たん熊北店・石塀小路

  つれが京都らしいものを食べたいというので、たん熊北店でミニ懐石を食べることになった。昭和3年にできた老舗の店だ。宿を昼に出る。四条木屋町から高瀬川沿いに北へ上った路地にその店はひっそりとたたずんでいた。
仲居さんに案内され、個室に通された。部屋にはススキと秋の花がしつらえられている。温かい吸い物が出てきた。黒漆の器には月に萩の意匠をあしらった蒔絵が描かれている。季節に合わせて器も変えているなら大したものだ。続いて銀だらの焼き物。タレの甘みが身の奥にまでしみわたっていて実においしい。当たり前だがスーパーで売っているものとはまるで次元が違う。そして、天ぷら。歯ざわりがびっくりするほどやわらかい。一般に天ぷら屋の天ぷらは、衣をカラッと揚げることで、衣のさくさく感を強調するものだが、この天ぷらはまるで正反対でむしろしっとりとした上品さを持ち合わせている。しかし、その方向性はまさしく京料理にふさわしい。天ぷらという単品でも十分勝負ができる個性の強い料理を京料理の中の一品としてこうまで違和感なく組み込んだという点に、職人の意地を見た気がした。

腹ごなしをするほどの量はでなかったが、清水寺まで歩いていくことにした。清水寺には243年ぶりに公開されている三面千手観音を拝観しに行くのだ。 八坂神社の境内を抜け、石塀小路を通る。幅の狭い石畳の道を左右の古びた建物を見ながら歩く。ここは、明治の終わりから大正にかけて作られた住宅地で、主にインテリ層が住んでいたらしい。
八坂の塔の脇を通り、途中に何軒も立ち並ぶ清水焼の店を覗く。いいものがあれば買ってもいいな、と思っていたのだが、いいものはやはり高い。多少高くても買ってもいいか、とも思ったものもあったが、こちらがいいと思うものとつれがいいと思うものが合わず、ふんぎりがつかずないうちに清水寺に到着してしまった。


石塀小路

清水寺、243年目の公開

  9月の中旬ということもあって、修学旅行生はまだ少ない。清水焼に夢中になっていたために既に夕方になっていたということもあって、いつもよりは人が少ない。
243年ぶりに公開される三面千手観音は奥の院の本尊だ。奥の院は清水の舞台のある本堂を越えた先の音羽の滝の真上にある。そこで公開しているのかと思っていたのだが、本堂に移して公開していた。ろうそくが灯される薄暗い本堂に入る。本尊厨子のある場所の裏から回って表側に行けるようになっている。その周囲には奥の院の二十八部衆が置かれていた。二十八部衆の種類は三十三間堂のものと同じで姿、形もよく似ている。二十八部衆は千手観音の眷属とされている。だから三十三間堂にも清水寺奥の院にもいるのだ。 ここの二十八部衆は三十三間堂ほど顔に個性がない。風神、雷神も両脇に置かれていた。こちらもよく似ている。
本堂の本尊は清水型十一面観音だ。普通の十一面観音と違って、両手を頭の上にあげて結んでいる。これも秘仏で、三十三年に一度開扉される。本堂本尊は三年前に公開され、そのときにも清水寺に見に来た。そのときに開いていた厨子の扉は今回閉まっていて、その代わり三面千手観音が置かれている。暗さに目が慣れてくるに連れて、だんだんと見えてくる。
顔の両側にそれぞれ一面ずつの顔が付いていて、頭上には二十五の顔が付けられている。両側の二面の顔の付いている位置関係は興福寺阿修羅に似てなくはない。正面の顔は目が釣り上がり気味で、威厳のある表情から慶派の仏師の作と考えられている。
長く公開されていなかったこともあって体の金箔がよく残っている。

清水寺を出ると日がだいぶ傾いていた。来た道を戻ると清水焼の店はほとんど閉まっていた。来るときに目を付けておいた八坂神社前のすし屋で晩御飯にするための小鯛寿司を買う。そして、四条の高島屋まで行き、晩御飯のおかずを買った。ロビーでは阪神優勝を記念して写真展や縞模様の一人乗りチョロQ、縞模様のウェディングドレスなどが展示してあった。
高島屋からタクシーで宿に戻った。タクシーの運転手に地下鉄の東山駅の前までと言うと、「三条東山ですか?」と京都人的な力の抜けた声で聞き返してくる。たしか駅名に「三条」なんてついていなかったと思ったが、念のため「東大路通りと三条通が交差するあたりなんですが」というと「ああ、それなら三条東山です。」と、そんな当たり前のことをなんでわざわざ言わすのや、というような口調で答えた。多くの京都人のように、心の中で洛外の田舎者めと人を小ばかにしていたのかもしれない。
しかし、タクシーを降りて駅名を確かめると確かに「東山駅」だった。京都人に勝った瞬間だった。


夕暮れの八坂の塔

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