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 江戸時代に水道橋と並んで神田上水の懸樋があったために名前になった。下町が埋め立て地であり井戸を掘っても真水が望めなかったために上水道の設置は幕府の重要課題であった。後楽園から中央大学理工学部に至る地域は水戸藩の上屋敷であり後楽園は庭園の名残です。

後楽園
後楽園
 水戸徳川家に寛永4年(1625)将軍家から小石川の邸地を下賜され中屋敷とし、初代藩主徳川頼房が大徳寺左兵衛に命じて作園、二代光圀の時に完成した。回遊式築山泉水庭園、クマザザの築山を築き、滝を落とし、大井川の景を縮し、明の朱舜水が参画し円月橋、西湖の堤など中国の風物も取り入れられている。また、後楽園は小石川台地という起伏に富む地形を活かして、かつ厳しい儒教の影響を受けて作園されており、明るい六義園と好対照をなしています。
神田上水石樋
石樋
 神田上水は家康の江戸入府に際して、家臣の大久保藤五郎忠行が開削した小石川上水がその起源と言われている。井の頭池の湧水を源とし、神田川、善福寺川、妙正寺川の水路を合わせ、目白台下の大洗堰、水戸藩邸の中を通り、現在の水道橋下流付近の神田川を懸樋で渡り、神田、日本橋方面の飲み水として利用された。これは復元された幹線水路の一部です。
春日局之像
春日局像
 文京区役所から富坂を登り、中程の礫川公園に春日局の像があります。文京区春日の謂われは、春日町の辺りに春日局が屋敷を拝領したことによります。その跡は、春日局出世稲荷神社となっています。
 私は学生の時に、毎日、この坂を通いました。

第2回オフ会開催地
◆開催日:2001年9月23日(日曜日)
◆集合時間:午後1時集合
◆集合場所:小石川後楽園内集会所涵徳亭:蓬莱の間
◆訪問場所(徒歩3時間程度)
  1. 小石川後楽園------------------水戸徳川家上屋敷庭園
  2. 牛天神
  3. 伝通院------------------------家康生母於大、千姫、徳川一族の墓
  4. 文京シビックセンター展望台----関東一円が見えます
  5. 麟祥院------------------------春日局の墓
  6. 湯島天神

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