vtinos said to mal at Sun, 27 Sep 1998



vtinosです。

リリスについて少し考えているうちに少し脇に逸れてエヴァ雑感みたいな
感じのメタなことをを書いてみます。

グノーシスとは関係ありません。センチメンタルかつヨワヨワです。
独りよがりで恥ずかしい自分、というか、そういうもの全開。


リリスについて考えるというのは、「綾波レイが魂までいなくなってしまった」という
視聴者にとって辛い記憶を合理化するために綾波レイの人間らしい想いを軽視する
ようになる (綾波レイ=人として生きたリリスいう認識をするようになる) 結果に繋がり
ます。認知不協和っていうやつですね。

これは意識しているだけでは避けられないので気を付ける必要があるんですよね。
というか認知不協和自体人間の正常な機能なわけで。傷が治るのと同じように。
そうして、上に書いたようにリリスを、あるいは綾波レイを理解するという行為は
どうしても自らの心を癒す方向にしか働かない。

綾波レイを忘れられるように。

>ただEoE…レイのリリス融合から、量産機のレイ化、融合を促すレイ(溶けていく
>エヴァキャラ達)に至るシーンが分からなくなるんですよね。一つの発狂で
>あることは間違いないと思うんですが、母性的(グレートマザー)でないと
>は言えない、でもそう言い切るのも違和感を感じる…あのシーンどう見ます?
>補完空間内のレイはまた冷静なレイに戻ってるんですが…


補完空間内、といってもあそこでは人の心はバラバラなままですよね。碇シンジが
「僕の夢の中」といっているように、他者がいるわけではない。だからあれは
「碇シンジの中の綾波レイ」として考えるべきだと思います。

カヲル君と一緒に立っていて、シンジを優しく励ましてくれる人。
碇シンジの認識。分かってもらえるかも知れないという希望。
微笑んでくれた人。

綾波レイはもっとずっと前に死んでしまっている。

お話的にはこういうことなんじゃないでしょうか。というかお話としてはエヴァは
普通のお話程度にはちゃんと出来ていて、視聴者を無闇に傷つけるような
ものではない、と。他のお話にも辛い人間、薄幸の美少女は出てくるわけです
から。


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以前に他人の運転する車の助手席に乗っていたとき、大きな通りの真ん中で
車に下半身を砕かれ、脅えと愕きの表情で片方の前脚のみで立ち上がろうと
あがく猫の横を通り過ぎました。時速50キロくらいで走っていましたから一瞬の
経験です。

何も出来ない。自分は何も出来ない。何をしてももう彼は助からない。そう感じました。
悲しくて辛くて、その猫がそんな目に遭うことは不条理だと考えているのに、自分は
何もできない。誰も何もできない。心が凍り付いて言葉も出ない。何もできない。


約束の刻が来た、と402号室で独り月を見上げる綾波レイを見たときにはそのときと
同じように感じました。

リリスはもう動かなくなってしまった猫の死体のようなもので、それを前にして
人は適当に悲しみ適当に忘れることもできるし、ヴァリスの登場人物の一人の
ようにポケットにその乾いた死体を入れておいて神に出会ったら突き出して
「なぜ」を問うということもできるのでしょうけれども、

まだ足掻き藻掻いている姿を見るという「経験」はそれとは全く異なるわけです。

もはや生の可能性もなく、いまだ死後の安息もない、あり得ない筈の直接経験
としての死。

死体には命がありません。死者についてそれが死んだように語るのは墓を建る
ことによって自らを慰め忘れようとするのと同じ事だし、死者についてそれが
生きているかのように語るのは、ただ空想に遊んで死者のことを思い
出さないようにすることと同じ事。

納得のゆかない死を納得あるいは合理化しようとする試みは退けられなくては
ならない。そうした死についてあえて語ろうとするなら、死そのものを語らなくては
ならない。

僅かの間のことでしたが、僕は猫から目を逸らせませんでした。


以下余談
(ディックもそうですが)僕がここで「人の死」ではなく「車に轢かれた猫の死」を
持ち出しているのは、車を避けることの出来ない存在として猫というものが
造られているということなわけですね。犬や人間ならば自らの才覚で自分の
生と死の形を定めることができる。
余談終わり

エヴァにおいてこの死んで行く猫(彼自身は死んで行くと感じているのでしょうか?)
に相当するのが綾波レイであり、TV版では彼女の「嬉しいわ 無に帰れるんですもの」
というセリフが自分にはまだ望むことができるし、動くことだって出来るという足掻き、
さっきの猫だと最後に残されたまだ動く一本の前脚に当たるんじゃないかな、と思います。

EoEではそういったオブラートにくるんだ表現ではなく、もう少し人間的に描かれていて、
映像として死をそのまま見せられたわけですが。

(EoEの3人目を人間的、というのは語弊があるというか一般の認識とは逆かもしれませんが、
僕には彼女は完全に絶望しているように見えたし、あんな運命を自ら悟っていれば絶望する
のが人間としてリアルに見える、ということ。他の登場人物はさておいて、彼女自身にはもはや
何の希望もないから。)

ようやくあるていど考えがまとまって、へっぽこ系のSSを書き始めたので今回は
この辺で。


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vtinos said to mal at Tue, 29 Sep 1998



mal said to vtinos at Tue, 29 Sep 1998
>こん○○わ、vtinosさん、malです(^^)
>ちょっと時間がないので用件のみ、今回頂いたメールも
>Privateで公開してもよろしいでしょうか?
>メールでもFMTTMでもうちのボードでもかまいませんのでお返事下さいm(__)m

いいですよ。

>詳細な返事はまた後日ということで(汗)、SS期待しております(^^)
>(Q’妄想の館にあったような感じかな?(爆))

>かなり触発されてはいるものの、書ききれず…
>アヤナミストの嫌うものとして「死者=レイ」「母=レイ」「使徒(リリス)=レイ」
>等についてきちんと考えねば…と思うところなのですが、自分の主張と
>絡めるのは難しい…悩んでおります。

母=レイについては、LASな人なんかは割とさらっと流して書いたりしていますが、
例えば「Komm,susser Tod」 の代わりに「Let it be」でも置けば完全にレイ=母性
としての図柄が全面にでてきますよね。

碇シンジ君の頭のなかには let it be でも流れていたんじゃないでしょうか?

>ただEoE…レイのリリス融合から、量産機のレイ化、融合を促すレイ(溶けていく
>エヴァキャラ達)に至るシーンが分からなくなるんですよね。一つの発狂で
>あることは間違いないと思うんですが、母性的(グレートマザー)でないと
>は言えない、でもそう言い切るのも違和感を感じる…あのシーンどう見ます?

夢野久作のドグラマグラに「死美人の絵」ってのがありますよね。美女の死体が
腐って行く様を描いた続き物の絵。アヤナミストにとっては崩壊するリリスも
その一つですか。

崩壊に至るまでのシーンは「愛はさだめ、さだめは死」じゃあありませんが、
あれがリリスなりの愛し方なんでしょう。ただ、そこでも「碇くん」にだけは
特別の座が与えられている。これだけは綾波レイが遺した心と見ていい
と思います。ここまではゼーレのプランそのままなので分かり難いんですが。

綾波レイは(リリスに託して)碇シンジに全てを遺したわけですよね。綾波レイの
持っていたもの、全人類のもっていたもの、碇シンジの持っていたもの、全て
を。で、そこに小さく隠された自らの運命に怯えた少女綾波レイの心を
シンジは見つけてはくれなかった。

自分の中に持っていた、母親の様に優しくしてくれる人としての綾波レイ、
好意を持ってくれる人としての渚カヲルを選んだ。

シンジが綾波レイに勝手に母親を重ねて慰められ勇気づけられて「夢」を
拒否し、そのためリリスが死ぬあたりは、おそらくゼーレの計画からは逸れ
ているわけですか。ゼーレはシンジの欠けた自我による補完を期待したの
だけれども、シンジは「欠けた自我」さえ貫けなかった。求め続けることも
出来ず、自らの幻想(夢の中の綾波)に慰められ自己満足に至ってしまった、
というか。つくづく人を好きになることの出来ない少年なんですよね。

>PS. わたしの弟は18で突然死しました。そのことを思い起こされました。

何か、変なことを書いてしまったようで。ごめんなさい。

では。



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