←大崎 品川駅 田町→
 高輪の大木戸から先は東海道も海岸に沿い、東海道第一の宿場町品川は北品川にありました。また、品川は中世以来の湊で、品川漁師町が有り品川浦と言われ漁村でもあった。付近の大名屋敷は島津藩、筑後久留米藩、熊本藩など外様が多くなります。
 品川駅は品川宿の宿場外れに干潟を埋め立てて築かれた。

東海寺
東海寺
 東海道新幹線と東海道本線が分岐する場所に、東海禅寺の大山墓地があり自然石を利用した沢庵和尚の墓が有ります。沢庵和尚は三代将軍家光の信任が厚く東海禅寺の開祖となった。東海寺を訪れた三代将軍家光が、船に乗ろうとして見送りの沢庵和尚に、問答河岸跡で禅問答を交わしたとされます。
『海近くして如何か是東海寺(遠海寺)』、沢庵答えて『大軍を指揮して将軍(小軍)というが如し』。
品川本陣
品川本陣
 宿場にある旅籠の中で、大名や幕府役人の宿舎が本陣で、東海道では一つの宿場に数件有った。本陣がふさがっている場合は脇本陣を利用した。本陣には門、書院が許されていた。
品川寺江戸六地蔵
品川寺江戸六地蔵
 正徳2年(1712)地蔵坊正元が10年がかりで江戸中からの浄財よって、旅人と江戸市民の安全を 祈願して各街道口に建立した。銅造地蔵菩薩座像、六道(地獄道、飢餓道、畜生道、修羅道、人間道、天上道)をさまよう人々を救うのが地蔵菩薩です。
品川沖の鯨

 利田神社は寛永3年(1626)に沢庵和尚が旧目黒川の河口に出来た大きな洲であった、この地に弁天堂を祀ったのに始まる。鯨塚は寛政10年(1798)に品川沖に迷い込んだ鯨を捉えて埋めた上に建てたものです。当時、この鯨は大変な評判になり将軍もご覧になりました。
 また、文政5年(1822)品川沖で漁師達が長さが20m程の鯨を仕留めた。当時は安房、常陸でよく鯨が来ていて、江戸時代初期に品川沖に鯨がいても不思議はなかった。また、貝塚の調査でも鯨の骨が出土しています。
利田神社
利田神社
鯨塚
鯨塚

第5回オフ会開催地
テーマ:旧品川宿と近隣のまち歩き
◇日時:2002年7月14日(日) ◆周辺の見どころ訪問地◆

home

2002/07/16