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丸ビル前から有楽町駅に至る道は譜代大名が軒を連ねた大名小路と言われていた。八重洲前の外堀通りは御堀で、鍛冶屋橋、数寄屋橋等は枡形御門であったが、今は地名を残すのみです。八重洲は慶長年間に日本に漂着し将軍家に信任された、オランダ人ヤン・ヨースティンの屋敷による。 駅は大正3年(1914)に完成した、空襲により壁面を残して焼失し、屋根の形は原型とは異なります。 |
第3回オフ会開催場所
テーマ:江戸城跡と大名藩邸跡を歩く
皇居外苑が平坦なのは、そこが日比谷入江と言われた所の埋立地だからです。江戸中期以降は幕閣 の役屋敷となり老中、若年寄が屋敷を与えられていました。皇居正門から見る伏見櫓は東京を代表 する景色となっています。かつては西の丸大手門と言われ、大御所の居所として作られました。大 手町の由来、大手門は江戸城の正門であり、伊達政宗がお手伝い普請で築いたものです。下馬の札 が有り、友の者が控えていた場所で、下馬評と言う言葉が生まれました。正面に入ると、警備の厳 重さを感じさせる、鉄砲狭間と言われる穴が沢山あります。東京は関東ローム層で石は一つもあり ませんでしたので、石一つにも将軍家に対する忠心を感じることが出来ます。関西出身の大名は、 領国より御影石を運んだほどです。石垣が屈曲しているのは横から攻撃するためであり、隅には櫓 が立ち並んでいました。本丸に至ると広さには驚かされます。ここの御殿が260年間にわたり、 政治の中心だったところです。松の廊下跡、天守台跡を見て、北跳橋から内堀を出ると、総石垣に 当時の土木技術の高さが分かります