旅その19 最果ての島は家族の島(礼文町 1998年9月)

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またこの礼文の旅日記は[前編]と[後編]に別れています。
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礼文町の位置  振り返ってみると、私は「島旅」の経験がほとんどない。これは高校時代に「青函連絡船」で何とも辛い船酔いを経験したためかも知れない。
 その時乗った青函連絡船は、悪天候のため揺れがひどかった。おまけに風邪気味で体調が悪いことに加え、旅の開放感から飲み慣れない酒まで飲んでいた(高校生なのにね・・・もう時効だろうけど)。これでは船酔いしても当たり前かな?
 とにかくそんな出来事のせいか、「私は船に弱い」と思い込んでいたのだと思う。以降訪れた島々はすべて飛行機で直接訪れたり、本土と橋で結ばれた島であったりと、無意識のうちに「船でしか渡れない島」を避けていたように思える。

 ところがある日、遊覧船に乗る機会を得た。この旅日記でも登場するオタモイ海岸の遊覧船だ(旅その18にて)。
 遊覧船ということで気楽に乗り込んだ船だったのだが、その時はかなりの高波。予想に反して波の上を飛び跳ねるような具合で、かなりひどい揺れだった。だが・・・全然平気。ちっとも、気持ち悪くなんかならなかった。単純な私はそれで、「なんだ、本当は俺って船に強かったんじゃない」と思い込んでしまったのだ。
 思い込みは人に「強力な作用」をもたらす。その時はもうすでに、荒波の中に颯爽と出漁する漁師にだって、今すぐになれるような気になっていた(少々嘘が混じっていますが・・・かなりかな?)
 とまあ、とにかくそんなことがきっかけで、急に船旅がしてみたくなったのだった。

 最初に思ったことが、今まで躊躇していた「小笠原へ行こう」ということだった。
 だが冷静になって考えてみると、いきなり25時間を超える船旅は自信がないし、何よりまとまった休暇を取ることが、その時は難しかった。結局、熱しやすく冷めやすい性格で、ついでに忘れっぽい私(^^;)は時間が経つに連れ、そのことをすっかり忘れてしまっていた。

 さてそれから1年後。
 アウトドア系の雑誌を眺めていたら、日本の代表的なトレッキングフィールドとして、礼文島が紹介されていた。まさにトレッキングと言えば、礼文と言う感じの記事だった。
 その記事を見た瞬間、「そうだ!北の島があるじゃない!!」
 唐突に島旅への情熱(笑)が蘇ったのだ。ちょうど都合良く「稚内に行きたい」という気持ちが盛り上がっている時(旅22をご覧ください)だったので、まさにタイミングは最高。もうすでにその時、稚内と北の島を合わせて旅するつもりになっていた。



 例によって前置きが長くなってしまったが、こんな理由から訪れたのが北の最果ての島、礼文島だった。この旅日記はフェリーが稚内を発ち、礼文に向けて出発したところから始まる。



[礼文1日目]

フェリーから礼文を望む 桃岩へ下る道  船が揺れている。波が高い。大きなうねりのような波が、絶え間なく船を揺らしている。

 「こんなはずじゃ無かったのになぁ・・・」

 気持ちが悪いのだ。さっきから、何度も吐き気を堪えている。
 もっともこれは船の揺れのためだけでは無い。稚内のホテルで目が覚めた瞬間から気持ちが悪かったのだ。いわゆる二日酔い。それもかなりひどい状態で、朝飯を食べる気にもなれず、空きっ腹のまま船に乗り込んでしまった。これでは余計に船酔い状態に近づいてしまう。
 まずい・・・また船旅から縁遠くなってしまうではないか(^^;)

 台風が近づいていた。今日の夕方には北海道に上陸するらしい。
 本当はこの二日酔いが収まってから船に乗り込みたかったのだが、この朝1便の礼文行きを乗り過ごすと、以降の便は欠航してしまう可能性が高い。そのため無理をして乗り込んでしまったのだ。

 フェリーの二等客室は、絨毯敷きのゴロ寝スペースになっている。最初はそこで寝て過ごそうかと思ったのだが、寝ていると「うねり」を却って強く感じるようで、ウロウロ船内を歩き回っている方が気が紛れることに気が付いた。
 そこでカメラ片手に船の前の方に行っては、パチリ。後ろに行ってはパチリと、さっきからとにかくウロウロしてばかりいる。
 だが天候が悪いので、ノシャップ岬を過ぎてからは灰色の海以外は何も見えなくなってしまった。これでは何枚写真を撮っても、同じ写真ばかりになってしまう。
 礼文と稚内間は1時間55分の船旅。
 1時間近く灰色の海を眺めているので、すでに飽きていた。これが汽車旅だと過ぎて行く車窓風景を眺めているだけで、何時間でも飽きることはないんだけど。

 そんなことを思いながら海を眺めている内に、ようやく遠くに島影が見えた。そうなると、途端に興奮して来る。「おお礼文だ、礼文だ!」。
 この時ばかりは「やっぱり旅は船だよな。船ならではの旅の情緒ってなものがあるのだよな」などと、無責任にコロッと考えが変わっているのだ(笑)。



 船を降りながら、迎えに来てくれているはずの民宿のスタッフを探す。昨夜稚内から電話して「3泊お願いします」と、念のため予約をして置いたのだ。
 いつもなら「行き当たりばったり」に当日になってから宿を決めるのだが、今回だけは前日に宿を決めていた。やはり慣れない島旅だと、意気込みも違ってくる。

 稚内で手に入れた礼文島のパンフレットには、宿の紹介が写真入りで掲載されていた。この中から手頃な宿を探そうと思い立った。
 なかなか内容が充実したパンフレットだ。同時に手に入れた稚内や利尻島のパンフレットも20〜30ページのボリュームがあるパンフレットだった。
 このパンフレットがあれば、重いだけで肝心なところでは役に立たないガイドブックなんていらない。私はいつも時刻表と、現地で入手するこれらのパンフレットだけで旅をしているのだ。さらに今回はそれらに加え、礼文と利尻の2万5千分の1の地形図も持参していた。これは両島では「歩くこと」を主体に考えていたためだ。

 さて、そのパンフレットの宿紹介で目に付いたのは、宿のスタッフの写真。宿泊料金もほとんど同じだし、限りあるスペースの中での宿紹介なので、宿の個性の違いを判断することは難しい。そうなるとスタッフの写真を見て、何となく「いいなぁ」と思える宿にすることぐらいしか判断材料がない。
 今回そんな宿紹介の中で、気に入った宿が「民宿なぎさ」だった。
 ここの写真が面白い。泊まり客と思えるライダー風の人は幸せそうに満面の笑みで、一方宿のスタッフと思える人は、何だか疲れ切った表情で写っているのだ。この対比が面白く、見た瞬間に「この宿にしよう」と思っていた。

 そんなことがきっかけで決めた宿だったが、このとき、宿だけでなく「礼文での過ごし方」も決まってしまったということに、当然ながらこの時点では気がついていなかった。



桃岩  「こんにちは。今日お世話になる山田です」
 「あっ、どうも『お帰りなさい』」

 うん?間違えたのかな、もしかして・・・今日初めて来たのに「お帰りなさい」なんて・・・

 この理由はすぐにわかった。礼文では島外から来た人に対して「お帰りなさい」の言葉で迎え、島を去る人には「行ってらっしゃい」の言葉で送る。何だかお盆休みに田舎に帰省したみたいな感じだなぁ・・・

 私が乗ってきた以降の便は、折り返し便を除いて欠航が決まったらしい。「間一髪セーフ」というところだろうか。

 ところで送り迎えは「宿の泊まり客総出のイベント」のようだった。宿のスタッフだけだと思っていたので「随分大勢のスタッフだよなぁ」と思っていたら、実は泊まり客全員がそこに集合していたのだ。後で聞いてみると、朝一番の便は島へ出入りする人が多いため、この時だけは泊まり客全員で送り迎えするのだそうだ。

 「この後、どうしますか?」

 まだ何も決めていない。天候は小雨。台風はこれから近づくのだから、天候の回復は見込めない。
 「今日はこの後も雨なんですよね」と分かりきったことを尋ねると、「ええ」とこれも予想通りの答え。「宿で洗濯でもして過ごすか」とも思うのだが、たまたまこれから歩く予定の人が二人いた。
 「山田さん、もし良かったら彼等と一緒に歩いたら?彼等は桃岩から礼文滝の方まで歩くんだけど。荷物は宿の方において置きますから。ねっ。そうしなさいよ。はい、おにぎり!」
 曖昧に肯いているうちに、規定の行動であるかのように、いつの間にかそう決まってしまっていた。もっとも予定があるわけでもないので、それはそれで構わないのだが。

 結局、最低限必要なものだけをサブザックに移し替えて、私もご一緒させて頂くことにした。



地蔵岩 礼文滝  香深のフェリーターミナルから島の対岸に位置する元地を過ぎ、地蔵岩に向けて歩き出した辺りから雨は本降りになっていた。おまけに風はどんどん強くなっている。台風が近づいているのだから当然と言えば当然だが。
 ご一緒している二人は、男性のTさんと女性のTさん。お二人は明日の便で礼文を離れる予定なので、多少無理をして歩くことにしたようだ(結局、もう1泊されていたが)。

 一人だったらとっくに引き返しているところだが、一緒に行動している人がいるとなるとそれも言い出しにくい。トレッキングパンツを今回は持参していたのだが、それに履き替える暇もなく歩き出してしまったので、下半身はすでにびしょ濡れの状態だ。

 地蔵岩から先は岩礁地帯。元々が道のないところを歩くのだが、それに雨と風が加わって、ほとんどアドベンチャー状態になっていた。
 このルートは礼文名物「愛とロマンの8時間コース」と呼ばれるコースの一部だったのだが、現在では落石の危険もあって「通行禁止」になっている。今はこの岩礁地帯を避けて礼文林道を歩くルートに変更されているらしい。そんなコースを黙々と歩いている。

 一度途中で「引き返そうか」という意見がまとまり掛けたが、再び岩礁地帯を歩いて戻るのも辛い。地図を見ると予定の礼文滝はすぐ目の前で、そこから先は尾根道を歩くことになる。
 だがその尾根道も快適とはほど遠かった。いや、むしろ岩礁地帯を歩く方が快適なくらいだ。風をまともに受けるので、雨が横殴りで目を開けていることも辛い。再び心の中で「こんなつもりじゃなかったんだけどなぁ」とぼやいている。
 私は歩き旅が好きだし、休日には山へトレッキングにも出かけている。つまり歩くことに対しては何の抵抗もないのだ。だが前もって「雨」とわかっているときには最初から歩きに行こうなんて思わない、「軟弱トレッカー」でもある。おまけに今日はただの雨ではない。当然ながら私たち以外に歩いている人もいない。

 礼文林道から舗装道に出たときにも「ほっ」とする気持ちはまるで無く、「とにかく雨と風がしのげるところへ」という思いだけでいた。頭から足の先までずぶぬれの状態。身体が冷え切っている。
 再びフェリー乗り場まで戻り、建物の中に入っても、身体の震えはなかなか止まらなかった。

 とにもかくにも、歩数にして15000歩、距離にして約9Kmの嵐の中のトレッキングが、私の礼文最初のトレッキングとなったわけだ。



 宿に着いたら全員が笑顔で迎えてくれた。他の人は宿で「停滞」を楽しんでいたようだ。
 着替えて暖かいコーヒーを飲んだところで、ようやく人心地がついた。

 「やれやれ・・・」



[礼文2日目]

雲の隙間から朝日が差し込む  翌日。薄曇りで風も強いが、今日は雨も上がった。台風は通過したようだが、残念ながら台風一過の青空というわけには行かなかったようだ。
 昨夜は宿ごと吹き飛んでしまうのではないかと思える強風が吹き荒れた。風が強いことで有名なこの島だが、台風の影響でいつもとは違う方向からの風だった。

 朝食の後、宿泊客全員で記念撮影。これも毎日のイベント。そして宿泊客全員でフェリー乗り場まで向かい、お見送りをすることもすでに書いたとおり、恒例のイベントだ。
 そのため、朝食の後すぐに自由に行動することは出来ない。これは旅の際の私の信条に反する(なんて大げさなものではないが)のだが、昨日到着してからは「郷に入れば郷に従え」的な行動パターンになっている。そして「こうなったら今回の礼文の旅は、とことん人のお膳立てに乗っかってみるかな?」と言う気にもなり掛けている。

 フェリー乗り場に着いてみると、高波のため1便が出航しないことがわかった。旅立つ人も昼までお預けとなる。

 今日は島の南側「桃岩展望コース」と名付けられたコースを歩こうと思っていた。
 ここで「それではお先に」と歩き始めてしまえば良いようなものだが、なんとなく言い出せる雰囲気ではない。
 宿のオーナーが「南の方へ行く人いない?」と言って人を募っている。これはもちろん礼文が初めての私のことを気遣ってくれてのことだろうが、少々煩わしい気がしていた。一人歩きが決して嫌いではない、いやむしろ歩く時は一人が好きな私にしてみると、なんとなく自由を奪われたような気分でいたのだ。

礼文・香深市街  結局、ほとんどの人が同じ南のコースを歩くことになったのだが、お見送りと次の便でやって来る常連客を待ってから出発ということに決定した。それまでの時間、図書館を併設した町営の本屋で時間を過ごしたり、ホッケのちゃんちゃん焼きが名物の「ちどり」という居酒屋で昼食を摂ったりして過ごしていた。
 まあこれはこれで、私の好きな「のんびりスタイルの旅」には合ってはいるのだが・・・



名物ホッケのちゃんちゃん焼き 香深港を出航するフェリー  それにしても民宿なぎさのお見送り風景はすごい。礼文ではYHの桃岩荘のお見送りが有名だそうだが(ちなみにここは私が抱く昔ながらのYHスタイルを貫く宿でもあるらしい)、カタチは全然違うがこちらも負けず劣らずだと思う。

 紙テープを持って見送りするのはもちろん、「なぎさオリジナルソング」まである。そして出発する人は船上から言葉を送り、宿のスタッフも挨拶を返す。この様子はまるで卒業式の在校生の送辞と卒業生の答辞のようなもの(順番が逆だけど)。
 船が動き出すと全員で「行ってらっしゃぁ〜い」。船上からは「行って来まぁ〜す」。そして埠頭の先まで全員で走って船を追い掛け、そこで再び「行ってらっしゃ〜い」。最後に「また来いよぉ〜」で締めくくる。
 初めての私などは「照れ」が先だって、「ちょっと勘弁だなぁ」と言う気がしていた。
 だがこの風景に慣れることが出来なかった私も、最後の最後で自分が送られる立場になったときには、別の気持ちになっていた。

 しかしこれは後の話。今は再び「桃岩展望コース」に話を戻そう。



桃岩展望コースより港方面を望む 桃岩脇の谷を望む  途中までは昨日と同じコースを歩く。昨日は嵐の中を3人だけだったのだが、今日は大人数だし、いつの間にか天気も良くなっていた。
 フェリー乗り場を出る船の航跡が白く尾をひき、海の向こうには利尻山が見える。遠くから見ると島全体円錐形に見えるのだが、残念ながら山頂には雲が掛かっていた。
 ようやく「なるほど礼文はトレッキングの島だな。礼文の魅力は歩かなくちゃわからないな」と実感することが出来た。

桃岩展望コース途中より利尻島遠望(1) 桃岩展望コース途中より利尻島遠望(2)  昨日の倍ぐらいの時間を掛けながらゆっくりと歩く。いつもの歩きの三分の二ぐらいのスピードだろうか。このスピードだと、いつもとはまた違った風景が見えてくる。花の季節はもう終わっていると思っていたが、所々にはまだいくつかの花も見られる。

 「あの花は"リシリブシ"です。あの有名なトリカブトの仲間ですね」「あっちの枯れているやつ、あれは"チシマリンドウ"です」

 同行して頂いている常連で花に詳しい方に、道すがら色々と解説して頂けるので、失礼な言い方だが、まるでガイド付きでトレッキングをしている感じになっている。

 「ふ〜ん。グループで歩くのもなかなかイイじゃない・・・」



桃岩展望コース途中より西海岸遠望(1) 桃岩展望コース途中より西海岸遠望(2)  さて宿に着いてからは夕食までの間、一時せわしない時間が続く。夕食までの間に全員入浴を済ませなくてはならないためだ。
 最初は時間も比較的余裕があるが、後の方になってくるとだんだん時間も押して来るので、一人10分とか、一人用の風呂に二人で入る羽目になる。
 それでも9月のこの時期は、まだ良い方であるらしい。夏の最盛期には、これよりもさらに忙しい羽目になることもあるそうだ。
 ちなみに昨日は夕食の後、宿のスタッフと宿泊客全員で、香深近くの「銭湯」へ行った。泊まり客が少ないときには、たまにこうしたイベントも行うそうだ。

 民宿なぎさは「食事」の旨さが自慢の宿だ。確かにそのボリュームと凝った献立がすごい。食事の前に宿のオーナーが「本日の献立」について説明してくれるのも新鮮だ。何かしら、高級レストランでシェフが自慢げに料理を語る姿にも似ている。

知床集落  夕食の後は泊まり客のほとんどが居間に集まって時間を過ごす。一人旅の人が多いためか、部屋で過ごしていても退屈してしまうので、皆なんとなく集まって世間話をしたり、人の話を聞いたりしながら過ごしているのだ。

 ところで今日も相部屋。この「なぎさ」は相部屋を基本とする民宿なのだ。だがいわゆる低料金男女別相部屋を基本とする「とほ民宿」ではない。
 昨日はバイクの一人旅の人と一緒だったが、その彼は昼の便で礼文を発った。
 今日は三人で一部屋を利用している。一人はバイクで、もう一人は車で北海道を一周している。二人とも様々な理由から会社を辞めて、心機一転「気持ちの切替」をするために旅に出て来たと語ってくれた。
 やっぱりこういうとき、人は北を目指してしまうのだなぁと思う。でも、いつも北ばかり目指して旅している私は、いったい・・・?

 夜十時ともなると誰からと言うこともなく、部屋の灯かりを消し、眠りに就く。
 う〜ん、なんて健康的な生活なんだろう・・・(笑)


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1999.6.16 Ver.5.0 Presented by Yamasan (Masayuki Yamada)