2001/10/20

高山寺

   毎日出かけて朝から夕方まで寺を巡る生活もこれで6日目に突入だ。かなり疲れてきて、仏像を見るのもだんだんいやになってきた。が、滞在期間も原稿を上げる期間も決まっているので、遅らせるわけにはいかない。
 再び編集者Kさんと合流。車で三尾へと向かう。京都の道もだいぶわかってきた。ドライバーの気質もだいぶ関東とは違っていて、のんびりしているようだ。二車線の道でもたいていは中央寄りの一車線分しか使っていない。左車線を路上駐車の車を避けながら右車線に寄ったり離れたりしながら走っているのは、関東ではごく普通のことだが、京都では交通量の多い市街地の道路は別として、中央寄りの車線しか使わない傾向があるようだ。中央寄りには何台も車が連なって走っていても、左側車線には車が一台も走っていないということもよく見た。こんな時に左側車線を走っていると何だか罪悪感のようなものを感じてしまうのが不思議だ。
 神護寺に11時の約束だったが、かなり早く着いたので先に高山寺に行く。飼われている犬なのか、大きな白い犬が縁側で寝ころんでいたので、写真を撮っていたら、お坊さんが犬を呼んで中にいれてしまった。ざっと一回りして神護寺へ。

寺の人に呼ばれた瞬間。
この直後、この犬は奥へ入っていった。

神護寺

   事前に往復はがきで五大虚空蔵菩薩の拝観を申し込んであった。その時間に少し遅れて神護寺に到着する。五大虚空蔵菩薩は多宝塔に安置される。鍵を開けてもらって拝観。申し込んだ人間だけが中に入れるのかと思ったが、開いている扉から次々に人が入ってくる。
 「ひっそりと拝観できるのかと思ったのに、ちょっとがっかりですね」とKさんが小声で言う。  じっくりと拝ませてもらってから開けてもらったお礼として封筒に入れた寸志を差し上げ、お堂をあとにする。
 外のベンチに座って今見たことをメモに書き留め終わったころに、ようやく扉を開けてくれたお坊さんが出てきた。次々に入ってくる人がいなくなるまで待っていたようだ。手にはさきほど差し上げた封筒を持っていたのが何だかうれしい。
 その後、金堂で薬師如来と十二神将を拝観。前回来たときには感じなかったのだが、薬師如来の顔がずいぶんと柔らかい表情に見えた。写真で見るとかなり厳しい顔をしていて、呪術的だとも言われるが、そういう印象はなかった。よく晴れた日で外からの光が入り込んでいたためかもしれない。
 金堂を出て、Kさんと一緒にかわらけ投げに挑戦するが、どちらもたいして飛ばなかった。前に来たときは一人でスーツ姿で来ていた男性が上手に飛ばしていた。そのときもたいして飛ばせなかった我々は、彼をひそかに「かわらけ名人」と呼んでたたえたものだった。
 帰りは嵐山高尾パークウェイを通って、嵐山の落柿舎の写真を撮影し、宿に戻る。
 これで予定していた京都の寺はすべて廻った。

投げたかわらけ2枚。

とり安

   翌日が第一次取材の最後ということで、夕食は贅沢をすることにした。南禅寺の「とり安」で水炊きだ。行く前に電話を入れると空いているという。Kさんとともに到着すると畳の個室に案内された。風情を感じる古い建物だ。
 仲居さんが材料を説明しながら、名古屋コーチンでとったという乳白色のダシの入った鍋に入れてくれる。仲居さんはかなりの年配だ。その仲居さん、何かを落としては「あ、ごめん」と言っていた。東京で一人8000円取る店でこういう対応はあり得ないだろうが、何だか面白かった。
 味も量も満足する。最後に仲居さんが
 「お茶漬けでも食べますか?」
というので、貰うことにした。白いご飯と漬物だけが出てきた。Kさん(東京出身)が言うには京都のお茶漬けとはそういうものだというので、ご飯に漬物を載せてお茶をかけて食べた。
 あとで思い出したが、京都で「お茶漬けでも」と言われた場合は、「もうお帰りを」という意味ではなかったか。もし食べていったりしようものなら、あの人はお茶漬けを食べていったと末代までの語り草になってしまうとか。
 もちろんそれは個人のお宅を訪れたときの話であって、店の場合はそんなことはないだろうが。

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