高輪大木戸跡
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江戸の出入り口として、宝永7年(1710)に大木戸を作り、布告を掲示する札の辻も作られた。伊能忠敬の全国測量はここを起点とした。
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泉岳寺
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曹洞宗の江戸三大寺の1つ、浅野家の菩提寺。大石内蔵助の銅像を過ぎ境内にはいると、浅野長矩と赤穂義士の墓所が有り、義士館には鎖帷子、愛用の日用品等の遺品がある。
徳川家康が今川義元の菩提の為に、慶長17年(1612)桜田門付近に創建したのに始まり、火災で焼失したのを、将軍家光が浅野家他の協力で、現在地に再建した。
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大石内蔵助切腹地
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泉岳寺からほど近い、高松宮邸周辺は熊本藩中屋敷の跡であり、忠臣蔵では大石内蔵助他17名の切腹の場所となり、一角が都営高層住宅の裏に整備保存されています。当時は二本榎通り沿いに表門があり、いまでも、周囲を囲んでいた石垣が良く残っています。
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