太陽の使者 鉄人28号 〜 SS 〜

      白 煙

 


 

【sabato 〜土曜日〜】

 おかしい。
 聞き分けが良すぎて損ばっかりしてるのは今にはじまったことじゃないけど、最近のあいつは、なに考えてるのかさっぱりわからない。
 いつからかしら。あの大人みたいな、あいまいな笑顔をみせるようになったのは。
 もう顔も見たくない。会えばきっと、なにもなかったような顔をされるに決まってる。
 嗚呼もう、どこかで大事件でも起きないかしら。
 不謹慎なことを考えながら、まだ続いているママのお説教に、私はそっとため息をついた。

 ことの発端は、パパの出張だ。
「だって……、ひと月前から決まってたのに。ママ!」
「ごめんなさいね、牧子。どうしても行かなくちゃならない、急なお仕事なんですって」
 困った顔をしてはいても、旅行の中止をもうすっかり決めつけているママをにらむ。
 仕事。このひとことでいったい何度、約束を反故にされてきたことか!
 おもいきり不機嫌な私に、ママはききわけのない子ねって視線を落とす。
 ほんとうにひさしぶりの家族旅行だったんだから。今度こそぜったい大丈夫だって太鼓判を押していたパパは、朝一番の飛行機でヨーロッパに消えていた。詫びのひとつもなしに!
 この大人の横暴に異議を唱えるくらいはしたくて、私はマグカップを傾けている正太郎くんを見た。
「ちょっと。正太郎くんも文句くらい云いなさいよ」
 同志は私を見て、面倒くさそうに肩をすくめた。
「仕方ないよ」
 ほっとした顔をしてママが朝食を片づけはじめる。正太郎くんに送った感心感心という視線も、しゃくにさわった。
 ええ、わかってたわよ。
 正太郎くんは、パパの決めたことに逆らったことなんかないんだから。
 けど、すこしくらい悲しんでくれたっていいじゃない?
 残念だったね、のひとことくらいあってしかるべきじゃない?
 仕方ないですべて終わらせるなんて、ずるい大人みたい。親が約束をやぶったら、すねて怒るのがまっとうな子どもの姿じゃないの?
 そう。正太郎くんはぜんぜん子どもらしくないのよ。自分がなくって、いつもいい子で大人の云いなり。ときどきほんとに馬鹿みたいって思う。
 怒りの矛先がすっかり正太郎くんに向いてしまった。
 スープを飲み干した正太郎くんと目が合う。私が心のなかでののしってることも全部わかってるみたいに、しょうがないなあって笑みを浮かべて席を立つ。
「なに……よ」
 泣きそうになるくらい一瞬で頭に血がのぼって、私は感情のまま怒鳴りつけていた。
「正太郎くんだって楽しみにしてたじゃない。がっかりした顔くらいしなさいよ!」
「え、ごめん」
 驚いた顔で、正太郎くんがまばたきをする。
「あやまって欲しいんじゃないわ」
「なんです牧子。正太郎くんに当たらないのよ」
「ママは黙ってて。いいの、こいつには感情なんてないんだから」
「牧子!」
「命令よ。正太郎くんはあした一日テニスにつきあうこと。インターポールが呼んでも行っちゃ駄目なんだから」
「りょーかい」
 困ったような笑みで、まるで子どもをあやすような調子で云って、正太郎くんは部屋をでていった。
 ちっとも了解なんかしてないくせに。何か起きれば、迷いもせず行っちゃうくせに。
「牧子」
 本気で怒っているママの声を背中に聞きながら、私は閉ざされた扉をにらみつけていた。

 べつに、嫌いってわけじゃない。
 このごろのうわの空って態度とかそっけなさに、腹が立つだけ。
 物心ついた頃からずっと一緒に育ってきた幼馴染みは、最近すっかり変わってしまった。それが淋しくて、遠くに感じる距離がもどかしくて、イライラする。たぶん、そう。
 金田正太郎と云えば、世間じゃ超有名人だけど、いまさらなんで距離を感じたりするのかが自分でもよくわからない。
 閉めた扉に背中をあずけて、天井の木目を見上げる。
 この離れにだって、私はずっと自分の部屋同様に出入りしてきた。正太郎くんは鍵をかけないし、勝手に入るなと怒ったこともない。けっこう無精者だから放っておけば悲惨な状態になる部屋の掃除は、もっぱら私の役目になっていた。
 今朝のことでまだむしゃくしゃした気分はあったけれど、大塚警部に呼ばれたとかで正太郎くんが出掛けてしまったのを幸いと、こんな日にも足が向いてしまう私って、なんて親切なのかしら。
 そんなふうに考えてみても、気分は盛り上がらなかった。
 この部屋へ、ひとりで入るとき感じる、ためらい。こんな他人行儀な感情も、以前はなかった。
 机の上に、分厚い本が何冊もちらばっている。頁を開いた途端にあくびをするほど本嫌いだったのに、正太郎くんはいつのまにかずいぶんな読書家になっていた。パパの書斎で本をよんでいる姿を見かけるのは、もうめずらしいことじゃない。
 ひとつ、ため息をつく。
(一緒に住んでるなんて、牧子がうらやましい)
(あたし正太郎くんのお世話だったら、いくらでもするのに)
 恵子たちが騒ぐ感覚は、よくわからない。
 正太郎くんと私は、いわば姉弟みたいなものなのよ。そう。同じ歳でも、正太郎くんはどうしたって弟。小さいころ私の後ろをくっついてまわってた記憶もあるし、いたずらっ子で馬鹿なことばかりして、子どもなんだから、と思うのはいつも私のほうだった。それがちょっと大人びたからって、みんなが抱くような熱狂的な感情はいまさら持ちようがない。それに黙っててあげてるけど、あの寝坊介でぐーたらでいいかげんな性格を知ったら、みんなだってぜったいあきれるんだから。
 なんだかんだ云って、正太郎くんと一緒に暮らしてることを私も自慢に思わないわけじゃなかった。欠点が見えるのも近くにいるからだもの。
 ふと我にかえる。
「なんだって、あいつのことばっかりつらつら考えなきゃならないのよ」
 頭をふって、掃除にとりかかる。
 思いきり窓をあけると、涼しい風が吹き込んでくる。
 ベットにだらしなく放ってあるジーンズのジャケットを拾いあげて、私は手をとめた。
 ポケットから毛布の上に落ちた、キャンディの缶。
 ちょっと古びてみえて、底を返すと賞味期限がとっくに過ぎている。それに、気のせいかと思ったけどもう一度ひっくり返すとやっぱり、金属のような音がする。
 中身はアメじゃないみたいね。
 長方形のフタをポンと外し、なかをのぞいて、私はしばらくかたまった。

 入っていたのは、白い紙の箱。
 それと……、ライター。
 心臓が、ドクン、と鳴る。
 これって…………、たばこ、よね。

 とりだしてみれば箱は開けられていて、減っていることを示すように、カサリと軽い音がする。
 そして、缶の底には、煙草の吸い殻がふたつ。
 いやな臭いが広がる。

 パパは紙煙草が大っ嫌いなパイプ党だし、警部もとっくにやめてる。つまり、忘れ物って線はない。
 じゃあ……、これは、正太郎くんの?
 風にあおられ窓が閉まる。その大きな音に飛び上がって、私はあわてて缶を元通り上着に納めた。それをベットに放り投げ、私はとにかくその場から逃げ出した。

 自分の部屋にかけこんで絨毯の上にへたりこみ、赤いチェックのクッションを抱きしめて、息を整え、やっと思考がもどってくる。
 窓の外。丘の上の小さな丸木小屋を、怖いものでも見るように、そっとうかがう。
 あの正太郎くんがなんだって、煙草なんか……。
 いい子のふりに疲れて、つい?
 いそがしすぎてストレス解消に……?
 それは、まるで異次元の物語みたいだった。
 未成年だからぜったい駄目なんて思わないし、こっそり吸ってる友達だって知ってる。でも、これはぜんぜん、まったく話が違う。
 お酒好きのパパがときどき正太郎くんにつきあわせているのは聞いていた。けど、煙草は……、パパは知ったら止めると思う。だから信じられないのよ。あの正太郎くんが、パパの嫌がるようなことをする、ってことが。これが、いわゆる反抗期ってやつ……、なのかしら。
 ひとり、煙草をくわえた正太郎くんを想像してみる。
 ぜんぜん似合わない。
 でも、もし正太郎くんがどうしてもそうしたいって云うんだったら、百万歩譲ってそれは許したっていい。……だけど正太郎くんが、私に内緒で……。
 それがショックだった。
 昨日つい思い立って、まだ話してくれないだけ? それとも……。
 クッションをまた思いきり抱きしめる。嫌な考えを吹き飛ばしたくて、目の前に迫る怖いものを見たくなくて、私はきつく瞼を閉じた。

 

次へ