←水道橋 御茶の水駅 神田→
 御茶の水の由来は、将軍が鷹狩りの帰りに高林寺の庭の名水でお茶を飲んでから、将軍御用達の御茶の水になったためです。江戸時代、「御」の字は、将軍や幕府に関連する総ての事柄に付けられた。
 また、駿河台は徳川家康の死後、江戸に帰った駿河詰の旗本を住まわせた事による。また、駿河台は江戸城防衛上の理由で橋は架かっていなかった。

  • 小栗上野介(又一)
    • 文政10年(1827)江戸駿河台(現在のYWCA付近)に生まれた。小栗家は,旗本(2500石取)で、「又一」は小栗家の襲名であり,先祖の小栗忠政が,度々「一番槍」をしたことから,又一番槍(またいちばんやり)と褒められ,家康より「又一」という名を賜ったという。慶応4年(1868)正月,陸軍奉行であった小栗は徳川慶喜に対し官軍との徹底抗戦を主張したために罷免された。
  • 中坊氏屋敷跡
    • 明治大学のリバティタワーや研究棟周辺は、江戸時代に4000石を有する大身の旗本の中坊(なかのぼう)氏屋敷でした。幕末には勘定奉行をつとめています。
  • 大久保彦左衛門
    • 杏雲堂病院は徳川幕府の御意見番、大久保彦左衛門の屋敷跡
  • 湯島聖堂
    • 儒学の祖孔子を祀っています。江戸時代は昌平坂学問所があり、幕府の最高の学問所でした。

ニコライ堂
ニコライ堂
 日本正教会の本山で、日本ハリストス正教会教団の東京復活大聖堂です。駿河台火消御役屋敷跡に明治17年(1884)から7年を掛けて建設された。大主教ニコライは大津事件、日露戦争等に貢献し明治45年に逝去している。日本ハリストス正教会はキリスト教の旧教(東方正教会)で世界各国にあるの正教会の中の独立した教会です。
神田川
神田川
 駿河台を流れる神田川は、元和年間よりの工事で江戸市街を氾濫から守るために開削されたものです。神田川は伊達堀と言い万治3年(1660)に伊達綱宗が拡張工事を行い牛込まで船が入れるようになった。この普請により仙台藩の財政は逼迫し、伊達騒動の原因となった。

home