけど、夜の十時を過ぎた頃から、電波状況がよくなって、富山近辺でも放送が聞こえるようになるらしいんですね。その手紙には、雑音の多い放送を、家族には知られないように、布団を頭からかぶってラジオに耳を付けて聞いてるって書いてあったんです。ここでは、自分と同じような人には全く会えないから、この放送だけが唯一の救いになってるとも書いてあったんです。

 まあ、これを読んで、そうか僕の言葉も、こうやって必要としてくれる人のところにたどり着いてはいたんだって、ほんとに嬉しくなりました。これは、何をやっても、何の反応もないなあっていう思いを打ち消してくれる、小さな出来事ではありました。 

アーティストをめざす

 この本によると、デザイン会社に勤めて半年くらいで辞めた…っていうことでしょうか?

大塚 一年半は勤めたんですけど。


 デザインという仕事は、僕にはつまらない仕事とは思えないんです。あなたに出会った頃、感覚を必要とする、ずいぶん、すばらしい仕事をしているなあと思っていたんですけど、それを止めたということは、つまらなかったからですか?

大塚 「つまらない」っていうんじゃなくて、僕には、ちょっと手に負えないほどシンドイ仕事だって感じなんです。僕は、多摩美でインテリア・デザインを専攻してたんですけど、その頃から、すでに作家のようなものに憧れていたんですよ。

 デザインっていうのは、ホントに大変な仕事だと思うんです。自分以外の人からの要請で始まり、常に、いろいろな制約があって、なんていうか、外側から設定された枠みたいなものに合わせて、いかに自分の持っているものを提示できるかっていうタイプの仕事でしょう? 僕は、最初に、その枠が設定されているだけで、不自由な感覚に圧倒されちゃうんですよ。自分が何かをやるときは、その枠まで自分で設定しないと、熱意みたいなものが湧いてこないんです。ま、単に、わがままなだけなんですけど…。

 なぜ、そこまで、自分が、自分がってことに、こだわるかって言うと、やっぱり、自分がゲイだってことを押し隠してこなければならなかったことに関係してると思うんですよ。だから、何かを表現するときには、できるだけ、制約のないところでやりたいっていう、一種の強迫観念みたいなものが、僕には、常にあるんです。

 それなのに、デザイン科を選んだというのは、親との妥協の産物だったんです。僕は、油とか彫刻とかに進みたいって思っていたんですけど、親はわりと堅い仕事を望んでいて、せめて建築家くらいにはなって欲しいなんていう夢を押し付けられていたんですよ。それで、折衷案として、インテリアになったというわけなんです。でも、インテリアに進んでも、デザインの勉強はいい加減にして、8ミリ映画を撮るのに夢中でした。そっちの方が、ずっとワクワクして楽しかったんです。

 でも、卒業後、結局、デザイン会社で働くようになったのは、食べていくためには、自分がある程度持っていた知識とか技術を活かせるのは、その分野しかなかったからなんですね。でも、そういう仕事をしながらも、「僕はアーティストになるんだ!」みたいな思いが、すごく強かったんです。だから『アドン』とか『ムルム』とかの仕事をしているときでも、僕って、使い難い人間だっだろうなあって、思うんですよ。ま、これも、少しは丸くなった今だから、言えることなんですけど…(笑)。とにかく、仕事をしていても、「僕は、本来、こういう仕事をしている人間じゃないんだけど、まあ、してあげる」みたいな、思い上かったとこが、きっと、あったと思うし、それが、僕のとんがったありようでもあったんでしょうね。

 だから、さっき「恐い」って言われたことも、まあ、分かるなって思います。今の僕が、当時の僕に会ったなら、なんてウットウしいと思うでしょうね。

 なるほど…、そうですか。

大塚 「デザインはいや」というよりも、自分には向いてないなあって思いが、すごく、あったんですよ。自分がやりたいのとは、違った形でアプローチしていかなくてはいけないのに、それが、どうもできない。何かに、自分を合わせていくのが、ホント、苦痛になってきてしまうんです。

 なるほどね。

大塚 だから、リブとかでも、先に形があるやり方に、自分を合わせていくとか、こういう風に行動しなくちゃ駄目だって言われるとこに、自分を合わせるのって、できないタイプなんですよ。

パートナーシップとは?

 この本で、「パートナーシップ」ということを書かれていますけど、これは大事なことだと思うんで、もっと詳しく聞きたいんですけど…。  

大塚 どんなところから話したらいいんでしようかねえ。

 「男同士、結婚出来れば、それでいい。それで、万々歳だ」という話がありますが、必ずしも、男同士の結婚が万々歳でもないと思う。そこで、「パートナーシップ」という考え方を、お聞きしたいわけです。

大塚 「結婚できたらいい」っていう話の中で、その結婚が何を意味しているのかも、重要なポイントですよね。それが、法的なプロテクションを受けられるという社会制度を意味してるのか、いわゆる一夫一婦で、子供も育てられて、みたいな家庭という形態を作りたいって言ってるのかで、話はずいぶん違ったものになると思うんですけど…。

 僕が、本の中でも書いている、パートナーシップっていうのは、何か先に形態があって、それを手に入れるというイメージのものではなく、もっと単純に、好きな人がいて、その人とずっと一緒に居たい、ずっと好きでいられたら素敵だなっていうような、とってもロマンティックな願望というか、夢のようなものから出発してるんです。

 若い頃から、それが欲しくて、欲しくて仕方がなかった…。でも、それを手に入れるためには、いろんな困難が待ちかまえている。さっきも言ったように、自分の願望を実現させるために、とにかく、動き出すと、そこで初めて問題が見えてくるわけですよね。ずうっと一緒にやっていく男の人が欲しいと思って、探し始めても、そんなことを思っている人と出会うのが大変だとか、口では、そう言っているけど、この人、やってることが何か違うぞとか、そういう感じで、いろいろ問題が起きてしまう。やっと、見つかったと思っても、そこからが、もっと大変だったりして…。だから、僕と一緒に生きてくれる人との長い関係が欲しいんだけど、それを手に入れるためには、どうしたらいいかって、試行錯誤しながら、ずっと考えてきたものが、いわゆるパートナーシップという言葉で説明しているものなんです。

 そういったものを求めてきた立場から言うと、さっきの制度とか形態とかは、あれば、たしかに、助けにはなるだろうけど、それがなかったら、成り立たないものでは、僕の言っているパートナーシップとは違ってきちゃうんですよ。

 パートナーシップを続かせるのに、頼れるものって、基本的には、人間と人間の気持ちでしかないわけですよ。要するに、僕もこの人を求めている。彼も僕を求めている、そういう二人の気持ちが、今日も明日も、明後日も、ずうっと続いていく。それを可能にするには、今何をしたらいいかってことを、基本にして考えていく。それを考えながら、二人でコミュニケーションをとりながら、やっていく。結局は、その「ありよう」そのものが、関係作りであり、パートナーシップってものじゃないかなぁって、考えてるんです。

 二人で話し合うことはシンドくありませんか?

大塚
 すごくシンドイですねえ。もう、こんなにシンドイことって他にないくらいですよ。でも、どこかで、こんなシンドイから、面白いんだって思えるようにも、なってきましたけどね。

 僕がパートナーシップという言葉で、具体的に語り始めるのは、けっこう、後のことで、初めのうちは、とにかく、ずっと一緒にいてくれるような大事な人が欲しいっていう発想でやってたんですよ。『ムルム』の創刊の頃、僕は、本の中でも書いている、カズっていうパートナーと出会ったんですけど、そのとき、彼との関係を始めるために、前の恋人と別れるっていうこと、やってるんです。ああいうことは、もう二度と起したくない…。そのためには、どうしたらいいかって考えたとき、トコトン話すってこと以外、思い付かなかったんです。

 問題が起ったら、双方が納得いくまで話し合う。納得したら、明日もやっていこうねって、意志の確認をする。今日、確認したからって、明日になれば分からないから、ずっと、そのシンドイ作業をやり続けなければならない。だから、大変ですよ。こういうことに興味のない人には、「何で、そんなことまでして統けたいの? あんた劣等感か何かあるんじゃないの?」とか言われて、済まされたりしちゃうんだけど、シンドさに堪えて、頑張ってると、そのうち、独特の感覚が生まれてくるんですよ。

 「最近、前と違って、この人、僕のことを、すごく分かってくれて来たな」とか、「2年経ったけど、この人には、こんないいところがあったんだ」とか、少しずつ嬉しいことが増えていくんですね。そういう積み重ねができてくるから、また、これは駄目かも知れないっていうような問題が起きたときも、ひょっとして、こんな大変なことでも、これを通り抜けた向こうには、今まで手に入れてこれた、気持ちの良いエリアが、もっと広がって持てるんじゃないかなって、そんな気がしてくるんです。

 そういうことの連続で、現在があるっていう感じですね。それを言葉に置き換えると、「パートナーシップ」とか「関係」とかに、なるんです。だから、制度とか形態よりも、自分の欲しかったものが、少しずつでも、育っているっていう実感みたいなものが、僕には、大切なんですよ。

 


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