新宿御苑
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江戸時代に信州高遠藩内藤家の下屋敷のあった場所、日本式庭園の玉藻池付近が下屋敷時代のものを継承しています。かつては玉川園と呼ばれていて、屋敷東側を流れていた玉川上水よりの余り水や渋谷川の水を引いて、池や滝を作り、築山、谷の有る十の景勝地が作られていました。樹齢四百年を誇る巨木もあり興趣がつきない。
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鳩森神社
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江戸時代の富士山信仰を今に伝える鳩森八幡神社富士塚。都内には富士塚が各所にある。
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多武峯神社
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多武峯(とうのみね)神社は内藤氏が藤原秀郷の末流であったことから藤原氏の氏神である大和多武峯神社を勧請し創建した屋敷神で、祭神は藤原氏の祖鎌足です。石鳥居は高遠藩7代藩主内藤頼寧(よりやす)が建立したものであり、柱に藤原頼寧と刻まれています。
白馬堂は内藤清成の伝説に関わる堂で、徳川家康は江戸入府後に清成を呼び、「馬で一息に回れる土地を与えると」語ったといい、清成の乗った駿馬は南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走り、疲れ果てて死んでしまい、大樫の下に埋めたという。後に内藤家の森林の管理役となった中家休昌が文化13年(1816)に樫の古木の跡に塚を作り、駿馬塚と白馬堂の碑をたてた。
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