←市ヶ谷 飯田橋駅 水道橋→ |
番町、牛込両側に旗本屋敷が建ち並んでいた。通りは遠くが見えない食い違いにしているところが多かった。また、牛込御門を出ると神楽坂から善国寺に至る。 牛込御門は江戸城から牛込への出口で防御のために広い堀を掘り、寛永13年(1636)に阿波守忠英が石垣枡形を築いた。石垣の角には大きな御影石を使用していて、他の見附と比較して良くできている。よく見ると卍の刻印が有る石があり、蜂須賀家の紋を表したものと思います。堀は万治2年(1659)に伊達綱宗が拡張工事を行い、牛込まで船が入れるようになり神楽河岸となった。 |
◇テーマ : 江戸城外堀と見附
江戸城というと皇居だけと思いますが、実際の江戸城をほぼ千代田区全域を含み、 武家地、町人地を含む総構で作られていました。今は、外堀と見附に当時の面影を 残しています。外堀は高低の差を考えて巧みに作られています。外郭の門は、敵の 侵入を発見し、防ぐために「見附」と呼ばれ、二つの門を直角に配置した「枡形門」 と言う形式を取っていました。また、外堀近郊には江戸城鎮守の神社がありました。◇順路 :周辺の名所・旧跡 徒歩3時間30分