徒然草 1    


 

S学園〜学校でなにを学ぶか、教えるか?

日本に有る「芸術系」の音楽大学のほとんどが、西洋の18〜19世紀のクラシック音楽の伝統を守って行く事を目標にしているのに対して、今、世の中で(量的に)主流になっている音楽を「学校」組織で「教える」事の困難さ、とは何でしょうか?

流行は毎年変わるし、それに対応するには毎年カリキュラムが変わる、と。そしてそもそもその手の音楽は「利潤」をあげるのが最大の目的である「組織」(レコード会社、制作会社等)によって作り出され、世の中に頒布されるわけです。

また、本来音楽の勉強の中でも、技術の伝達や解釈の検討はレッスンできても、「作曲自体」は例えば僕が「こうすれば?」と言ってメロを直したら、即、僕の曲になっちゃう、と言うことが有ってその辺はいつもどうしたもんか、と悩んでいます。極限すれば作曲自体は全て、自力でやるものだ、と。そうすると作曲に関しては学校がいらなくなっちゃうんですよねぇ。

僕は個人的には在学中に「学校」の事で悩んだり不満を持ったことは皆無でし た。文部省で組んだカリキュラムと自分が追及したい事(そもそもそれを見つ けるのに四苦八苦してました。学校内は「現代音楽」が主流なのに全然ついて 行けなくて…)が一致しないのは当然だと思っていたし。

「器材の使い方」や「映画音楽」の授業なんて無かったし。(今でも無いけど)友人や先生との個人的な関係しか目にはいらなかったし、今思うと、それが一番役に立ってます。                                     ページの先頭へ

 

99年4月25日邦楽合奏団「織座」定演

4月25日の「織座」の定期演奏会、すごい熱演でした。

大編成が4曲という のもすごいですがそれぞれが素晴しい演奏、というのももっとすごいと思います。本当にお疲れさまでした。プロの演奏家も何人も輩出し始めていて本当に アマチュア邦楽合奏団の頂点という感じですね。

CDのジャケット見本は特に指揮の稲田先生に大不評(!)でしたが、CD店の店頭に並べて見た目で勝負という性格のものでは無いので、何とか我慢して頂 けると良いのですが(^_^;)

しかしもうあそこまで行くとアマチュアとプロの境目というか、音楽に対する熱い思いという意味では「織座」に軍配が挙がる部分も多いなぁ、と皆さんとお話ししながら思った事でした。                        ページの先頭へ

 

日本人としてクラシック音楽とどう関わって行くか?〜ヒロキさんの質問へのお答えとして〜

僕が二十才の頃、クラシックの中でも18〜19世紀位までの比較的オーソドックスな曲(調性がある…というくらいの意味です)が好きで音楽の勉強を始めて、音大に入 ったのに、学内は教師も学生(作曲科)も調性の無い「いわゆる現代音楽」を追及する人ばかりで、「その手の曲を書かない奴は作曲家とは言えない」という雰囲気に満ちていました。

今思い出してもいやぁな感じ!です。

その頃クラシック音楽って、僕にとって、世の中にとって、そして日本人にとって何だろう、と考え込む事が頻繁でした。バッハやブラームス、ドボルザークやマーラーが好きなのにそういうスタイルを真似して書いても日本人として、又クラシックの歴史を考えても、全く何の意味も無い、と思い、思わされ、の日々で悩んでいました。

思うにあるジャンルが起こり、発展していき、衰退すると、最後にはその絶頂 期に作り出された物を再現していくだけの(もはや新しい物を産み出せない)「再現芸術」に成って行くようで、能、歌舞伎、邦楽の古典などはどうもそう いう状態らしい、と。

そしてどうやらクラシック音楽も全体的にその状態に入りつつあるか、既に入ってしまったのでは無いか、と思い始めました。

あるジャンルが低迷すると新しい血を入れて、あるエネルギーを得てしばらくはもつ、という事も確かにあるようで、クラシックの場合はそれが、アジアの 演奏家による新しい解釈だったりする、と。そして他のジャンルの音楽に目を向けると、ジャズには明らかにクラシックへ の憧れのような物が感じられたり、ポップスでも使われている音階や和音はクラシックに準じるし(リズムはあちこちの民族的な音楽からきていますが)、映画音楽ももろにそのスタイルだし、世界的に広まている音楽はどうもクラシックの流れらしい、という事も感じます。

何年間か悩み続けましたが、子供達相手の仕事をした時に「自分が音楽を勉強し始めた原点はこの無邪気に『楽しい』という気持ちからだったなぁ」と思ったことや、27才の頃に坂本龍一氏の仕事をひょんな事から手伝った時、「僕が好きな(変な言い方ですが)きれいな曲(!)を自由に作って、仕事をして いる人がいる!」と思ってショックを受けてから開き直って、プロフィールに あるような色々な仕事をやり始めた訳です。

どんなジャンルでも最先端の非常に高度な、難解な事を追及している人がいるかと思うと、その 成果を実用的な事に応用したり、自分の表現に利用したりする人もいる、と。

クラシックの現代曲で使われている技法は、そのまま、自己の内面や人間の奥深いところを追及する為に使う人も居れば、恐怖映画の劇伴に使う人もいる、 と。でも誰かが研究(追及)してくれなければそういう表現自体が産まれていなかっただろう、という風に思ってます。

そして自分はどのタイプかな?とかどのやり方で行こうかな?と考える訳です。作曲を志した人なら誰でも、日本人なのに何故、西洋の音楽技法で曲を書くのか、という疑問には一度はぶち当たった事が有ると思います。アメリカ人が歌舞伎をやっているような事と同じではないのか?とかね。

今ではクラシック音楽はメジャーな色々なジャンルの音楽の基礎である、(又 は有った)と思います。そういう認識の上で自分は、自分の表現したいことにふさわしいと思えるスタイルを真摯に選びとって作曲をしていく、という気持ちに落ち着いています。 在学中に師事していた、松村禎三氏の「充分考えた結果、どうしてもドミソが必要だと思ったら堂々とドミソを書け」という教えがようやく身について来た 気がしています。

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99年4月24日金子バラ園「花いっぱいコンサート」

4月24日の「バラ園コンサート」はあいにくの雨で音響的な条件は良くありませんでした(温室の中のステージなので…)。が、新曲の「Vn.とバラのロマンス」を始めとして演奏者の皆さんの熱演で大変感動的なコンサートになりました。

料理も付近で採れた山菜、竹の子、きのこ、に網焼各種、といろんな意味で贅沢なものでした。

Vn.の松本克己さん(日フィル)が坂本弁護士と親しかった関係で 坂本弁護士のお母様も来られて、とても喜んで帰られました。(坂本弁護士一家の追悼曲の再演もあったので。)だいぶ顔色も良くなられお元気そうでしたが、一時は外出する度に「坂本弁護士のお母さんだっ!(回りの人、全員こちらを見る)」ということが続いて、精神的にまいってしまわれた由。大変な目に会われたのだから、気がついてもそっとして知らん振りしてあげれば良いのに…と思いました。

たくさんのバラに囲まれ素晴しいコンサートでした。「バラ園コンサート」は 第3、4弾と続くそうです。コンサート情報に御注目!

(ピアノは旧東独のブリュートナーでした。重厚なタッチの独特な音質のピア ノでした。ブラームスを弾いたらものすごくピッタリ来そう、と言えば解ってもらえるかしらん)
                              
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