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 駅前に見える林が、東京で最も古い大名庭園の旧芝離宮です。幕末は和歌山藩下屋敷、明治に入り有栖川宮邸となり、昭和天皇御成婚記念に下賜されました。
 また、東京ガスの公開空間内に、築地から移築つれた江戸時代の大名屋敷の石垣があります。浜松町の名は元禄9年に遠江国浜松出身の権兵衛がこの辺りの名主となり出身地から名付けた。

旧芝離宮恩賜公園
芝離宮中島

江戸時代は小田原藩主大久保忠朝が作園し「楽壽園」と命名し、その後、清水邸、紀州徳川邸の浜屋敷となりました。泉水は海水を引いた潮入りの池でしたが、今は淡水の池となり回遊式築山泉水庭園となっています。また、中国の西湖の堤を模した石造りの西湖の堤、蓬莱島の石組や州浜、樹齢200年の藤棚など設けられています。

増上寺三解脱門
増上寺

天正18年(1590)、関八州の新領主として徳川家康公が江戸に入府すると、時の住職12代存応上人に親しく帰依し、師檀の関係が出来、徳川家の菩提寺となり、現存する徳川家墓所は、門が本来家宣公の墓前にあった鋳抜き(鋳造)の唐門で内部に各公の石塔と各大名寄進の石灯籠が配置されています。江戸時代は、他に浄土宗の総録所として宗学宗制を統括し、関東18檀林の首座として、境内20万坪、防中寺院48宇の大寺院であった。

江戸時代の石垣
石垣

この石垣は旧芝離宮恩賜庭園の南側から発掘され、築地の護岸用の石垣として用いられていました。江戸時代は永井佐渡守や丹波左京大夫の屋敷あるいは松平越前守陣屋として使用されていた。




第7回オフ会開催地

−−増上寺から麻布十番−− ◇日時 :2002年11月10日(日) ◇参加者:28名 ◇順路 :周辺の名所・旧跡
  • 集合地:午後12:30JR浜松町駅北口改札前→
  • →旧芝離宮庭園→芝大神宮→増上寺大門→増上寺三門→増上寺二天門
  • →増上寺御成門→増上寺境内見学→徳川家墓所→経蔵→方丈黒門
  • →東照宮→家光御手植えの銀杏→芝丸山古墳→芝公園内→宝珠院→赤羽橋
  • →古川→一の橋→善福寺
  • 解散:午後4:00

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2002/12/03