石山寺

  宿をチェックアウトする。とうとう5泊6日の旅も最終日となってしまった。車を東へと走らせる。山科を通り国道一号に合流する。この道は三条大橋、粟田口、山科とかつての東海道とほぼ重なっている。しばらくすると逢坂という地名が見えてくる。ここが山城と近江の国境で古来から関が置かれた。逢坂の関は、百人一首の蝉丸の歌でも有名だ。

これやこの 行くも帰るも わかれては しるもしらぬも 逢坂の関

逢坂を通過すると近江に入る。平地になってしばらくすると石山寺の標識が見てきた。ここで右折し、標識どおりに車を走らせるのがどういうわけか石山寺にたどりつけない。地図で確かめるとなぜか瀬田川の東側にいることがわかった。石山寺は西側にある。瀬田の唐橋を渡って西岸に出る。瀬田の唐橋は近江八景の一つの瀬田の夕照として知られている。壬申の乱でも最後の決着を付ける戦いが行われた。

石山寺に着く。平日ということもあり、ひっそりとしている。門前の土産物屋の前を通ると暇をもてあました店主が次々と声をかけてくる。
山門にはかなり擦り切れた顔の阿吽の像がふらちな人間が入ってくるのを見張っていた。山門をくぐると長い石畳の道が続く。右に折れ石段を登る。途中、岩の上に祠が建てられていた。もともと磐座として信仰されてきた岩なのだろう。登り切ると、正面に名前の由来ともなった巨岩がある。珪灰石というらしい。地表に現れるのは珍しいということで天然記念物になっている。巨岩の奥には均整な姿の多宝塔が建っている。
右に小さな毘沙門堂があった。中には 兜跋(とばつ)毘沙門天が祀られている。今回回ってみて気が付いたのだが、琵琶湖の周囲は案外、兜跋毘沙門天が多い。都の守護の意味合いを持っているのだろうと思う。 堂内に入ることはできないが、像に照明が当たっていてよく見えるようになっている。

左に上っていくと本堂がある。本尊は如意輪観音で秘仏。お前立ちの像が立っている。 ここは紫式部が源氏物語の構想を練った場所とされていて、紫式部の像が本堂横の紫式部の間と書かれた部屋に置かれている。
本堂を出るとさきほど見えた巨岩の上に位置する広場に出られる。そこに多宝塔が建っている。鎌倉時代に建てられたもので、中に快慶作の大日如来が祀られる。以前、奈良の円成寺で運慶の大日如来を見たことがある。運慶の作品はこの大日如来に限らず内面に力強さを秘め、人間的で親しみやすさを感じる。それに対して快慶の作品は悪い意味ではなく存在感が稀薄で、超人間的な、はるか上の存在という感じを受ける。運慶は情熱的な人だったのだろう。対して快慶は理知的で頭のいい人だったのだろうという印象を像から受ける。

石山寺を出て、駐車場前の店で昼食をとった。席からは瀬田川が良く見える。食事が出てくるまでの間、川を見ていると大きな鳥が川面めがけて降りてきた。
「あの鳥何だろう?」
というとつれが、
「とんびだよ」
と答えた。そうか、とんびか。
上空高いところを飛んでいるところしか見たことがなかったので、とんびがこんなに大きい鳥だとは思っていなかった。

食事を終えると、のどかな瀬田川を後にして、東京へと戻った。


石山寺の巨岩

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