雑誌「アドン」より
1996年2月号に掲載


 

ロング・インタビュー -4-

インタビュアー/南編集長

 

関係づくリとは?

 もうちょっと具体的に聞きたいんですけど、とことん、問い詰めたり、聞いたりするんですか?

大塚 最初はね。

 「云ったこと、わかってないんじゃないの?」とかって。

大塚 初めのうちは、そうでした。自分も言う、相手にも言ってもらう、という形で。

 僕は、わりと、言葉人間だから、誰でも言葉使えば、論理的に自己表現できるはずだし、そうすべきだって思ってしまいがちなんですね。でも、実際に、それをやっていくと、話せば話すほど問題がこじれていくことも経験的にわかりますよね。だから、初めは、お互いに話さえしてればいいんだって思っていたけど、そのうち、何でも言えばいいってものじゃなくて、伝えるとか、伝わっている結果の方が重要だって、気づくわけですよ。

 そうなると、今度は、どう伝えるかっていう戦略的な問題になりますよね。その辺のところに行くまでは、エネルギーばかり使って、なかなか理解し合えないっていう、効率の悪いコミュニケーションにクタクタになってしまうことも、多かったですね。ホントは楽しいことするために、一緒になったはずなのに…って、何度も思いました。

 そうですね。

大塚
 それで、相手の論理構造だとか、物の見方とか、生きてきたバックグラウンドとか、精神的な傷みたいなものさえ含んだ、様々な要素を知って、それに添って伝えていかなきゃならないなって感じ始めたんです。

 そのあたりから「ああ、人って、自分とは違うんだ」っていう、ごくごく当たり前のことに、気づくわけですよね。ということは、自分を分かってもらうためには、まず、相手の情報をできるだけ知ってなきゃならないんです。話し合うのが大事なのは問題が起ったときだけじゃないんですね。問題が乗り越えられるか、どうかは、そのときの話し合いよりも、日頃から、相手を知るための話し合いを、どれだけしてたかに、かかってくるんです。

 たとえば、アジのフライにソースをかけるのが好きか、醤油が好きか、みたいなことって、あまり大した問題じゃないようですけど、こういうことで、軽いロゲンカしたりするときって、相手の反応の仕方とか、論理の展開の仕方とか知る、いい機会なんですよ。こんなことで仕入れた情報が、本当に何かを伝えなきゃならないときに、大きな力を発揮したりするって言うか……。

 たしかに、そうですね。

大塚 だから、人生観とか、パートナーシップについてとか、という大きな題目で話し合うのも大切だけど、もっと日常的なシーンで、今日は、僕は家に二人で居たいけど カラー 、君は映画に行きたい、みたいな調整を、どうやるとうまくいくのか、そういうことの一個一個の積み重ねが、二人が理解し合うことの、大きな基礎になっているんだなあって…。

 そういうようなぐあいに、わかるまでにどのくらいかかりました?時間が。2年?3年?

大塚 いやあ、こんなこと、自覚的にね、感じられるようになったのって、やっぱり、8年とか、そのくらい、かかっちゃったんじゃないかなあ。

 やっぱりね。

大塚 結果的に、自分でやってきたことなんだけど、それを、もう一度、自分の言葉でとらえ直すには、そのくらいの時間がかかりました。だから、僕が、永い関係、永い関係って言うのは、そのくらい経たないと、見えてこないものがあるんだって、知って欲しいからなんです。

 でも、僕の店で、いろんな人が出会って、二人で長くやっていこうねって始めても、いい味が出くてる前に、たいてい、壊れちゃうことが多いんですよ。僕としては、そういう永い関係を求めていながら、なかなか、うまくいかない人たちには、自分が闘いみたいなところで、つかんできたノウハウを、ヒントみたいな形で、伝えていきたいって思っているんです。

「今は、これこれだろうけど、もうちょっと先に行ったら、こんな風になることもあるんだよ」とかいう形で…。そんな、ちょっとしたアドバイスをしてあげられることが、僕を育ててくれたゲイの世界への恩返しみたいなものかなあって思ってるんですけどね。

1対1でないことも

 この本の中に2人以上、あるいは3人の共同生活の話が出てきて、たいへん興味深く読みました。

大塚 僕は、1対1のパートナーシップに、非常にこだわってきたわけですよ。それも、排外的な1対1の関係に。それって、いわゆる結婚のイメージに影響されてきてしまった形なのかもしれないけれど、とにかく、僕は、それが欲しかったわけですよ。で、欲しいからやってきた。

 それって、何ですか?

大塚 1対1の関係。

 はい

大塚 それって、第三者を排除するような関係ですよね。僕は、みんな、それを欲しがっているんだって思っていたんですけど、店なんかで、いろんな人といろんな話をするうちに、そうでない人たちも居るんだってことが、分かってきたんです。

 そういう人たちは、僕とは違って、1対1の排外的な関係じゃない方が、より自分を受け入れて生きていける人たちなんだって…。そうなんだって、気づいたら、その人達の話も聞けるようになってきたんですね。そういう態度になって、初めて、理解するための接点が持てたんです。1対1の関係が絶対、とか思っていた頃は、一人付き合っているのがいるのに、「もう一人好きな人がいるんだけど…」なんて言われると、「あんたも、やりたい放題ね」とかチャカして、済ませていたんだけど、1対1だけが唯一の答えじゃないんだとしたらって、考えるようになったら、この人たちにとって、大事なものって何なんだって、興味が湧いてくるようになったんです。

 ま、実際に話を聞いてみれば、単に、自分のことだけが大好きだからっていうタイプも多いんだけど、この人が必要なんだけど、この人も、どうしても必要っていう状況で、いろんなことに折り合いをつけながら、関係のバランスを取っている人たちもいるんですね。彼らが、腹を割って、話してくれるのを聞いていると、1対1でないありようにも、また違った広がりがあることが見えてきたりして…。

 それでも、僕は、やっぱり、1対1がいいのは変わらないけれど、そうじゃないものも、応援していきたいっていう気になってきたんですね。それこそが、みんな、それぞれのありようを受け入れていく、一番良い形なんじゃないかって…。

 だから、僕みたいに、1対1にこだわって、ストラグルをしてきた人間もいるけど、3人とか、4人とか、もっと大きなファミリーみたいなところで、何かを求めて頑張っている人たちの苦労話も紹介したいなって、思って、本に書いたんです。こんな風に考えるようになったら、今までは、何か変だとか、それってわがままなだけじゃないとしか、思えなかった、いろんな関係も、違った目線で見られるようになりましたね。

 なるほど、似たような話をスウェーデンのゲイからも聞いたことがありますね。

大塚 この本の中にも書いた「友達」っていうキーワードは、老後の問題とか、ゲイのコミュニティの問題とも関わることなんですけど、人間関係の中で、最も大事なものの一つだって思っているんです。

 パートナーが居ようと居まいと、最終的には、人間は個人で生きていかなくてはならないってことを、みんな、ずうっと背負っているわけですよね。だからこそ、そういった個で生きていくことの淋しさなり、大変さを、どうやってやわらげていくかってことの解決策として、人間はいろんな人間関係を作ってきたわけでしょう。僕はその一つとして1対1の関係を大事にしてきたけど、友達同士とか、昔寝たことがあるけど、今は友達としてうまくいっている何人かが、寄り添って生きていくみたいないろんな解決策がどんどん出てくるっていうのが、素敵なことだなって思うんです。

 そうなれば、いろんな関係も、山登りが好きな人もいるけど、サーフィンが好きな人もいるのと同じように受けとられて、「ああ、あの人は1対1が好きだから、それをやってるのね。でも、僕たちは友達3人で暮らすのが楽しいね」っていう感じに、なっていけるんじゃないでしょうか。みんな、好きな形をやっていける、そういう状況になって欲しいですよね。

性欲が無くなったとき

 性欲が衰えてきたときにどうするかっていう話が、この本の中にありましたが、これは非常にリアリスティックな話でね。

大塚 …(笑)そうですか。

 若い人には、イマジネーションをふくらますことは出来ないと思いますが、しかし、それは必ず訪れてくるわけだし、そのとき、どういうライフスタイルを作って行くかということは非常に大事だと思うんです。

大塚 永い関係を保っていこうとするときは、これは、とても大きな問題ですよね。僕にとっても、これは大変でした。

 最初に、その問題に直面したときは、お互いに性的な関心が無くなったんだから、外でやってもいいんじゃないかって、公認し合ってやるような、実験的なことをしてみたことがあるんですけど、それぞれが勝手にやって、そのことをお互いが知ってしまうと結果的に、関係がギクシャクしてしまうんですよね。

 どうすればいいのか、未だに、わからないんですけど、お互いに、相手はやっているんだろうなあ、と思いつつ、それを言わないみたいな、なんだか、昔の結婚の男のセリフにあった「浮気は甲斐性だ」風で、すごく嫌だったんだけど、けっこう、そんなやり方が(笑)…、ある意味で、知恵みたいな形で使えるんだなあってところに落ち者いたりして…。

 でも、これって、僕と、僕のパートナーとの間では、なんとか、このやり方でやってこれたけど、だからと言って、誰にとってもそれがいいというわけでもない。どんな形がいいのかは、結局、それぞれの関係の中で、見つけていくしかない。だから、お互いに対する性的な関心が薄れてきた、ゲイのカップルに、「セックスがなくなったら、どうすればいいの?」とか聞かれても、簡単には、答えられないですよね。自分自身の問題としたって、答えは見つかってないんですもの……。

 ただ、パートナーシップにこだわっている人たちには、「パートナーシップはセックスが無くなってからが本番だよ」って、いつも言ってるんです。それは、パートナーシップのビジョンを持つときに、セックスが無くなっても、二人を強く結び付けるものって何だろう…、そこにたどり着きたいね、みたいなことを、あらかじめ、どこかにインプットしておかないと、永く統けていくのは難しいってことなんですね。で、その答えは、みんな、自分たちで見つけていくしかないんですよね。

南 
そうですね。今日はたいへん楽しい時間を過ごせました。どうも、ありがとうございました。



[インタビュアーの感想]

 大塚さんとは古いおつきあいだけど、近年は会ったことがありませんでした。このインタビューの中にも出てくる「タックスノット」というお店へ行けば、いつでもお会い出来るんだけど、今年の夏の第二回レズビアン・ゲイ・パレードの混雑の中でしばらくぶりにお会いしました。そのときは、「ああ、しばらくだね」と行き違ったきりで、今回のインタビューでじっくりと話しあうことが出来て楽しい時間を過ごすことができました。

 この中にも出てきますが、僕の長年の誤解が解けたような気がします。大塚さんが語っているように、ゲイ・リベレーションの活動は大塚さんの方が先輩なのです。ですから、昔はダメな大人として批判的に見られていたのではないかと思っていました。そんなことがあって、今回のインタビューはお互いにホンネで語り合い、終わったあとに微熱のような興奮状態が残りました。

 もともと大塚さんは思いを実現する表現者をめざしていたわけで、僕の方はどちらかというと現実に合わせて行こうとするタイプであったので、どこかで食い違うところがあったのは否めないところだったのでしょう。そこで、その違いを理解するというよりも、誤解していたような気がします。インタビューの中で、「伝える仕方」という言葉で表現していますが、誤解の原因は「伝える仕方」の欠如にあったのではないかと思います。「伝える仕方」に意を注がないために、非常に多くのロスをすることがあります。これは、これからのゲイ・ライフに欠かせない知恵だと思いますが、それぞれに、それぞれの仕方で生み出したいものです。

 インタビューの5日後に、大塚さんの『二丁目からウロコ』の出版記念会が新宿でありました。大勢の仲間が集まり楽しい会でした。

 


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