白 煙 2

 

【dimanc^o 〜日曜日〜】

 まだぼうっとした頭のまま台所へ入って、私は立ちすくんだ。
 時間をずらしたつもりなのに、寝不足の原因がクロワッサンにかじりついている。
 どこかの土砂崩れだとかが起きて正太郎くんはそのまま戻らず、昨日は顔をあわせずにすんだ。でもそれがかえってやたら暗い考えを増幅させて、私はもう二度と正太郎くんと気やすく話したりできないんじゃないかというくらいに落ちこみきっていた。
「おはよう。ねぼすけさん」
 正太郎くんが、笑った。
「一日テニスにつきあえって云ってたくせに。もう十時だぞ」
「……ちょっと、ね」
 なんだか気がぬけた。
 弱々しい私の言葉に、正太郎くんが首をかしげる。
「ひょっとして、具合悪い?」
 ただ首をふってみせると、不思議そうな顔をしている。昨日までと何も変わらないのに、別のひとみたいに思えて……。こいつに比べたら、宇宙人のほうがずっと理解できそう。
「正太郎くん」
 隣に腰掛けて、私は正太郎くんに顔を寄せた。
「ねえ。私になにか話すこと、ない?」
「……え」
「いいわ。なんでもない」
 やっぱり頭が働いてない。こんなところで教えてくれる話じゃない。ほらママが来た。咳払いをしておとなしく座りなおすと、ママが笑う。
「我が家のお嬢さんは、ずいぶん早起きねえ」
「寝る子は育つ、って云うじゃない。それに正太郎くんだって、いま朝食なんでしょ」
「ぼくはさっき帰ってきたとこ。ひと晩ねむれて十時起きなんて、うらやましいよ」
 からかうように云う正太郎くんは、でもすこし疲れた様子で、なにも返せなくなる。あれから徹夜だったんだ。
 でも私だって寝てないんだから。いろいろいろいろ考えちゃって、ほとんど一睡もできなかった。そう云えるわけもなく、ただ黙っておく。
 なにも、いつもと変わらない朝。
 布団のなかで必死で振り払った襲いかかってくるような不安は、嘘みたいに薄らいでいた。正太郎くんのどこがあんなに恐かったのかしら。私は不思議な気分で、こっそりと息をついた。

 ふたりともテニスなんかしたら倒れそうだったので、私は正太郎くんを散歩に誘った。芸がないけどこういうときにはゆっくり話す場を作ればいいのよ。うん。前向きね。
 正太郎くんの秘密はまだはじまったばかりで打ちあける間がなかった説、に私はすっかり傾倒していた。とにかく、なごやかな雰囲気作りを目指してみる。
「いい天気、ねえ」
 正太郎くんが笑う。
「なんだよ。なにか相談でも?」
「べ……、別に。いい天気だからいい天気ねって云ってるんじゃない」
 ぷん、とふくれて、小さな雲が薄くちらばった、まぶしい青空を見上げる。
 正太郎くんはけっこう細やかに人の心を読む。気の使いすぎってイライラすることもあるけど、それが女の子といるみたいに心地よくもあった。
 やわらかい芝生をふみしめて、つらつらとした思考をふり払う。
 単刀直入。そう決める。話してもらえさえすれば、それで万事解決なんだから。
「正太郎くん」
「ん?」
「あのね。このごろの正太郎くん、なんだか変よ」
「え?」
「最近、なんか……、変わったことなかった?」
 一瞬だけのぞいた驚いたような顔を、私は見逃さなかった。でも正太郎くんはすぐふざけたように考え込んでみせた。
「変わったこと、ねえ。……べつにないけどなあ」
「……そう」
 しゅんとした私をなぐさめるように、正太郎くんはあわてて昨日の現場の話なんかをはじめた。私が拗ねると、やさしく気遣ってくれる。それはいつもと変わらない。
 こんな青空の下で悩んでるのが、なんだか馬鹿ばかしくなってきた。
 正太郎くんが隠しておきたいんだったら、たかが煙草。……まあいいか。
 弟がひとり立ちしちゃって拗ねる姉、なんてサマにならないわ。そのうちいつか話してくれる。きっと。
 そう考えたら、なんだか気が楽になった。
 見晴らしのいい丘に腰をおろして、私たちはいくつもたわいない話をした。そういえば久しぶりだ。こんなにゆっくり正太郎くんと話すのは。なんだかそれだけで満足する。
「それでね、恵子が……。あ、正太郎くん」
「え?」
「恵子、わかるでしょ? 長い髪の」
「よく一緒にいる伊藤さんだろ。1年のとき一緒のクラスだったっけ?」
「そうそう。恵子はね、おとなしくて目立たないけど、眼鏡をとるとけっこう美人で、じつは狙ってる男子が多いのよ」
「へえ」
「ね。恵子のこと、どう思う?」
 ちょっとした、悪戯心だった。
「恵子、正太郎くんの大ファンなんだから。誰よりも尊敬してるの、なんて云って、いつも正太郎くんの話ばっかり」
 口をつぐんだ正太郎くんに、くすくす笑ってしまう。こういうとき正太郎くんはポーカーフェイスだ。照れてるなら赤くなってみせたらいいのに、すましちゃって。
「なんなら、私がキューピット役になってあげましょうか」
「興味ないよ」
 驚いて、正太郎くんを見る。
 投げ捨てるような声だった。
「……なんでよ、性格もいいんだから。つきあってもみないでそんな」
「そういうのは面倒だから、いい」
「めんどう……、って」
 ひどい。よく知りもしないで恵子を切って捨てるようなこと云うなんて、なんだか……、なんだか、らしくない。
 正太郎くんは、あちらを向いてしまった。
「ごめん」
 ため息をつくようにぽつりと云って、それきり黙りこむ。
 わけがわからなかった。こんな軽口、笑ってすませばいいことじゃない。
「まあ……、正太郎くんは、いそがしくてデートどころじゃないわよね」
 でもまだ私は、正太郎くんがただふざけているだけのような気もして、なるべく明るい調子で切りだした。
「まあ、まだ想像できないかしら。正太郎くんだって、将来は好きな人ができて、結婚して、子どもが生まれたり、きっとしちゃうんだから。そのときになって、しまったと思ったって……」
「ぼくは、そんなふうにはならない」
 ぼうぜんと、生まれてはじめて見るような、つめたい横顔をみつめる。
「……ならないって、そんな、決めつけなくても……」
 声がかすれる。
 おかしい正太郎くんをつかまえた。そんな緊張に身がすくむ。
「ひとりのほうが楽だ」
 …………え?
「マッキー、そんな話がしたかっただけ? ぼく、すこし休むから」
 正太郎くんは勢いよく立ち上がり、振り向きもせず、そのまま丘を下って行ってしまった。その背中が見えなくなるまで、金縛りにあったように動けない。
 なに?
 風に髪をなぶられながら、やっとのことで立ち上がる。
 ひとりのほうが……、ラク。
 それって、どういう意味?
 なにを云いたかったのか、なんで怒ったのかわからないまま、私はあわてて追いかけた。
 一緒にいて安心できる、あのおだやかな親友はどこへ行っちゃったんだろう。いつの間に、こんな謎だらけの怪物になっちゃったのよ。

 丸太小屋の手すりに手をつき、息をととのえる。深呼吸して、ゆっくり階段を登り、扉に手をかけると……。
 鍵がかかっていた。
 泣きだしたいような心地で裏手にまわり、青いカーテンで閉めきった窓ガラスをたたいてみる。返事はなくて、もう一度。ぜったい、いるはずなのに。
「正太郎くん」
 大声で呼んでみる。
「どうしたの? なに怒ってるのよ」
 どう考えても理不尽な仕打ちだと思うけど、怒るよりもただ悲しかった。
「ぜんぜんわけがわからないけど、私が悪かったならあやまるわ。だから出てきて!」
 声がゆらがないように気をつけて、やっとそれだけ云う。でも、やっぱりいらえはなかった。しばらく待ってみて、仕方なく窓から離れる。
 とぼとぼ歩きだすと、涙があふれてきた。
 ひとりのほうが、いいって。
 楽だって?
 正太郎くんは、ずっとそんなふうに思ってたのかしら。
 笑顔の影で、そんな他人扱いされてたなんて……。私は親友のつもりで、まとわりつかれてさぞかしいい迷惑だったんでしょうね。居候の身だから、猫かぶっていい子のふりをしてたってわけね。
 立ち止まって、涙をぬぐう。
 一緒に過ごしてきた時間が、そんな想像は滅茶苦茶だと保証してくれる。けどあんなふうに云われたら、なにを信じていいのかわからなくなるじゃない。正太郎くんは変わってしまった。それだけは、確かなことに思えた。
 ひょっとして。
 ふと、鉄人の顔が浮かぶ。
 正太郎くんは、鉄人さえいればいいのかもしれない。
 はじめはどうして正太郎くんなのかと妬ましく思ったこともある。だけどときには学校もろくに行けない正太郎くんを見てきて、すぐ私にできることじゃないと納得した。正太郎くんにとって鉄人は、お父さんの形見、分身みたいなもので、一緒にいるのがあたりまえで。だから夜昼となく起きる事件に文句も云わず出掛けていく。ほかのだれでも、きっと正太郎くんみたいな鉄人の相棒にはなれないに違いない。正太郎くんは鉄人のためだったら、自分のなにもかもを惜しみなくそそぎ込んで、それで当然と思ってる。
 言葉にして云うわけじゃないけど、家族同様に暮らしてる私たちだって、鉄人の存在には負ける。正太郎くんとつきあう人は、そういう敗北感のような淋しさを感じてる。きっと、みんな。
 つまり、正太郎くんにとって私たちはさほど存在価値もなくて、だから、ひとりがいいなんて、平気で……、云えるの?
 悲しい気分は、だんだん怒りに変わって、私は頬の涙を強くぬぐった。

 夕食抜きで部屋に籠城していた私を、十時をまわったころ、パパが訪れた。
「喧嘩してるんだって? めずらしいじゃないか」
 のんきに云うパパをにらみつける。もとはと云えばパパが約束を守ってくれさえすれば、こんなことにはならなかったのに。
「お仕事、お疲れさま」
「ああ……、いや、ほんとにすまなかったねえ。あんなに約束したのに」
「もうそれはいいわ。パパ……、正太郎くんは、変よ」
「そうかい?」
 ゆっくり、パパがベットに腰掛ける。
「どう変だと云うんだい」
「ちょっとからかっただけなのよ。恵子と……、パパも知ってるでしょ。あの子とつきあってみたら、って話したら」
「……ほう」
「面倒だからいい、って。正太郎くんは、ひとりのほうが楽だなんて云ったのよ!」
 パパの驚いた顔に、嫌な気分で口をつぐむ。これじゃ告げ口みたい。
 しばらく考えこんでいたパパが、うなずいた。
「なるほどね」
「なにがなるほどなのよ。ひどいでしょ? 私、正太郎くんがそんなふうに考えてたなんて思わなかった」
「まあ牧子、おちつきなさい」
「パパはおちつきすぎ。のんびりかまえてたら正太郎くん、どんどん変になっちゃうんだから!」
 さすがに煙草のことは云えなかった。いろんなことがぐちゃぐちゃに浮かんできて、また涙腺がゆるみだす。パパは、私の髪をゆっくりとなでて、息をついた。
「わたしも心配しているんだよ」
「……え」
「正太郎くんはどうも、まわりの人を遠ざけようとしているようだ。このところ特にね」
「パパ」
 私がはじめて知った正太郎くんの心の闇を、パパは前から気づいていたのか、困ったように微笑った。
「誤解しちゃいけないよ。あの子は私たちを嫌っているわけじゃない。ただ心配なだけなんだ」
「しんぱい……?」
「牧子はそろそろ、夜遊びがしたい年頃なんじゃないかな」
「は?」
「中三ともなると、友達だけでコンサートに行くなんて珍しくないって、このまえ父母会で聞いてね。女の子は特に多いそうじゃないか」
「それがなによ。……私はべつに、門限六時に不満なんかないわ。それと正太郎くんとなんの関係が……」
 夜遊び。ひょっとして、煙草の話につながるんだろうか。私は緊張してパパの顔をみつめた。
「だからね。牧子はふつうと違った制約を受けているわけだろう」
「制約?」
「門限もそうだし、この屋敷以外ひとりで出歩かないとか、出掛けるときはかならず連絡先を残すとか」
 話は意外なほうへ転がった。
 ふつうと違う、制約。
「……鉄人?」
 私はおもわずパパの腕をつかんだ。
「正太郎くんは、鉄人がいるから、危険にさらされる人を増やしたくない、って……、そう云いたかったわけ?」
「たぶんね」
 おだやかなパパの顔を、ぼうぜんとみつめる。
 ひとりで出歩かないなんてことはもうすっかり習慣になってて、負担に思うこともなかった。この家も厳重に警備されている。誘拐等々の危険を避けるために、鉄人のまわりの人間が行動の制限を受けるのはとうぜんのこと。人質を盾に鉄人をよこせ、なんて云う悪者はこれまでだって何人もいたんだから。
 だから……、たとえば、正太郎くんの恋人、なんて云ったら、きっともっとずうっと気を遣わなくちゃいけないわよね。
 鉄人がますます重要になってきたこのところの一歩遠ざけられているような感じは、正太郎くんが私にまで気を遣って、意識して作っていたのかもしれない。そんなこととは思いおよばず、私はのんきに彼女を薦めたりして。……だからあんなに怒った。そうなの?
 我ながら亀のようにのろい思考にあきれる。
 ひとのことばっかり考えて、ぜんぶひとりで背負いこんで。
 正太郎くんはなにも変わってなんかいなかった。
「……馬鹿ね」
 白い煙を吐きだす、ひとりぼっちの正太郎くんの姿が浮かぶ。
 じゃあ、あれは孤独をまぎらわすため?
「だけどパパ。しっかりしてるようにみえても、正太郎くんはまだ子どもなんだから……、ひとりにしてちゃ駄目よ」
「そうだね」
 深い息をついて、パパは立ち上がった。
「なら、ちょっと様子をみてくるとしよう」
「私も行く」
「もう遅いよ。明日の朝ぜんぶ話してきかせるから、今夜はやすみなさい」
 のんびりとした笑顔で、パパは部屋をでていった。

 ちょうど寝室の窓が開いていて、カーテン越しに灯りがもれている。
 ねえ。これって、いわゆる立ち聞きってやつじゃないかしら。部屋に戻ったほうが賢明だと思うんだけど。
 良心の声を聞き流しつつ、窓の下にそっと近づく。
「……ちょっと」
 正太郎くんの声に、心臓がはねあがる。
「やつあたりみたいに、なっちゃって」
 嘘みたいにおだやかな、いつもの声。身体中から力が抜けて、丸木の床にずるずると座り込んでしまう。
「牧子は怒ってないよ。きみのことを心配していた」
 そう。その調子よパパ。
「それで、喧嘩の原因はなんだい」
「もう聞いてるんじゃないですか?」
 苦笑めいた正太郎くんの声。
「まあ、……すこし、ね」
 パパも笑う。
 やっぱり、パパにまかせておけば大丈夫か。
 なごやかな雰囲気に安心して、膝を抱えて星空を見上げる。
 ちいさい頃から、私は超のつくファザコンで、将来パパのお嫁さんになる、ってみんなに云ってまわったらしい。今でも大好きだけど、パパは私を愛してくれるのと同じくらい、ときにはそれ以上じゃないかって妬きたくなるくらい、正太郎くんを大切に思ってる。正太郎くんはものすごくパパを尊敬してるし、もうふたりの仲のよさったらないの。私も男に生まれたらよかった。そう、ちょっとくやしくなるくらい。
「正太郎くん。もしも、わたしが死んだとしよう」
「え……?」
「まあそれは順当な話だからね。いいかい。それでも、きみを愛する人はまわりにきっと大勢いて、みんなから受けた愛情を、きみが誰かにそそぐ日もかならず来ると思うんだよ」
 パパはまっすぐ切り込んだ。どんな顔してるのかしら。正太郎くんは黙ったままだ。
「そういったことを、きみが恐れるのもわかる」
 パパがひとつ息をついた。
「きみは……、わたしや牧子が、いないほうがいいと思うことがあるのかい?」
 考える必要なんてないはずの問いに、沈黙が続く。
 ちょっと!
 おもわず立ち上がったとたん、いえ、とちいさな声がして、またへなへな座り込む。
「マッキーが怒ったのは、ぼくが、……ひとりのほうが楽だって、云っちゃったからですよね。でも本当に、そんなふうに思うことはあります」
「正太郎くん」
「ぼくは、……お父さんを殺したあいつを、許せません。これはきっと一生、消せない気持ちです」
 それきり正太郎くんは黙ってしまった。
 ええと。
 どうして、金田博士の話がここで出てくるのかしら。
「正太郎くん?」
「昨日……、警部にお願いして、太田さんの家へ行きました」
「行くなと、云ったはずだ」
 パパの声色が変わった。
 おおたさん、って、誰だっけ。
「一年、たったんだなって。あの子を見たら、実感が……、わきました」
 ひどく、ゆっくり。ひとことひとこと、しぼりだすような正太郎くんの言葉に、パパは無言。
「まだなにも、わからないから。ぼくに、笑ってくれて」
「……正太郎くん」
「幸子さんとは、また、話はできませんでした」
「まだ亡くなって一年だ。誰でもいいから恨まずにはいられないんだよ」
 そうだ、太田さん。
 大塚警部の部下で、去年亡くなった人が、たしかそんな名前だった。
 子どもが……、生まれたばかりだった、って。犯人が銃を乱射して、正太郎くんを守って。
 やっと話がつながった。
 さちこさんっていうのが、太田さんの奥さんで、正太郎くんを恨んで口をきいてくれない、ってことなのね。
 まっすぐな正太郎くんの思考は、手に取るように想像がつく。
 悪いのはどう考えたって撃った犯人じゃないの。正太郎くんが責任を感じて、責められに行く必要なんか、ないでしょ?
 鉄人の操縦を完璧にするために正太郎くんがどれだけ努力してるか、どれだけ色々なことに気を配ってるか……。
 そんなになにもかもひとりで背負って、どうするのよ。
 視界がうるんで、目を閉じる。
「ぼくが、あの子の父親を奪ったんです」
「ちがう」
「馬鹿みたいになにもできなかった、あの瞬間のことは、……きのうのことみたいに、はっきりおぼえています。太田さんは、ぼくがいなければ……」
「きみが何もかも責任を負う必要などない」
 怒って……、るわよね。低い、パパの声がさえぎる。
「何度も話しただろう。彼が死んだのは、きみのせいなんかじゃない」
 強い口調は、でもすこしふるえてる。
「きみはひとりじゃないだろう。警部も、わたしも……、たくさんの人が、きみを仲間として支え、支えられて、一緒にやってきたんじゃないか。きみがあのときいてくれなければ、もっと多くの犠牲者がでていた。もし、きみが鉄人とあの場所にいたことが責められるというなら、そもそも責任を負うべきなのは、きみに鉄人を預けたこのわたしだ」
「……それは、ちがいます」
「ちがわない。きみはもともと無茶をするが、彼の死のあと単独行動ばかりするようになったと、警部も心配しているんだよ」
「そんなことは……」
「きみが警護を遠ざけていたいなら、それもしばらくはいいと思っていたが、九月が近づくにつれ、きみはますます不安定になっていくようにみえた。だから、わたしは行くなと云ったんだ。わざわざ命日に会っても、お互いつらいばかりじゃないか」
「……でも」
「正太郎くん。きみの望みは、どこか山奥にひとりで住んで、何かあったときだけ出てくればいいというようなことなのか? 救えなかった命を悔やむのはいい。だが、きみひとり犠牲になればすむというような考えなら、もうきみは誰も救わなくていい。鉄人をわたしに返したまえ」
 怒濤のようなパパの言葉に、思考がついていかない。鉄人を……、え?
「鉄人は欲しがる連中にくれてやる。兵器になろうがなんだろうが、きみの人生を台無しにするより遥かにましだ。わたしはそんなつもりで鉄人を託したんじゃない。さあ!」
 怒るということがそもそもパパはめったにない。だから、パパの憤りは、痛いくらいよくわかった。
 身体がふるえる。
 張りつめた空気のなかで、正太郎くんもきっとぼうぜんとしているに違いなかった。
 泣いてるのかと一瞬思った正太郎くんのおさえた声は、でも、なんか、……笑ってる?
「おい、正太郎くん」
「すみません。でも、博士があんまりめちゃくちゃ云うから」
「わたしは本気で云ってるんだよ」
「はい。……ありがとうございます」
 正太郎くんの声は、でもゆれていた。泣きそうなのを、こらえてるみたいに。
「あのことは、ぼくの力が足りなかったから起きたんです。だから、ぼくはお詫びし続けなくちゃいけないって思っています」
 パパが、ため息をつくように弱々しく、また正太郎くんを呼ぶ。
「そうですね。ぼくはたしかに、警護のひとを遠ざけていました。……怖かったんです。これって、まわりを信頼していない、ひどい態度ですよね」
「みんな、ちゃんとわかっているよ。しかし無闇にきみだけを危険にさらすわけにはいかない。すこしずつ、努力してくれないだろうか」
「……はい」
 ちょっと間をおいて、正太郎くんは深い息をついた。
「博士。すみませんでした。ぼくは……、みんながいてくれるから頑張れるし、それに、ひとりじゃないってことも、よくわかってます。ちゃんと、わかってますから」
 正太郎くんの、その言葉をかみしめる。
 涙がこぼれた。
 正太郎くんは、どうしてこんなに強いんだろう。悲しい出来事にもちゃんと向きあって、そのひとつひとつにこんなに捕らわれて、それでも頑張れるなんて。私ぜんぜん負けてる。素直に心の底から、正太郎くんを尊敬した。
 頬をぬぐい、もう滅茶苦茶に抱きしめてあげたいような衝動がつきあげるまま立ち上がると、ひらめくカーテンの隙間から、パパが正太郎くんを抱きしめているのが見えた。
「は……博士」
 正太郎くんが小さな子どもみたいな顔でうろたえている。頭をぐりぐりしちゃって……、パパはいつまでたっても私たちを子ども扱いするんだから。笑いだしそうになって、あわてて口を押さえる。
「わたしはね、ほんとうに、きみを誇りに思うよ」
 どこから見ても、ふたりは完璧な親子だった。
 ぽんぽんと背中をたたいて、パパがやっと正太郎くんを解放する。
「正太郎くん。すまなかった」
「え?」
「きみを守ろうとして、わたしは結局、きみを押さえつけて安心していたんだね。きみの選んだ答えを、もっと信じるべきだった。ゆるして欲しい」
「博士、そんな……」
 パパは真面目な表情をといて、微笑んだ。
「わたしは何が起きようと、きみの味方だよ。……きみがもし、世界征服を思い立ったら、そのときは真っ先に参謀役に立候補するからね」
 にっこり笑って……、パパの冗談って、怖いわ。
 正太郎くんは困ったような照れたような笑顔をみせた。
「そういうときは、とめてください」
 ふたりでひとしきり笑って、それから、パパはあらためて正太郎くんを見た。
「しかし……、牧子もそうとう鈍いな」
「えっ」
 は?
「あれは歌子似なんだよ。……あれもその昔は、」
「は、はかせ」
「ちょっと、だれが鈍いのよ!」
 窓から身をのりだして叫んだ私に、あぜんとした視線が集まる。
 ……しまった。
「牧子」
「ご、……めんなさい。あの、聞くつもりじゃ、なかったん、だけど……」
「じゃあこんな時間にそんなところで、なにをしていたんだい」
「そ、それは……」
 パパがやってきてカーテンを全開にする。
 うつむいたまま視線を送ると、正太郎くんがあわてて目をそらす。なんなのその困ったような顔は。
「あの……パパ? なんか、マキコさんの話題がでていたようですが……」
「部屋にもどりなさい」
「え、だって」
「牧子」
 有無を云わせない調子に、私は飛び上がった。
「わかったわよ、おやすみなさい。パパの意地悪!」
 舌をだして退散する。まったくしようのない子だ、というパパの声が、最後に小さく聞こえた。

 ひどいわ。まったく、どこの誰が鈍いっていうのよ。どういう脈略でそんな話が……。
 ふと見上げた、星空のちょうど中心に、明るい満月が浮かんでいた。
 いままでちっとも気づかなかった。
 足をとめて、ながいながい息をつく。
 ……よかった。
 正太郎くんは、大丈夫。変だったのはみんな、太田さんのことがあったからだったのね。
 おもわずぎゅっと、こぶしを握りしめる。
 私、ぜんぜん、わかってなかった。
 命を落としかねないような危険。頭ではわかっていても、それを正太郎くんが幾度も体験してきたという現実を、私はすこしも理解していなかった。
 正太郎くんが生きてるのは、たくさんの幸運と、たくさんの人が守ってくれたから。
 一年前、もし正太郎くんが撃たれて、死んでいたら。
 それは身がすくむような想像だった。
 今ごろ私は、正太郎くんを守れなかった太田さんを恨み殺してたかもしれない。そうじゃなくて……、よかった。そんなふうに思ってしまう私は、ひどい自分勝手だけど。
 ごめんなさい。
 それに、ありがとう。
 空のかなたに深い感謝をささげて、息をつく。
 歩きだそうとして、おもわず目をつぶる。
 サーチライトの光。
 かん高いブレーキ音とともに目と鼻の先で急停車した車から、あわてたように大きな人影が降りてくる。
「怪我はないな! ……マッキー、こんな夜中にいったいどうしたのかね」
「……け、警部こそ。こんな時間になにか事件でも?」
 でも大塚警部は私服姿で、車もパトカーじゃない。
「いや仕事帰りでな。博士が帰ってきとるそうじゃないか。ちょっと直接、詫びを入れねばならんことがあってなあ」
 詫び、って……、きっと土曜日のことね。
「ああ。なんかパパ、すごーく怒ってたわよ」
「や、やっぱり」
「うそ。いま正太郎くんのとこだから、のぞいてみたら?」
 警部はやれやれと云って額の汗をぬぐい、ちょっと迷うように私を見た。
「マッキー。その……、正太郎くんは、元気かな」
「あら朝まで一緒だったんでしょ」
「いや……、その、昨日は一日、たいへんだったものでな」
 おろおろしている警部がおかしい。正太郎くんに頼まれたら警部が断れるはずがないって、そんなのパパもよくわかってる。
 遅くまで残業して、それでも心配で来てくれた。警部はほんとに優しい人ね。
「大丈夫よ。正太郎くんは強いんだから」
「なんだマッキー、知っとるのか」
「ほら、はやく行って。正太郎くんの睡眠時間がどんどんなくなっちゃうわ。明日は学校があるんですからね」
「わかっとるよ」
「じゃ、おやすみなさい」
 大塚警部に手をふって、私はまた母屋のほうへ向かう。
 背中でエンジンがかかった。
 パパも警部もあんなに心配して、正太郎くんは無理矢理元気にならなきゃいけないような気にならないかしら。そんな心配をしたくなっちゃう。
 ひとりでクスクス笑って、見上げれば、月はさっきよりいっそうきれいに、夜空に輝いていた。

 

戻る    次へ