vtinos said to mal at Thu, 17 Sep 1998



vtinosです。

どうもお返事ありがとうございました。

前後しますがこのへんから。

>> これらの観点から見ると、綾波レイに逢う前からアヤナミストだったアヤナミスト、は
>> 「もうどうしようもない程にグノーシス主義者」なわけです。
>
>FMTTMボードも見られてるのではと思いますが
>>> 「失ってしまったもの」あるいは「決して手に入らないと解っている
>>> (自分ではそう思っている)もの」に恋い焦がれる我々。
>とBMMさんが言われてたことがあります。かなり符合しますね(^^)

malさんからの返事をいただいたのと前後して読み書きし始めました。

掲示板って実はあまり好きじゃなかったんです。
筆力がないので論旨を美しく表現することができないから。
しようがないので、きちんと物事を伝えたいときには「繰り返し語る」、
パラフレーズを使ってしまう。長くなるので軽妙な議論というものができない。
そんな感じ。

分かってもらえない事への恐れ。
分かってもらうための努力が否定されることへの恐れ。
ですか。エヴァ風にパラフレーズすると。

んで今回も既に語ったことのパラフレーズや単なる繰り返しをたくさん含みつつ、
返事や反応、訊かれてもいないこと、言わなくても良い妄想など。

ところでニーチェが看破したように「繰り返す」ということは世界内存在としての
人間のあり方と大きな関係があると思いません?

神々の話 - 神話 - が一度限りの創造や喪失を語る話だとするなら、
もし人の話 - 人話 - というものがあるならば、それは「繰り返し」についての
話だ、というか。

(この辺りで「繰り返し」をモチーフに綾波にしばし想いを馳せて、熱くなった
 心でお読みください)

 ヒトのカラダを用いていた頃の綾波レイは語ります。
 「わたしがしんでもかわりがいるもの」。
 碇シンジは答えます
 「そんなこというなよ」 きみはきみだけだ、と。

 ヒトのカラダを捨て去った綾波レイは告げます
 「サヨナラ」 ニドトアエナイ
 碇シンジは求めます
 アイタイ。


EoEの綾波レイにはヒト以上に繰り返しの奇跡による救済 - 再生 -
が与えられていません。

日々新しく産まれるもの、繰り返すもの、再生するもの - 人、

繰り返さない、一度きりのもの - 綾波レイ。

「でもあなたはヒトだから、また生まれ変わってれるの」
「私はヒトじゃないから、もうウマレカワラナイノ」
「サヨナラ。ニドトアエナイ」

(この辺りから熱を冷ましはじめて)

綾波レイ=人形というモチーフは言いなりになり従うモノということで
フェミニズム的観点からの批判として取り上げられることが多いのですが、
ウマレカワラナイモノとしての人形のモチーフの方もまたどうしようもなく
存在していると思います。ヒトは繰り返し産まれ、いきる。
人形こそがカワリノナイ存在である。作られなくなればそれでオシマイ。


(すっかりさめて)

>それはそれとして(^^;、グノーシス主義におけるアヤナミ論、
>非常に面白かったです(^^) グノーシス主義自体は昔神秘学系の
>本で読んだだけで、基本的な知識しか無いのでそこいらは
>ほとんどチェックできないのですが(当たり前(^^;)


生ける宗教としてのグノーシスの宗教は人々にどんな道を提示したのかに
ついては原資料があまり無いので私の考えもどうしても私見、むしろ想像の
域をでないんですよね。

オカルト関係の資料にはグノーシス主義の残余物がたくさんある
のですが、僕はあくまで宗教 - 世界内存在を世界内存在として捕らえて、
世界内存在のままでの救済を与えるための何か - に拘ってグノーシス主義に
ついて考えているので、オカルトの文脈でのグノーシスの扱いは拭いがたい
違和感があります。

グノーシスの指導者たちは「そこ」を出発点として、自らを贄としてそこから
離れ世界を見つめようとしたに違いないのに、オカルトは世界を贄として
自分のために「そこ」を求めようとする。と書いて分かるように僕はオカルト
に対しては批判的なんですよね。この批判は多分浅薄なものだと思うんですが、
僕は結構無批判になんでも受け入れてしまうので、意図的に離れている
という面もあります。

既にパラフレーズと繰り返し。冗長。これだから掲示板ではやりにくい。


>> 「無知で盲目の神の造ったこの世界(=悪と混乱)の『外』に、
>>  光と知性の神(=ソフィア)が存在する」
>上がデミウルゴス=創造神=ヤーヴェ(ヤー)・エホヴァ=アラー
>で下がソフィア=至高神ですよね。手元にある「聖母エヴァンゲリオン」
>にちょこっと説明がありましたので、わたしは確認できましたが、
>できればもうすこし図式的に詳しく解説してくれると嬉しいです(^^;


そうですね。
グノーシスの世界観は非情にシンプルなものですから、
ちょっとなにか書いてみることにします。エヴァに苦しめられている
人たちにより良い苦しみを与えるために何か書いてみるとしても、
それに関してはあの本を読め、これはこの本、ていうのでは
手抜きに過ぎて全然ダメですもんね。

んでもそれを説き語るのにディックはまるまるヴァリス一冊を
要したのか...そう、簡潔なことをきちんと語るには繰り返さなくては
ならないから。(グノーシスの宗教では本来こういうことを語る
ときには詩を使うんですが)

>まぁグノーシスからエヴァを見るというのは「神への反逆」が
>読みとれれば、デビルマン(^^;などから引っぱってこれますが


デビルマンはほぼ重なりますよね。ただデビルマンの場合には
デビルマン達の戦いのさらに外にまだ憎しみの対象としての
神を想定可能なんですが、エヴァにはそれすら無い。ソフィアは
碇シンジや綾波レイの微笑みの中に現れ、涙とともに失われる。

寄り添って夜明けを見つめる死体もない。

>ちゃんと書かれているのは初めてかも(そんなに読んでないですが、
>ユング/フロイトや、カバラはあってもグノーシスは覚えがないです。
>まぁもろに神秘主義な蘊蓄として加地尚武さんが「レイ4部作」で
>使ってますが(^^;(ヘルメス・メルクリウス・トリメギストス(^^;なレイ)


神への反逆というテーマでみてエヴァが興味深い点は、これが
ヤーへの反逆ではなくソフィアへの抗いが描かれているということ
ですね。物質世界と神の欠片を武器として、至高神による救済を
拒否する。エゴイズムも含めて自我であり自分である、という
ことへの拘り。ゼーレのプランであり、EoEにおける結末。


>エヴァでの人間と使徒の対応は文句のつけようがないです(^^;
>余談ですが、P.K.ディックはエヴァ22か23話でやるかな、これは
>と思いました。まぁ初期中期的な壊れる現実で納めるかなと思って
>ましたが、まさかもろにヴァリス風に持っていくとは思いませんでしたが(^^;
>おかげで分かりにくいとは私も思いませんでしたね。もっとも以後


分かり難くないですよね。「謎」現象については解説本を読んだことの
ない私には全く理解できませんでした。これ程明確な物語のどこに
謎があるのか。性的象徴の扱いについての心理学的観点からの批判に
してもかなりストレートなものであって「謎」という言葉が出てくる余地は
なさそうだったし。どうでも良い小道具的なあれこれについて書かれて
いたのかなあ。


>キャラの心理と人間関係分析にはまったので、そっちの方がはまって
>ややこしかったですが(^^;


これ、現在やっています。といっても本編をそのまま客観的に分析する
ことにはそれほど興味が無いので - そういう見方をするにはストーリー
が第何話の時点でどう変更されたのか、とかまで知る必要もあるし -
こちらの想定した見方にどれだけエヴァがハマルか、というかなり邪道
的なやりかたかんですが。

というのもオリジナルに完全に忠実に性格分析をすることには大きな
困難があるように思うんです。

例えば碇ゲンドウと綾波レイが笑顔で会話しているシーンですが、これは
すくなくともあれほどはっきりした笑顔では無いという風に変更しないと
どうも変なことになる。で、この「変」は見る側に由来する問題ではなく、
作っていた時の事情によるものだった、と。

「父さんには笑うんだ」でも綾波レイは作れたと思うんですが、その流れ
のストーリーは後に採用されず捨てられた、と。これはたぶん碇シンジと
戦うことになる綾波レイ、ですね。そうすると各キャラクターを再構成する
際に、どのエピソードを採ってどれを捨てるべきか。たくさんの綾波レイ、
たくさんの碇シンジが存在する。どれもが本物。


>シンジくんについて以降はエヴァの世界そのものに対していますが、
>少しズレているわけですね。グノーシス主義は「世界は悲しく、美しい」
>なのにエヴァはただひたすらに悲しい、創造神を恨むこともできない。
>既に終わりは過ぎたが光は来ない。(もっともあのEoEラストが
>「世界は悲しく、美しい」と言えるか・・無理ですよね(^^;)


あとまあ、ヒューマニズム的に言えば
現実の世界では人には時間が与えられているわけですよね。
悲しむための時間。忘れるための時間。もう一度やり直すための時間。
繰り返すための時間。生きている自分。明日への希望。


EOEでは実写パートで世界の美しさを表現しようとしているようなところが
ありますよね。対して描かれるのは映画館の客席イメージで描かれる、
閉塞した夢の場、エヴァンゲリオンの世界の醜さ。


>で、最後のレイも又同じ、グノーシス=智ではあるかもしれないが、
>安らぎや平穏ではない(そう見てもおかしくない気はしますが(^^;)
>しかし、このレイの見方もかなり面白い(個人的にはすごい魅力的(^^;)

>と思います。もう少し エヴァ世界について(シンジ・レイのさらなる
>突っ込み(^^;、あとアスカですね・・・、もしかしたらユイも?(^^;)

まごころを君に、での綾波レイをジェンダー的観点から母性と見るのは
無理があるんですが、ソフィアとして見るならまさしく「我は母親にして
助産婦 (ナグ・ハマディ文書 - 『雷、全きヌース』から)」と語られている
存在のなんですよね。

オカルト文献によくあるポンチ絵風に流れを追って行くなら、

(1) 左に綾波レイ、右に碇シンジが立っている
(2) 綾波レイはリリスへと、碇シンジは生命の木へと変わっている
(3) 生命の木によるリリスの受胎
(4) 自らの腹を割いて赤子=碇シンジを取り出す綾波レイ
(5) 碇シンジを抱く綾波レイ
(6) 崩れ落ちたリリスと大地に立つ碇シンジ

という感じですか。

(5) を「赤子を抱くリリス」ではなく「碇シンジを抱く綾波レイ」とする
あたりはアヤナミストの業かなぁ。綾波レイ、って冷静で合理的な
世界認識を持っているように描かれていたりして、どうも母性ステロに
合致しないところがあるんですよね。理屈抜きにエヴァから伝わってくる
感覚として「母性の狂気が感じられない」というか。この狂気、ユイさん
からはビンビン伝わってきますよね。

だからといって初号機による補完が行われていれば、綺麗に「おかあさんに
さようなら」なるかっていうと、ユイさんはシンジを返してくれないだろうからダメ
なんですよね。初号機による補完でユイ=初号機の胎内に閉じこめられた
シンジをヒロイン綾波レイ=リリスが救出しにゆく、というという話だとあまりに
すっきりしたお話でかえってダメダメだし。

今回はとりあえずこれくらいで。これもコピーライトフリーで何して頂いても
結構ですよ。ではまた。



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