2nd Stage <Eclipse>

 微かに聞える水が滴る音。

水面に広がる波紋に僕が溶けていく。真っ白な細かい水の粒子に自分が溶け込んでいく・・・辺りに広がる蒙昧とした霧の中を進む。足はいずこともなく前方を目指す。何も聞えぬ。何も見えぬ。何も感じぬ。不安な感覚。

どれほど歩いただろう・・・時間が失われた世界。先には何かがあるという期待は確かにあったはずなのに、いつまでも見えぬ道標。時折歩くことをやめ、身体をまさぐることで自らを確かめる・・・まだ、ある・・・でも、もうない・・・

眼前の風景を光彩に受け留めながら、その視界はいつからか、自分の中へと向かっていく・・・めくるめくネオンサインに似た、毒々しい光の束。白面の世界が一瞬にブラックアウトする。

無数の綾波が・・・見知らぬ人が・・・僕の知っているみんなが・・・溶けていく・・・

 

 

そこには何も無かった。あらゆる光を拒絶した闇がそこにあった。

そこは全てが曖昧だった。少年を囲む壁だけが確実だった。

そこには何かがあった。四方を取り囲む空間にそれはあった。

壁は長方形にみえた。直方体にみえた。

天井はなかった。底もなかった。

しかし、中は見えなかった。

あらゆる音が聞えてきた。

あらゆる色が滲んできた。

あらゆる光が洩れてきた。

4つの壁

それが全てだった。

 

 

−壁1−

 

非常口

車のクラクション

救急車のサイレン

鐘の音

踏切の音

交差点を行き交う車の音

送電線

人の目

空の客席

電車

東京

ゆれているブランコ

車窓の東京

人の雑踏

 

 

−壁2−

 俺は、家族も人も信じちゃいない。いつも一人ぼっちだ。お袋が死んだことも、親父と過ごしたことも記憶には殆どない。物心ついてからずっと、親父の姉夫婦と一緒に暮らしていた。叔母からは俺のお袋は俺が小さい時に死んだと聞かされ、ずっとそれを信じてきた。

「あの人、例の事故で死んだんですってね。」

「今更、彼女のことなど考える必要もないね。」

「分かる気はするけど、曲がりなりにもあの子の母親でしょ。」

「彼女は自分の夢を追いかけて、俺達を捨てて出て行った。自分の欲望と俺達を天秤にかけやがった。離婚時の慰謝料、覚えているだろ。彼女は、俺が家族の為と貯えていたものを全て奪いとり、無一文になった俺にケンスケまで押し付けやがった。どうせなら、餓鬼も一緒に彼女が引き取ればいいものを、ケンスケは研究に邪魔だとよ。フン、外道だぜ。」

「確かにそうね。鬼だったわね。ところで、あの子をそろそろ引き取ってくれるんでしょうね。ここにいつまでも居られては、こちらとしても困るのよ。」

「なぜだい。金は払っているはずだぜ。」

「いえ、なんだか、物事に執着し過ぎというか、私の子供に悪い影響がないか心配なの。」

「ふん、所詮は他人の子か。」

「あんたの子でしょ。いいわね、お願いしたわよ。」

「仕方ねぇな。あいつも大きくなったし、自分一人でも生活できるだろう。」

「ねぇ、11歳の子に一人暮らしさせようというの!?」

「冗談だろう、そんな金はねぇよ。俺は殆ど家に帰らないから必然的にそうなるということ。仕方ねぇだろう、姉さん。」

「まあ、あの子なら大丈夫でしょ。何せ、あの人の子なんだから。」

「まあな。」

 物蔭からその会話を聞いていた俺はただ泣いていた。無性に悔しかった、怒りが湧き起こった。そうした熱い気持ちがいつのまにか冷え冷えしたものに変わるのを感じた。あの時、何故そうなのか、分からなかった。でも、今ならわかる。最初俺は母親が死んだと嘘をつかれたことに怒りを感じたのだと思う。そして、自分が厄介者であることが無性に悔しかった。

 でも、そんなことはどうでもいいことだ。俺は自分と接する時には億尾にも出さない、人の笑顔の裏に隠された人の本心を憎んだんだと思う。信じていた者に裏切られた気持ちだったのだろう。人は信じられないと感じたのだと思う。笑顔の裏には薄汚い心があると知ったのだと思う。

 他人のことを心配する素振りを見せながら本当は自分のことしか考えない人間・・・自分勝手な生き物を俺は憎んだ。そして俺自身も。

 それから俺は変わったと思う。いや、叔母夫婦との生活は表面上、全く変わらなかったといってもいい。ただ、前にもましてミリタリーに傾注する時間と他人への気の使い方が増えただけだ。前世紀のモリブデン製アーミーナイフを手に入れ、その研ぎ澄まされた輝きに自分の姿を映す時、言い知れぬ興奮を感じる自分。モデルガンのメカニカルな重厚美に心を奪われ、俺は自分が戦場で血まみれになりながら人を殺傷し、その中で自分が銃を抱きながら野たれ死ぬ姿を夢見ていたと思う。

 日常生活では快活な良い人間を演じ、自分の奥に潜む人への憎悪を気取られないように相手を喜ばせる。笑顔の裏側に隠された相手への嫌悪。親父達と同じだと意識して、自分を、そしてそれに気付かない相手を、一層憎む。自分を殺したいのに殺せない。でも殺して欲しい。相手を憎んでいるのに知られたくない。でも憎んで欲しい。

そんな複雑な気持ちのまま、俺は親父との生活を始めた。

 

聞きたくない!

 

 

−壁3−

 

「ソンナニツラカッタラ、モウヤメテモイイノヨォ」

「ソンナニイヤダッタラ、モウニゲダシテモイイノヨ」

「ラクニナリタインデショ。ヤスラギヲエタインデショ。

ワタシトヒトツニナリタインデショ・・・

ココロモカラダモヒトツニカサネタインデショ」

 

 

−壁1−

 

「・・・でも。あなたとだけは、ゼッタイに死んでもイヤ。」

 

 

−壁2−

 2014年3月、俺は第三新東京市郊外の駅に降り立った。何の変哲もないプラットフォーム。銀色に輝く政府専用列車が通り過ぎる。

 ここから第三新東京市までは親父が迎えにくるはずだった。俺は改札を通過すると、駅の前で親父が来るのを待った。ぎらぎら照り付ける太陽は容赦なく俺の顔面を焦がし、額からは滝のように汗が流れ落ちた。蝉の甲高い鳴き声はざらついた俺を逆なでした。被っていた迷彩色のアーミーキャップの鍔を目深に押し下げ、同色のアーミージャケットの前を肌蹴ながら両腕を組んで、じっと目の前に広がる光景を見詰めていた。人通りの少ない田舎の佇まいには似つかわしくない舗装された道。戦車の重みに耐えられる設計がされていることが俺には分かる。青く茂った山々の隙間から超近代的なビル群が放つ光が僅かにこちらに届いている。

 新第三新東京市、戦場となることを想定して造られた街。親父からこの話を聞いた時、俺はいても立ってもいられなくなった。親父がこの街へ転勤になったのを聞いた時、俺は親父との生活を望んだ。それまで俺を引き取ることを拒絶していた親父から電話を受け取った時、俺はそれまでの生活を切り捨てた。表面上のいい子ちゃんに騙されていたのか、それともそれ自体演技なのか、叔母は悲しそうな表情をして俺を送りだし、付き合っていたクラスメート達も俺との別れに涙した。俺は自分にとって都合のいい人間がいなくなる自分の境遇を悲しんでいるのだと理解していた。既に俺の気持ちはまだ見ぬ戦場へと向かっていた。

 

もういい!

 

 

−壁1−

 

「嫌い・・・。誰が、あんたなんかと・・・。勘違いしないで。」

「あんたのことなんか好きなわけないじゃないの。」

「私の人生に何の関係もないわ。」

「もう、あっち行ってて。」

「ですから、もう電話してこないで下さい。」

「ちょっと、つきまとわないで・・・。勘違いしないで。」

「一番嫌いなタイプなのよ。」

「情けないわね・・・。だいっっキライ。」

「あは・・あは・・・・・あははははは・・・」

「もうあっち行ってて・・・。しつこいわね。」

「あは・・あは・・・・・あははははは・・・」

「意気地なし。」

 

もうやめろぉーーーー

 

 

−壁2−

 親父との約束した時間が刻一刻と過ぎていく。俺の苛立ちが最高潮に達しようとした時、携帯電話のベルが鳴った。

「用事ができた。迎えにいけない。」

電話は切れた。俺はそれまで握り締めていた拳をゆっくりと解くと、傍らにあったアーミーバッグを取り上げ、一気にそれを担ごうとした。

その刹那、陽射しに焼かれた直線に伸びる道路の果てに女の姿・・・が見えた気がした。一瞬の出来事。俺は目を凝らして道路の行く先を追った。しかし、そこには空と交じり合った陽炎の蒼い影が揺らめいているだけだった。俺は何事も無かったかのように蒼い影へと足を進めた。

 親父との生活は俺の期待した通りのものだった。親父はネルフという非合法の国連機関の職員で情報分析を主に担当しているらしい。家に帰ってくることはめったになく、帰ってきたとしても俺が寝ている間に戻って行く。交わす言葉はメモリーが記憶したメッセージだけだ。俺は夢が覚めたら起き、腹が減ったら食べ、現実に疲れたら眠る。一歩も外へ出ず単調な生活を繰り返していた。自分が他人に邪魔されないことに喜びを感じながら、日々を生きていた。

 “パパ”という言葉で全てを偽りながら。

 戦争が始まるのを待ち望みながら。

そして、学校に行き・・・

俺は・・・碇・・・

お前と出会った。

 

いやだぁっ!いやだぁっ!

 

碇シンジ・・・

俺はお前が羨ましい・・・

 

そして

 

殺したいほど憎い

 

もういやだぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ

 

 

−壁1−

 

「お前は人の何を知っているんだ!」

口髭を生やした男の影

 

 

うはぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ

 

 

 

 

はぁ、はぁ

 

 

 

 

 

はぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぐわぁたん!

 

 

 

 

 

月蝕が終わりを告げる。

赤い月明かりが差し込む。

壁が一斉に倒れ落ち、毒々しい赤い液体が乱舞する。

内側の鏡面が露わになり、仰向けに昏倒した少年が晒される。

十字架を背負った少年が浜辺で目を閉じている。

 

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