| 釈迦如来 |
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釈
迦は言うまでもなく仏教開祖の人物です。その釈迦を表した像が釈迦如来像です。
一口に釈迦如来像と言っても様々な形があり誕生仏、苦行像、説法像、涅槃像などあります。 誕生仏とは、釈迦が誕生した時に一手で天を指し、一手で地を指し、七歩進んで、四方を顧みて「天上天下唯我独尊」言った時の姿を現しています。
苦行像とは、釈迦が出家後、当時のインドにごく普通にあったバラモン教の教義により苦行をしていたころの像で、ガリガリに痩せ衰えた像として表されます。 釈迦は苦行を続けたものの悟りを開けず、苦行を放棄して山から降ります。そして、菩提樹の下に座り瞑想をし、ついに悟りを開きます。 この時に瞑想している様子を表した像もあります。座った状態で両手を足の上でゆるやかに合わせています。要するに座禅の形です。また、この手の形を禅定印といいます。 手の形は〇×印と言いますが、これは仏像の種類を表す上で重要な役割を担っています。 釈迦は悟りを開いた後、しばらくはその境地を一人で楽しんでいましたが、やがて他の人にもその境地を教えたいと決心し、人々の中に入ってそれを説法するようになりました。この姿を表したのが説法像です。 説法像は両手を胸の前に挙げ、人々に手のゼスチャーを交えて話をしているような姿で表されます。左手を内側に、右手を外側に向けているのや両手とも外側に向けているものがあるようです。この手の姿を転法輪印または、説法印といいます。
釈迦如来像で一番多いのは施無畏・与願印の像でしょう。
右手を手のひらをこちら側に見せた状態で肩のあたりまであげ、左手を同じく手のひらを見せて下に降ろしています。右手の形を施無畏印、左手の形を与願印といいます。施無畏印は、不安の除去、与願印は願いをかなえることを意味します。本来の仏教は自らが修行することによる悟りへの道を追求する宗教でした。これが、西暦紀元1世紀に起った大乗仏教運動により、厳しい修行による自分自身の悟りだけではなく、こうした修行のできない多くの一般の人をも幸せにしようという利他をも範疇に入れた宗教へと変わっていきます。与願印に見られるような利他の精神はこの大乗仏教の考えによるものです。そういう意味では釈迦が説法をしている姿であるとするのは正しくありません。
また、涅槃像は釈迦が亡くなるときの様子を表した像です。東南アジアではよく見る像ですが日本では画像ではよく表されていて、仏像として刻まれたものはあまりないようです。 |
必見の釈迦如来像
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奈良・法隆寺金堂 釈迦三尊像
中央に釈迦如来、左右に薬王・薬上菩薩が配されています。釈迦如来は中央の壇の上に座り、肩からかけている衣は壇の下部まで覆っています。三像とも顔が細長く飛鳥時代の作風を表しています。
釈迦像の銘文にはだいたいこのようなことが書かれているそうです。
「推古29年の12月に、聖徳太子の母、間人(はしひと)皇后が亡くなり、その翌月の22日に太子が発病され、さらに看病疲れからか妃の膳菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)も病に倒れて多欄で病床につかれた。そこで王后王子および諸臣が発願して釈迦の像をつくり、その願力によって転病延寿を祈り、長く世間に安住されんことを願い、またもしこれが定められた業で世を去られるならば、早く浄土に往生されて仏果を得られんことを願ったが、2月21日にまず妃が、つづいて太子が翌日に亡くなられた。翌年の推古31年の3月半ばになって、件の釈迦像は完成されたが、作者は司馬の鞍作部の首(おびと)、止利仏師である」(『大和古寺巡歴』町田甲一より要約) |