徒然草 5    
ヒロキさんとの往復書簡〜三たび〜「劇場」その他について
ととろんさんも参加して…

ヒロキさんより(その1)

マスターお久しぶりです。

この前大学の授業で「劇場」っていうので、ビデオを見ました。
群馬県の・・町で町民ミュージカルをするらしく、皆さん踊って歌っておられ
ました。
スタッフから歌手までみんな町民のかたがたなので、多分収益はめちゃ赤字には
ならないのではないかな、とは思うものの、そういう運動は確かに受け取るだけ
でない芸術意識を育むかもしれないけどそれだけだと、なんか文化と呼ぶには
さみしい。

これはオフレコで問題発言かもしれないけど、なんで日本の劇場はものすご
く建築家が 偉そうな理念を掲げるだけ掲げといて、予算の大半を使い果たす
権限がある のでしょうか。
劇場が社会の中心になって・・なんて事を平気で言うけど、社会の中心でない
とこに平気できれいな劇場を作ります。不便だっちゅうの!!それだけでなく、
内容面に関しても 新国立劇場でも問題になったみたいな過ちをそこら中で繰り返し
てる。
確かに劇場って 社会の中で機能し、文化も音楽も人間の生活にとって有用なものだ
けれど、そんな理念ばかりで、どうして劇場にいく人たちのことを考えないのだろう、
と思います。

舞台の運営とかそこで働いている人のことがすごく気になる。(ヒロキさんより)

マスターより(その1)

またまた、たくさん喋りたくなるテーマ(?)をどうも。僕も島根県音楽祭
で市民ミュージカルをやったり、岐阜の大きい舞踊学園のミュージカルをやった
りして、まず、「市民参加」の面白さと問題点について、とか、地方のホールの
レゾンデートル(?)という事を現場に居ながら、いろいろ考える機会がありました。

そうだ。僕の初めての芝居の仕事も、青森の「演劇鑑賞協会創立40周年」の
市民参加の演劇だったんだ!!

これが、予算がすごく豊かで規模も大きく、芝居自体もアマチュアの良いところが
(プロのスタッフの頑張りで)十二分に引き出され、ものすごく感動的だったので、
芝居の世界から抜けられなくなったんだった!

ハードとしての劇場は、現場のスタッフがほとんど設計に参加出来ないので、
完成してから問題点だらけ、というのも「普通」の事になってるし、ソフトも
ホールが出来てから「さて何をしようか?」というところが多くて、問題になって
ますね。

僕が「リア王」の音楽をやった、新国立劇場の中ホールの音響の問題も公演前の
チェックから、公演中のいろいろな「音響さん」の苦労まで、いくらでも言いたい
事が有る…んだけど、今日やることがまだ一杯残っているので、この稿、続く、
としておきます。

ととろんさんより

ヒロキさんへ:
お久しぶりです。

上の劇場の意見賛成!!私の住む田舎街も町から市へ変わるための必要条件
として劇場(+市立図書館)が何年か前に出来たのですが、住民の大勢住んで
いる発展地域ではなく地元の昔からある今となっては寂れた地域に建ちました。

なんと前者と後者の地域の間は2〜3Km離れているのですが、「ととろ」の
住んでそうな森と畑と田で、ほとんど人が住んでいないんですよ!(どんなところ
だってんだ!笑)。しかも交通機関なんて1時間に1〜2本走ってればいいと
いうようなバスのみ。この劇場まで辿り着くにはほんとうに不便です。

なんでそんなところに出来たかというと私の予想ですが、町長さん(市長さん)
が昔から住んでいる地元の人だから!!地元を大切にするというか票稼ぎ
でしょうね。どんなに新しい人が選挙で頑張っても負けてしまうんですよ、
地元強し。
ちなみに私の住む町と張り合っている隣の町も同じような有様。

そんなこんなな状況が地方ではくりひろげられています。

あっ、町民ミュージカルというのは利益を得るものではなくて趣味とか楽しみ
で製作しているものでしょうから「赤字」とかそういうことではないのでは?
町民だとホールが安く借りられたりするんですよね(場合によってはタダ!?)。
それと、町民ミュージカルもやはり立派な「文化」ですよ、ウンウン!!!

マスターより(その2)

ヒロキさんの投稿から思いが広がり…

ホールや劇場は「文化」や「娯楽」を提示、提供するものな訳ですが、
一般的には視聴人数、視聴時間、テレビ広告費、放送局の数、影響力、
どれをとってもメインの娯楽としては、日本人は「テレビ」を選んだと言う
しか無い訳です。
劇場やホールに出かけて行って、コンサートや芝居を観る、というのは数
だけを見ると、どうしたってマイナーです。
東京ドームに5万人集めてライブをやっても、新橋演舞場が連日満員でひと月
で3万人動員しようと、視聴率に換算すると0.1%以下でしょう。

かと言って、テレビで劇場中継やコンサートを見ても、実際の舞台が「お刺身」
だとしたら、テレビで見るそれは、煮たり焼いたりして、さらに缶詰にした
ようなもので、その場の「空気」や、同じ舞台を観客全員が息をのんで見つめて
いる「共有感」のようなものは伝わって来ません。

まぁ、全く別物ですね。

舞台に携わる人はみんなそうだと思いますが、ぼくはコンサートにしろ芝居にしろ、
生身の人間がそこで演じているのを、こちら側にも生身の人間が居て観ていて、
「場」の空気を共有している、ということに物凄く魅力を感じるので、そこで仕事
をするのが歓びです。

逆にそういう少数の人達相手でないとできない事、とかできない表現、という部分
に自分の感覚が合っているということを、最近特に感じています。

合唱やブラス、邦楽作品などは、その上演奏して貰える歓びも付いてくる(?)
ので、ホントに充実感が有ります。逆に日本で、生きた形で曲が生きながらえる
(あちこちで演奏される)としたら、上記のジャンル以外、無いと言っても良い
ように思います。

ヒロキさんより(その2)

マスターさま:日本人が、メインの娯楽としてテレビなんかを選んだというのは
本当に妥当だったかもしれませんよね。日本のテレビって面白いですしね。

フランスのテレビなんて吹き替え版の外国映画か、クイズ番組しかやってない。
あるいは往年のフレンチポップスはどこに??という風な、本当に趣味の悪い
というか、聞いてる僕らが辟易してしまうようなちんぴな歌番組とかだったり。

あちらで劇場が、連日生き残っているのは、たとえば「ガルニエ座」にいく、
ということが、とある階級のメンバーとしての自己確認であり、義務みたいな
ものだからかもしれない。劇場の機能として社交場というのは切り離せないよう
な気がします。それは友達とあっても、横浜の人だったら、話で引き止めては
だめだ、という風なところまで行くと、卑近すぎるけど。

とにかく、そういうことを「一切無視」して、生活圏から遠く離れたところに、
いくら票稼ぎにしろ、劇場を建ててしまうのは絶対におかしい。
高尚な「芸術」が、俗悪な「テレビ」に 打ち勝つだけの力があると信じるのは
その図式からしてもう今日では怪しいし、いくら高尚な芸術といわれても
個人の趣味があって当然ですよね。

劇場は、それこそマスターの言われるような、テレビでは感じられないものを感じ、
そして、生活の 一部であることを考えないとだめだと思う。
日本のオケでは、プログラム設定 のとき あんまり、マーケットリサーチもしない
そうです。逆にそれではお客はこないし、「人気曲目」に、実は団員もおきゃくも
全員、あきてるなんて事が起こるんではないでしょうか?

僕の授業のコーディネーターの一人に、新国立を作った建築家がいるのだけど、
いい人なのはわかるけれど、どうもかれのいう「劇場を愛する」という言葉の奥
にあるのはすごく古い芸術観のような気がして、社会的なものを目指しても、
結局、そうなれない、もののような気がします。
今度かれがつぶれた「セゾン劇場」の建て直しの劇場プロデューサーになるそう
なんですが、それにあたって、学生の意見を集めるそうです。

実はこの授業はもぐりなので、成績を気にすることはありません。
もう少し言葉を和らげて 、ちゃんと調べるとこは調べて、言ってやろうと
考えてます。企画書形式なので。

ぼくとしては、終幕後は、天井を低くして、椅子とか舞台を地下に収納して
クラブにしてでも(クラブってDJとかいるし、総合芸術だと思うけど)予算を
取って室内オーケストラと、うまい少数の歌手とを備えたオペラ(現代もの含む)
をやりたい。
これはあくまで夢ですが、とにかく、誰がきて、どんな目的をもってて、という
ことをもっと戦略的に考えないと誰もこないのではないか。セゾンがあの立地で
つぶれる、ということはそういうことへの甘さがあったのではないか、とおもう
のですが、このあたりはどうでしょうか。

ご意見を聞かせてください。

マスターより(その3)

ヒロキさん>僕が「日本人は娯楽としてテレビを選んだ」と書いたのは、
批判的な言い方のつもりだったのですが…(^_^;)
歳をとるにつれて、こりゃ面白いと思える番組は減る一方で。大企業は若い人
がターゲット(カモ)だから、若い人向けのものが多いし。

家にこもってT.Vを見ていれば、美しいものや面白いものばかりで、現実の街が
いくら汚く、世の中に矛盾があふれていても見ないで済むし。という「現実から
の逃避の道具になっている部分」はどうも好きじゃ無いです。

車を売らなきゃならないので、年間1万数千人がそれを使っていたことが原因で
死んでいるのに、日本人全員で見ないふりをしていますよね?
(家電などは、それを使っていて一人でも死んだら大騒ぎになるのに)
そういうおかしなところを、気が付かないうちに、被い隠してしまう部分が
TV にはあるんじゃないか、と常々思ったりしている訳です。

まぁ、それはそれとして「銀座セゾン」ですが、実は、あそこでやった
大竹しのぶさんの「セチュアンの善人」が、僕が今までやった芝居の仕事の中で
一番ギャラが高かったんです。
それでつぶれた…わけでは無いでしょうが。(^_^;)

しかしそれにしても、あそこは料金が高すぎたように思います。
規模の割に凝った事をするので、それでも毎回赤字で、どうなってるんだ?
と 思っていたら、劇場の制作の人は「セゾングループ全体で何とかなれば良い、
という方針だから、公演だけでペイする事は考えていない」と言っていて、
フーン、そうなんだ、恵まれているなぁ、と思った記憶が有ります。
逆にそれが、「やりたいこと、やっちゃう」とか「予算がオーバーしても、
ま ぁいいか」という感覚になっていったのかもしれませんね。

マーケティングに関してはどうなんだろう。

「いわゆる」商業演劇とは違ったし、とても質の高いものをやる、という印象
が強かったんだけど。
再建?はどういう方針で、どこがやるのか良く知りませんが、果たしてどうなる
のかな?。

ヒロキさんが書かれていたような形、とても面白いと思うし、作曲家にとっても
大変、魅力的なアイディアです。ぜひ「企画書」を出してみて下さい

 

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