←高円寺 中野駅 東中野→
 中野は武蔵野の中央から名付けられた。神田川が郡境であり、中野村は多摩郡でした。また、中野宿は青梅街道の中継点として栄え、江戸に石灰や普請の物資を運搬するために整備され、淀橋辺りの下宿から、宝仙寺辺りの中宿、慈眼寺辺りが上宿を形成していました。
 元禄8年(1695)年、五代将軍綱吉の生類憐令により、無主の犬を収容するために、中野村に28万坪の犬小屋御囲地が作られ、最も多いときで10万頭に達した。
 明治22年には広漠な武蔵野の原野に中野駅は開設された。

宝仙寺
宝仙寺
 宝仙寺三重の塔は、高さ24mで、寛永年間(1624〜43)に、村人の寄進を受けて建立され、民間により造営された江戸近郊の唯一の塔であった。江戸名所図絵にも描かれた行楽地の一つでしたが。昭和20年に戦災で焼失し、戦後再建されました。
哲学堂公園
哲学堂公園
 哲学堂公園は、明治37年に東洋大学の創立者の故井上円了博士が、和田義盛の遺跡のこの地に四聖(孔子、釈迦、ソクラテス、カント)を祀る四聖堂を建立したのが起源です。
新井薬師
新井薬師
 北条氏の家臣梅原将監が出家し行春と称し、開いたのに始まる。本尊の薬師如来は、子育て薬師、治眼薬師として信仰されている。

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