古佛の穴

薬師如来
を癒して苦痛を取り除き、寿命を延ばす得を持つほとけであり、東方薬師瑠璃光浄土(浄瑠璃)の主尊とされます。薬師如来は、東の方向にいて、衆生の健康を叶える現世利益的な如来です。
薬師如来 日本では白鳳時代あたりから薬師信仰が始まったようです。そのわかりやすく、また切実な現世利益によって非常に広まったようで、国宝、重要文化財に指定されている仏像のうちで、薬師如来の数は2番目に多いということです(『仏像のこころ』梅原猛)。 右手は施無畏印の形で、手を肩のあたりにあげて手のひらをこちらに向け、左手は、手のひらを上に向け、その手のひらの上に薬壷を載せています。多くは左右に日光、月光菩薩を配し、さらに十二神将を眷属として従えています。
 

必見の薬師如来
奈良・薬師寺金堂 薬師三尊像

天平時代初期の作品で中央の薬師如来は高さ150センチの台の上に座っています。その座高は254センチあり、両脇に日光、月光菩薩を配しています。日光、月光菩薩は外側の膝をこころもち曲げ、腰を内側にひねった立ち姿をしています。どの像も漆黒の姿をしていますが、当初金箔が貼られていたのが、度重なる火災により今の姿となったとのことです。
他に類をみない美しさは様々な人に感嘆の念を起こさせます。『古寺巡礼』の和辻哲郎氏は、拝観時間を過ぎたところを無理にお願いして中に入れて貰い、まず「わたくしはこの像に美しさを見いだしたことが何となくうれしかった。」とその素直な気持ちを表明し、この像を「この本尊の雄大で豊麗な、柔らかさと強さとの抱擁し合った、円満そのもののような美しい像」と表現しました。そして、その美しさは「われわれがギリシア彫刻を見て感ずるあの人体の美しさではない。ギリシア彫刻は人間の願望の最高の反映としての理想的な美しさを現しているが、ここには彼岸の願望を反映する超絶的なある者が人の姿をかりて現れているのである」として、その美しさの根本にある宗教的本質を言い表しています。
また、岡倉天心は、若い学生を前にしてこういうことを言ったそうです。 「薬師寺の金堂三尊を、まだ拝んだことのない人は、幸福である。あの三尊を拝して受ける最初の大きな感激を味わう機会がのこされている。」と。

 

奈良・興福寺東金堂 薬師三尊像

興福寺東金堂は聖武天皇が先の天皇である元正天皇の病気平癒のために神亀三年(726年)に建てられました。以来、6度の火災焼失を被り、今の東金堂の建物は室町時代の応永二十二年に再建されました。
現在、東金堂には薬師如来座像を中心として左右に日光、月光菩薩が置かれ、更にその外側に十二神将がそれぞれ六体ずつ左右に置かれています。また、須弥壇の四隅には四天王が配されています。更に薬師如来と日光、月光菩薩の間には文殊菩薩と維摩居士が置かれています。
薬師如来は東金堂再建時に鋳造されたもので、日光、月光菩薩は山田寺から文治三年(1187)年に移されたものと言われていて、白鳳時代の作と考えられています。また、文殊菩薩と維摩居士と十二神将は鎌倉時代、四天王は平安時代とされ、様々な時代の像が現在では集められています。
また、薬師如来、日光、月光菩薩が重文で、それ以外は国宝に指定されています。 東金堂は聖武天皇、そのすぐ隣にある五重塔は光明皇后によって創建されたことから夫妻和合の聖域として興福寺内で特別な位置を占めていました。

 

奈良・新薬師寺 薬師如来 十二神将

新薬師寺は聖武天皇の眼病平癒祈願のために天平19年(747)、光明皇后によって建立されたとされています。本堂の中に円壇があり、南側を向いて円壇の南端に薬師如来が座っています。そして、その円壇の周囲には十二神将がずらっと並んでいます。
薬師如来は平安前期の作とされ、大きな見開いた切長の目と堂々とした肉感的な体躯が特徴です。また、その体内から法華経八巻が発見されました。
和辻さんは『古寺巡礼』でこう表現しています。 「この薬師像の面相は、正面から見ると香のくすぶり方のせいでちょっと変に見えるが、よく見ると輪郭のしっかりした実に好い顔である。それは横へ回って横顔を見るとよくわかる。肩から腕へかけての肉づけなども恐ろしく力強いどっしりした感じを与える。木彫でこれほど堂々とした作はちょっと外にはないと思う。」
十二神将は本尊の薬師如来よりも古く天平時代の作とされています。 十二神将の後補の一体を除いていずれも国宝に指定されています。

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