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 譜代大名が軒を連ねていたが、主に阿波徳島藩蜂須賀家の上屋敷。数寄屋橋の両側の高速高架は御堀だった。正面の道路は江戸時代に大名小路と呼ばれていた。丸の内三丁目にあった旧因州池田屋敷表門にかつての面影を見ることが出来る。
 駅名は織田信長の弟、茶人であった織田有楽斎の屋敷がこの辺りに有った事による。

旧因州池田屋敷門
旧因州池田屋敷表門
 旧因州32万石池田屋敷の表門、江戸時代は丸の内の大名小路に建てられていた。昭和29年より東京国立博物館の脇に移築した。入母屋作り、門の左右に唐破風の番所を備え、大名屋敷門としては最も格式が高い。
日比谷公園
日比谷公園
 江戸時代は北から長州萩藩毛利家、肥前佐賀藩鍋島家など8家が所在していた。明治維新により屋敷を取り払い広大な練兵場であったが、明治36年(1903)に日本最初の洋式庭園として完成した。園内には都内で最も古いイチョウ並木や増上寺御成門前の桜川架けてあった石橋など多くの史跡がある。

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