←市ヶ谷 飯田橋駅 水道橋→
 番町、牛込両側に旗本屋敷が建ち並んでいた。通りは遠くが見えない食い違いにしているところが多かった。また、牛込御門を出ると神楽坂から善国寺に至る。
  牛込御門は江戸城から牛込への出口で防御のために広い堀を掘り、寛永13年(1636)に阿波守忠英が石垣枡形を築いた。石垣の角には大きな御影石を使用していて、他の見附と比較して良くできている。よく見ると卍の刻印が有る石があり、蜂須賀家の紋を表したものと思います。堀は万治2年(1659)に伊達綱宗が拡張工事を行い、牛込まで船が入れるようになり神楽河岸となった。

神楽坂
神楽坂
 明治28年に甲武鉄道牛込停車場の開設をきっかけとして、坂の付近が急速に発展し明治時代後半には牛込区第一の繁華街となった。
高松藩上屋敷跡
高松藩上屋敷
 千代田区飯田橋二・三丁目は江戸時代初期には榊原家の屋敷があり、宝永3年(1706)以降は高松藩上屋敷が有りました。発掘調査の現地説明会に行き、建物礎石群、三葉葵の入った陶器、大名庭園泉水跡などを見学しました。
牛込御門跡
牛込御門
 一帯は外堀の工事が寛永13年(1636)に行われるまで、牛込と番町の間は広く、草が茂っていた。牛込方面の重要な出口として寛永15年(1638)に牛込御門は築かれた。
善国寺
善国寺
 神楽坂の毘沙門様として有名な寺、今から400年前二条関白昭実公より毘沙門天像が贈られました。徳川家康が日本橋馬喰町に土地を与えられた、江戸時代に何度か大火により消失し、1792年に現在地に移転しました。本堂は昭和46年の再建し現在に至りました。
東京大神宮
縁結び
 東京のお伊勢様として親しまれています。明治13年日比谷に日比谷に創建し、昭和3年現在地に遷る。伊勢両宮(内宮、外宮)を祀る。神前結婚式を創始したことで知られ、縁結びにゆかりの深い神社です。
千代田区富士見町2−4−1

第8回オフ会開催地  ===江戸城外堀と見附==

◇テーマ : 江戸城外堀と見附

 江戸城というと皇居だけと思いますが、実際の江戸城をほぼ千代田区全域を含み、
武家地、町人地を含む総構で作られていました。今は、外堀と見附に当時の面影を
残しています。外堀は高低の差を考えて巧みに作られています。外郭の門は、敵の
侵入を発見し、防ぐために「見附」と呼ばれ、二つの門を直角に配置した「枡形門」
と言う形式を取っていました。また、外堀近郊には江戸城鎮守の神社がありました。
◇順路 :周辺の名所・旧跡 徒歩3時間30分

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