mal said to vtinos at Sun, 20 Sep 1998




vtinosさん、お返事ありがとうございます、malです(^^)

どうもお返事が書きにくい…方向性が見えてくると、色々考え込んでしまって(^^;
しょうがないのでつらつらと…前後しまくります(汗)

法事で実家に帰ったときに親父に「ケルトの宗教 ドルイディズム」(岩波書店)
という本を借りてきました。(巻末にナグ・ハマディ文書全4冊の紹介があったのが
ご愛敬(汗))中沢新一の書いた項で「言葉によるヒエラルキーを形成する父、
しかしヒエラルキーの円還は決して正円を描かず、母=女=自然によって
屈曲する、歪んだ螺旋を辿る息子」
フェミニズムだと普通の父(男性)に相対するものとしての女性という関係で
(というよりエディプス・コンプレックスの三角関係か?)捉えられることが
多いですが、これはそういう形とは違う。
父のエゴイズムが一貫してあるのでなく、また母のエゴイズムに取り込まれるの
でもなく(フェミニズム解釈)世界が微妙に歪められたものとして現れている。
世界の歪みの体現者としてのレイ、歪められた道を歩むシンジ・アスカ…
そんな印象が以前からありました。

> 神への反逆というテーマでみてエヴァが興味深い点は、これが
> ヤーへの反逆ではなくソフィアへの抗いが描かれているということ
> ですね。物質世界と神の欠片を武器として、至高神による救済を
> 拒否する。エゴイズムも含めて自我であり自分である、という
> ことへの拘り。ゼーレのプランであり、EoEにおける結末。

これは半分納得できるんですが、実は正対した抗いをしていたつもりが
横からズラされていった、エゴイズムではあるのだけど、最後にたどり着いた
ところは奇妙なズレを起こしていた…EoEには何かそういう印象が拭えません。

> 掲示板って実はあまり好きじゃなかったんです。
> 筆力がないので論旨を美しく表現することができないから。
> しようがないので、きちんと物事を伝えたいときには「繰り返し語る」、
> パラフレーズを使ってしまう。長くなるので軽妙な議論というものができない。
> そんな感じ。
わたしも似たようなものです(汗)、ただ一つの主題を繰り返すのでなく
元の形がほとんど判らないほどの変奏でやってますが…だから人の意見を
ただ自分なりに繰り返して見えるのかも。見せたい物は「奇妙なズレ」
(「意味のひっくり返し」でもある(爆))なんだろうと思いますけどね(^^;

> ところでニーチェが看破したように「繰り返す」ということは世界内存在としての
> 人間のあり方と大きな関係があると思いません?
>
> 神々の話 - 神話 - が一度限りの創造や喪失を語る話だとするなら、
> もし人の話 - 人話 - というものがあるならば、それは「繰り返し」についての
> 話だ、というか。
これはちょっととんでもない考え方があって、「神話的構造は人によって繰り返される。
人間の世界に神の力を再び導入するため」ゼーレのやってることに近いですね(^^;
もうひとつ「世界は繰り返し得ない、一度限りのものである。しかし偶然それは反復される」
ディックも似たこと書いてた記憶がありますが(^^;、エヴァの首締めのモチーフ繰り返し
なんかはこの印象がちょっとだけありますね…
人形としてのレイ(2ndレイから3rdレイへの移行)なんかはこの観点から見たほうが
興味深い気がします。

> 綾波レイ=人形というモチーフは言いなりになり従うモノということで
> フェミニズム的観点からの批判として取り上げられることが多いのですが、
> ウマレカワラナイモノとしての人形のモチーフの方もまたどうしようもなく
> 存在していると思います。ヒトは繰り返し産まれ、いきる。
> 人形こそがカワリノナイ存在である。作られなくなればそれでオシマイ。
「言いなりになり従うモノ」のモチーフがレイに見られる比率?は後半に行くに
従ってどんどん薄くなってる気がします。「ウマレカワラナイモノ」は逆に
だんだん強くなり、TV版ラスト2話ではちと不明でしたが、EoEでのゲンドウの
拒否で完全に逆転した…

しかし面白いですね、FMTTMボードにもちょこっと書きましたけど、
レイは人によって再生される、死ぬことのない、生を繰り返す人形であり
対してヒトは死んだらそれまで、といった捉え方は見たことありますが、
ウマレカワラナイモノとしての人形であり、繰り返し産まれる者としての人間…
この反転は実に興味深いです(^^)

> オカルト関係の資料にはグノーシス主義の残余物がたくさんある
> のですが、僕はあくまで宗教 - 世界内存在を世界内存在として捕らえて、
> 世界内存在のままでの救済を与えるための何か - に拘ってグノーシス主義に
> ついて考えているので、オカルトの文脈でのグノーシスの扱いは拭いがたい
> 違和感があります。
「真理は我々の外側にあり、隠されている」でしょうか。カスタネダとか読むと
なんか奇妙に違ってますけどね(^^;
オカルトを思想と考えると、ニーチェのルサンチマン以外の何物でもないと
思うんですが、知識体系と考えると、単に科学が手を着けきれない領域…
人間の心と身体の実践的力学大系…これでもまだ浅いですが(体験しなくちゃ
わからない、とオカルトな友人に言われた(爆))な風に思ってます。
なんとなく「語るべからず」が気に入らなくて否定もしないが肯定もしない
曖昧なこと言ってますが。
(あ、「語るべからず」言ったらグノーシスもやばいかな(爆)、まぁ禅宗は
 オカルトとはちょっと違うけど「語るべからず」で語りまくってるやり方
 だし、いいか(爆))

> 既にパラフレーズと繰り返し。冗長。これだから掲示板ではやりにくい。
良いんじゃないですか?わたしみたいにあんだけ書き込んで、言いたいこと
欠片ほどしか言ってないよりは(爆) 中心をはっきり言うのは中心をいかに
存在させるかという問題(意味不明(爆))

> グノーシスの世界観は非情にシンプルなものですから、
> ちょっとなにか書いてみることにします。
よろしくお願いしますm(__)m

> んでもそれを説き語るのにディックはまるまるヴァリス一冊を
> 要したのか...そう、簡潔なことをきちんと語るには繰り返さなくては
> ならないから。(グノーシスの宗教では本来こういうことを語る
> ときには詩を使うんですが)
そおなんですよねぇ…単純なことって本当は伝えにくい。
論理で引っぱってこれることでない、根本となる大前提は特に…
詩なら直感でいけるんですけどね…

> 神を想定可能なんですが、エヴァにはそれすら無い。ソフィアは
> 碇シンジや綾波レイの微笑みの中に現れ、涙とともに失われる。
>
> 寄り添って夜明けを見つめる死体もない。
ただ世界を微妙に揺り動かして、痕跡はかすかな響きとして、
力場がズレた世界としてしか現れない…感じ取ることが出来なければ
結局前とそう変わらない…妄想ですが(^^;

> 分かり難くないですよね。「謎」現象については解説本を読んだことの
> ない私には全く理解できませんでした。(以下略)
まぁ小道具へのこだわりですね、アダムとリリス、補完計画の詳細な
実体…話のネタとしては面白く使えますが(爆)、お話の流れを読みとる
分にはなんの必要もなかったです、はい(^^;

> これ、現在やっています。といっても本編をそのまま客観的に分析する
> ことにはそれほど興味が無いので - そういう見方をするにはストーリー
> が第何話の時点でどう変更されたのか、とかまで知る必要もあるし -
ある程度やってはいますが、自分ではあまり客観的とは思ってません(爆)
そもそも元の作り方から無茶してるから(ライブ感覚…)
そこをあえて無理につなげてるというか、
> こちらの想定した見方にどれだけエヴァがハマルか、というかなり邪道
> 的なやりかたかんですが。
最終的にはこれですね、ただ自分の想定した見方というよりエヴァに流れる
奇妙な論理性を感じ取って…同じことか(爆)

> 例えば碇ゲンドウと綾波レイが笑顔で会話しているシーンですが、これは
(略)
> たくさんの碇シンジが存在する。どれもが本物。
そのとおり、切り捨てられた可能性が山ほどある。
自分の世界観に可能性を選択してはめるのも一方法。
ある可能性を選択して別世界を作り上げるのも一方法。
わたしのやろうとしているのは…今思いつきましたが(爆)
「ライブ感覚に流れる壊れた論理性」をとりだしてキャラに当てはめようと
しているのかも(爆)

> あとまあ、ヒューマニズム的に言えば
> 現実の世界では人には時間が与えられているわけですよね。
エヴァ小説なんかはもろに「終わってしまった時間」を延長して
明日の時間を取り返そうとあがいてるだけなのかも(爆)

> EOEでは実写パートで世界の美しさを表現しようとしているようなところが
> ありますよね。対して描かれるのは映画館の客席イメージで描かれる、
> 閉塞した夢の場、エヴァンゲリオンの世界の醜さ。
なるほど、グノーシス的には納得(^^)
でもあそこ見たときは馬鹿だなぁ…と思いました(汗)、夢と現実の対比はいいんですが、
美しさと醜さが反転したって別におかしくない(爆)
TV版ラストをひっくり返しただけだな、ありゃ、と思いましたよ(爆)

> まごころを君に、での綾波レイをジェンダー的観点から母性と見るのは
> 無理があるんですが、
(略)
> あたりはアヤナミストの業かなぁ。綾波レイ、って冷静で合理的な
> 世界認識を持っているように描かれていたりして、どうも母性ステロに
> 合致しないところがあるんですよね。理屈抜きにエヴァから伝わってくる
> 感覚として「母性の狂気が感じられない」というか。この狂気、ユイさん
> からはビンビン伝わってきますよね。
このへんはほぼ同意。少なくともTV本編はレイとユイ(初号機)は明確に
分離されていて、「母性の狂気」はもろにユイ(初号機)だったと思います。
単にレイをジェンダーで見るシンジ×アスカな話が昔からやたらとありますが、
ありゃどう見ても別物にしかなってない。

ただEoE…レイのリリス融合から、量産機のレイ化、融合を促すレイ(溶けていく
エヴァキャラ達)に至るシーンが分からなくなるんですよね。一つの発狂で
あることは間違いないと思うんですが、母性的(グレートマザー)でないと
は言えない、でもそう言い切るのも違和感を感じる…あのシーンどう見ます?
補完空間内のレイはまた冷静なレイに戻ってるんですが…

> だからといって初号機による補完が行われていれば、綺麗に「おかあさんに
> さようなら」なるかっていうと、ユイさんはシンジを返してくれないだろうからダメ
> なんですよね。初号機による補完でユイ=初号機の胎内に閉じこめられた
> シンジをヒロイン綾波レイ=リリスが救出しにゆく、というという話だとあまりに
> すっきりしたお話でかえってダメダメだし。
EoEのやっかいさはここですね…レイの行動はシンジ救出に見えるんですが、態度が
リリスは狂気、補完空間内のレイは冷静に「何を願うの?」…どうもいくつもの
論理が同時に動いてるんですよね…レイという存在の多面性が一番強烈に出てる
とはいえ、どう語ればすっきり語れるのか悩んでいるところです…


グノーシスからちょっと離れて、歪な(爆)、自分の考えを語ってみました。
個人的にはちょっと鮮明になってきたことがあるのでありがたいんですが、
お返事としては適当でないかもしれません(汗)
こんな感じでもよろしければ、又お相手願いますm(__)m

では、よろしければお返事を(^^;(何かすっごく触発されるものがあるんです(汗))



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