古佛の穴

弥勒菩薩
勒菩薩(みろくぼさつ)とは、釈迦入滅後、五十六億七千万年後にこの世に下生(げしょう)し、人々を救済してくれるほとけです。それまでは天上高いところにある兜率天(とそつてん)で菩薩として修行し、天人に説法をしています。下生後は、如来として人々を救済することになるのですが、これを弥勒仏(みろくぶつ)または弥勒如来と呼びます。弥勒如来の登場のときには、この世は病もなく、人々の心は豊かで言葉の違いもない理想の社会になっているとされています。
ところで、どうして五十六億七千万年後という途方もない未来に下生するほとけを仏教は考え出さなければならなかったのかという疑問が浮かんできます。
弥勒菩薩 釈迦入滅後の千年間を、正法時代といい、仏の考えは厳然と存在し、これによって修行も十分にでき、悟りも開くことができます。ところが、その次の千年間は像法時代といい、この時代は修行は十分にできるが、悟りをなかなか得られなくなってきます。さらにその次の時代を末法時代といい、この時代は修行もできず、自力で悟りを開くものもいなくなる時代と考えられました。末法に入ったと言われたのは、日本では平安時代中期で、この時代あたりから他力での悟りを求める信仰が盛んになっていきました。 他力信仰の一つは阿弥陀信仰で、もう一つがこの弥勒信仰でした。もちろん、末法思想が流行る前からどちらの仏も信仰されていて、特に日本に仏教が伝来した頃、弥勒菩薩像は頻繁に日本に入ってきていました。日本でもこの像が多く作られました。
自力で悟りを開く人が現れないということは、俗人にとって救いを求め、教えを乞う相手が地上に生まれないということを意味します。釈迦が生きた世の中であれば、釈迦に救いを求めることができました。それに相当する人は末法に入ると出てこないということなのです。地上にいないのなら、空の上に存在する悟った存在を信仰しよう、ということで出てきた信仰が他力信仰です。
弥勒を信仰する人にとっては、末法時代が終わるのは五十六億七千万年後の弥勒の下生ということになります。 現代人であれば、五十六億七千万年後といったら、自分は死んでいるんだし、関係ないと思うはずです。しかし、この当時の人にとって、それはまったく無関係な未来の話ではなかったのだと思います。それは、輪廻転生という考えとそして地獄という思想があったためです。今、救われなくても、弥勒の下生時に、自分が何に生まれ変わっているのかわからないが、せめて、その時に救われればと考えたのだと思います。あるいは、地獄の血の池に浮かんでいるかもしれないが、それを弥勒に救って貰いたいとも思ったことでしょう。
平安時代、こんな歌を作った人がいました。
「この世をば わが世とぞ思う もちづきの 欠たることも なしと思えば」
これは、藤原道長の歌です。この世を自分のままに動かしたこの人も、ただ一つ思いのままにならないことがありました。それは「あの世」のことです。 自ら血書した法華経を銅の経筒に入れ、吉野の金峯山(きんぶせん)に埋めました。金峯山は、当時、弥勒浄土と考えられていました。この経筒は、弥勒下生のときにいち早く見つけてもらい、救われることを祈念したものだと言われています。
輪廻転生を信じた人々にとって、五十六億七千万年後とは、案外それほど先のこととも思っていなかったのかもしれません。

 

必見の弥勒菩薩
京都・広隆寺

広隆寺は、太秦の地にある古刹です。平安京が京都に遷都する前から、京の地の豪族・秦氏の氏寺として存在しました。この寺に国宝第一号の弥勒菩薩像があります。新霊宝殿の中央にその像はあります。台に腰掛け、右足を左足のももの上に組み、組んだ右足の上から持ち上げた右手の指を頬にそっと付けた像です。これを半跏思惟像といいます。その顔には、まるで楽しい夢でも見ているかのような、幸せそうな微笑みを浮かべ、その美しさは多くの人が絶賛するところです。この像の隣には、もう一体の半跏思惟像があります。同じかっこうをしているのですが、泣いているような顔付きをしていることから、泣き弥勒と呼ばれています。これと区別するために、国宝第一号の弥勒菩薩像は特に宝冠弥勒と呼ばれます。

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