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 周辺には東京市の都市計画で移転した寺が集まっている。山の手通りを北へ進むと、宝仙寺、成願寺などの名刹が残る。

成願寺
成願寺
 応永年間、この場所に住んでいた中野長者鈴木九朗が、一人娘の小笹の死をにより、出家し「正蓮」となり、家を寺に変えたのが始まりと言われる。鈴木九朗は紀州より中野に移り中野本郷から新宿角筈までの土地を開拓し中野長者と呼ばれた。江戸時代は青梅街道の道筋に当たるため多くの旅人が一休みをした。
宝仙寺  源義家が奥州征伐の折り創建した、真言宗豊山派の古刹。江戸時代は幕府の庇護を受け栄え江戸名所図会などに紹介され、江戸近郊の行楽地であった。
氷川神社  今も静寂を保つ、旧中野村の鎮守。源頼信が武蔵大宮氷川神社より勧請した。
東中野1-11
青梅街道  青梅街道は始め成木街道と呼ばれ成木周辺で作られた石灰や普請の物資を運搬するために整備された。江戸の人口が増加するに伴い、近郊農村は薪炭や野菜を売り、江戸から下肥を持ち帰った。中野村は公用物資の継ぎ場であったが、江戸庶民が近郊の神社仏閣に行楽に訪れるにつれ、淀橋から慈眼寺辺りが宿場として賑わった。

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